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【試し読み】「退屈な日常を破壊する都市伝説」江戸の設計者は明智光秀だった?/灯野リュウ(ミルクティー飲みたい)

  • 2022年4月5日
  • Walkerplus

2021年12月より、動画サービス「niconico」にて、ニコニコチャンネル「ミルクティーの裏側の世界」を配信中の都市伝説系YouTuber・ミルクティー飲みたい氏(灯野リュウ)。ここでは、彼が上梓した書籍「退屈な日常を破壊する都市伝説」の一部を紹介するので、ぜひチェックしよう。
※記事内容は「退屈な日常を破壊する都市伝説」から抜粋、再編集したものです。

■江戸の設計者は明智光秀だった?
休日にグーグルマップで東京湾のあたりを見ていると、テトリスのだいぶ厳しい状況と同じ歪な地形をしていることに気づく。千葉のほうはなんとかなりそうな凸凹具合だが、横浜とお台場あたりは絶望的だ。この埋め立て地は、江戸時代の地図を見ると海だった場所。そうやって少しずつ江戸から東京らしく、人工的な土地になってきたわけだ。

今回は、江戸を作った人物と明智光秀を巡る都市伝説。

■南光坊天海の正体は明智光秀ではないか?
「江戸時代」という響きは、もう五百年ぐらいは経っている雰囲気だ。それなのに百六十年前の話だから驚き。ひーばあちゃんのひーばあちゃんはおそらく江戸の町を歩いている。

そんな江戸を誰がつくったと聞かれたら、そりゃあ江戸幕府を創設した徳川家康だろうと思うだろう。教科書的にはそれで正解なのだけど、実際は家康が江戸の町を設計したわけではない。家康の影で軍師的な役割を担っていた、南光坊天海という男が江戸の町を設計したといわれている。その当時は幕府や御所の場所を決めるのに風水が重視された。そこで南光坊天海が、風水や、方位学や、陰陽道を駆使して江戸の町を設計したのだ。

風水というのは一見非科学的なものに思えるが、意外と調べてみると面白い。なぜ大阪ではなく、江戸に幕府を置いたのかを地理的に考えれば、答えは「難波」にある。「難波」という地名の通り波が難しかった、つまり水が安定しなかったのだ。

風水では川を龍に喩え、川があることは都市づくりの基本であることを意味する。そして綺麗な水の流れを「気の流れが良い」という言い方をしているともいえる。そう考えると風水は気分だけで決まるわけじゃなく、理にかなっているということが見えてくる。

古代中国で発展した風水には「四神相応」という考え方がある。僕と同じ世代の人は、現代版ベーゴマの「ベイブレード」で知っただろう。東(青龍)に川が流れ、西(白虎)に低い山や道が走り、南(朱雀)に湖や海があり、北(玄武)に高い山がある土地は栄えるとされている。江戸の町の設計も、東に隅田川、西に東海道、北に富士山、南に江戸湾があったことを基本に考えられたそうだ。

ここで南光坊天海とは一体何者かということだが、実はほとんど記録が残っていない。しかもこの時代に没年が百七歳とされているのだ。これは異常だ。江戸時代の平均寿命は成人だけで計算しても五十歳ほどだといわれている(乳幼児を入れると三十代になる)。

この謎の男・天海に関してこんな噂がある。「南光坊天海の正体は明智光秀ではないか」というものだ。

日光東照宮に見え隠れする明智光秀の存在

明智光秀といえば本能寺の変で、織田信長を裏切ったことで有名な武将だ。その後、山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れて逃げる際に、落ち武者狩りの農民に竹槍で刺されて死んだとか、自害したと伝えられている。しかし、このときに亡くなったのは影武者で、本物の明智光秀は命からがら生き残り、名前を変えて別人として生きていたのではないかという説があるのだ。

死んだ光秀はさらし首にされたといわれているが、その首はかなり腐敗が進んでいた。本人かどうか、実際には確認できないような状態だったという。また、当時の豊臣秀吉からすれば、自分が光秀を討ち取ったという功績が欲しかっただろう。つまり首が光秀本人かちゃんと検証したのか怪しいのだ。

そして明智光秀は生き延びていた、としたら。一説によると光秀はそのときに身代わりとなった荒木山城守行信という男に対する恩義から、荒深小五郎という名前に変えたともいわれている。この名前は「荒木への深い恩」という意味だ。

その後、光秀は比叡山で天台宗の僧侶になり、そこで名乗った名前が南光坊天海だという。比叡山は信長によって焼き討ちされているので、その信長を討ち取った光秀をかくまうというのは、わりと筋が通る。

そもそも天海という人は、家康の側近として江戸の町の設計を任されるほどの偉いお坊さんなのにもかかわらず、日本の歴史の中に突然現れた。それまでの記録がないというのが不自然である。そして現れたタイミングは、光秀が生きていた時期とはかぶっていないのだ。

もう一つ有名な説がある。明智光秀と南光坊天海のつながりを示すポイントを紐解いていくと、日光東照宮へとつながる。家康を祀っている日光東照宮には、明智光秀の家紋とされている桔梗紋と似た紋章が随所にあるのだ(一方で桔梗紋特有の先端の尖がないので違うという人もいるが、あくまでこの本においては似ていることに重点を置くことにする)。

その東照宮をつくった男がまさしく天海である。また、日光の名所の一つである華厳の滝を見渡せるところに「明智平」という場所がある。これは天海が名づけたといわれているのだ。

さらに、徳川二代将軍の名前は秀忠で、三代将軍の名前が家光である。この二人の名づけ親も、天海だといわれている。秀忠の「秀」と家光の「光」、そこから光秀の名前が浮かび上がってくる。もっと付け加えるなら、四代将軍は家綱、五代将軍は綱吉で、どちらにも「綱」の文字が使われているが、明智光秀の父親の名前が明智光綱なのだ。偶然にしても、何か因果を感じる。

かなり想像力を働かせた説であることに変わりはないが、歴史の空白にこそロマンがあると思う。この説が唱えられたのはもう百年以上も前になる。昔から人は「もしかしたら」が好きなのだ。

なお、ミルクティー飲みたい氏のニコニコチャンネル「ミルクティーの裏側の世界」は月1回、生配信(月額550円)。チャンネル会員になると、会員限定パートを含む生放送全編を見ることができる。次回は4月21日(木)19:00〜を予定。

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