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日本の金の歴史を巡る旅へ。日本遺産「みちのくGOLD浪漫」

  • 2020年12月11日
  • Walkerplus

日本の英名「ジャパン」がマルコ・ポーロの東方見聞録に記された「黄金の国ジパング」伝説に由来すると言われるように、日本の歴史において「金」は切っても切り離せない存在だ。その黄金伝説のルーツが東北地方にあることをご存じだろうか。国宝の中尊寺金色堂や日本の産金発祥の地・涌谷町など、こうした金にまつわる東北の歴史・文化財にまつわるストーリー「みちのくGOLD浪漫―黄金の国ジパング、産金はじまりの地をたどる―」が2019年、文化庁の「日本遺産」に認定された。

奈良時代から現代に至るまで、時代の動きと密接にかかわり続けたみちのくの金の浪漫を感じられるストーリーの構成スポットをウォーカープラスの記者が体験。その知られざる魅力の一部を紹介しよう。

■1000年以上の東北の金文化・歴史を巡る黄金旅程
文化庁が認定する、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化や伝統を語るストーリー「日本遺産」。2019年新たに認定されたうちのひとつが宮城県涌谷町・気仙沼市・南三陸町、岩手県陸前高田市・平泉町の2市3町による「みちのくGOLD浪漫―黄金の国ジパング、産金はじまりの地をたどる―」だ。

奈良時代以前、日本では採れないとされすべてを輸入に頼っていた金が“みちのく”で初めて産出されて以来、中尊寺金色堂に象徴される奥州藤原氏の繁栄や近世・近代・昭和と移り変わる金山開発など金にまつわる1000年以上の歴史と文化がこの地に残されている。その価値や魅力を再発見するためストーリーとして紹介するのがみちのくGOLD浪漫だ。全43の文化財で構成されており、2市3町を巡るモデル観光ルートを作成するなどみちのくの新たな観光資源として着々と準備が進められている。

■宮城県涌谷町・日本の産金はじまりの土地で天平文化に思いをはせる
最初に訪れたのは、日本国内で初めて金が産出された地である宮城県涌谷町。749年(天平21年)、同地から採られた砂金900両(約13kg)を朝廷に献上したという記録が、産金に関する国内最古の記録となっている。この金は東大寺盧舎那仏像、いわゆる奈良の大仏を造立する際に使用され、現在でも同町内には黄金山産金遺跡や、砂金を産出する川が流れる箟岳山など、多くの遺跡や文化財が残されている。

こうした産金の歴史の始まりをテーマにした施設が「天平ろまん館」。歴史館、砂金採り体験施設、直売所の3つの施設で構成されていて、歴史館では東大寺の大仏と涌谷の産金とのかかわり、渡来人によってもたらされた当時の産金技術などを学ぶことができる。また、砂金採り体験施設では金の比重を利用し遠心力で振り分ける「椀がけ法」で砂金採りを実際に体験できる。

採れるのは本物の砂金で、お土産として持ち帰り可能。かつて行われていた砂金取りを体感するとともに思い出も残せるコーナーだ。さらに、敷地内にある茶室「くがね庵」では、床の間に金箔をあしらったなかなか見られない茶室でお茶席の体験ができる。

また、天平ろまん館の近くには、産金を記念して建てられた仏堂跡に建つ「黄金山神社」があり、境内には大伴家持が産金を詠った万葉歌の石碑が残されている。また周辺では地元の有志によりホタルの繁殖池も整備中で、夏の夜には幻想的な光景も楽しめる。

■岩手県平泉町・奥州藤原氏の黄金郷へ
こうして始まった東北での産金を語るうえで欠かすことができないのが、岩手県平泉町の中尊寺金色堂だ。平安仏教美術の傑作であると同時に、平泉文化を作り上げた奥州藤原氏の繁栄の象徴でもある金色堂は、東北屈指の観光スポット。建立にはみちのくの砂金がふんだんに用いられており、平安時代には東北の金の産出が盛んになっていたことを物語っている。

中尊寺から徒歩10分の位置にある平泉文化遺産センターでは、東北の産金文化の一端を担った奥州藤原氏と平泉の歴史をパネルや映像展示で紹介。同施設には砂金を加工する際に使われた「溶解金付着坩堝破片」や「砂金付着片口鉢破片」、精製した砂金を装飾に用いた「金銀蒔絵鏡箱」の3つの日本遺産の実物も収蔵されている。

■宮城県南三陸町・東北の内陸と沿岸を繋ぐ金文化
東北の産金地域には、奥州藤原氏の東北の覇者としての存在感がうかがいしれる史跡も残されている。宮城県南三陸町と気仙沼市にまたがる標高512メートルの田束山(たつがねさん)は、北は岩手県の大船渡から南は石巻の金華山まで、三陸海岸を一望できるビュースポット。5月には群生したツツジが山肌を赤く染め上げる景観も魅力だ。

田束山は、奥州藤原氏が直接管理した本吉庄につくられた信仰の拠点でもあり、陸前高田や気仙沼など三陸に展開していた砂金産地を見渡せる位置でもある。この山頂に残されているのが、奥州藤原氏が築いた経塚(きょうづか)だ。経塚とは地中に仏教の経典を埋めて安置する塚のことで、田束山では計11基の経塚が見つかっている。また、山頂にはかつて奥州を代表する大伽藍があったとも言われており、内陸部にある平泉に拠点を構えた奥州藤原氏が沿岸部にも強い影響力を持っていたという文化のつながりを感じられる場所だ。

■岩手県陸前高田市・伊達政宗の金山開発の中核
東日本大震災による津波被害で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市。現在は“奇跡の一本松”や東日本大震災津波伝承館がある同地域には、江戸時代、伊達政宗が開発を行った金山跡が残されている。その代表格が、三陸ジオパークのジオサイトにもなっている氷上山(ひかみさん)中腹の玉山金山遺跡だ。

かつての坑道跡や精錬所跡は埋められているものの、周辺には金産出の副産物である石英などの鉱石が随所で見られ、山中には金山の守護神として勧請された玉山神社の鳥居や石垣が保存されており、大規模な鉱山として栄えた歴史を体感できる。さらに、氷上山の登山口にあたる場所に建つ玉乃湯では、体験プログラムとして水晶の採掘体験も実施。入浴・宿泊とともに楽しめるほか、食事処では金箔をぜいたくに使った金箔ソフトも味わえる。※水晶採り体験は予約受付停止中。入浴・宿泊は現在も営業中。

また、玉山金山跡に続く道のふもとにはJR大船渡線竹駒駅があり、その付近には金山の名を後世に伝えたいという地域の人々の想いで設置された「世界大遺跡玉山霊域の塔」が建てられている。塔には震災時に到達した津波の高さも追記されており、現代に至るまで金山が同地区にとって大きな存在であったことを伝える歴史資料となっている。

■宮城県気仙沼市・世界を驚愕させた「モンスターゴールド」産出の地
港町として全国的に知られる宮城県気仙沼市は、実は近代の“ゴールドラッシュ”の一翼を担った日本有数の金の産地でもあった。それを代表するのが、同市内にある鹿折金山(ししおりきんざん)と大谷鉱山(おおやこうざん)だ。

気仙沼市を流れる鹿折川の上流に位置した鹿折金山は、1904年(明治37年)、金の含有率80%以上、重さ2.25kgという驚異的な数字から「モンスターゴールド」と呼ばれた世界最大級の自然金を産出した金山で、モンスターゴールドはアメリカのセントルイス万国博覧会にも出品されるなど、当時世界中にその名をとどろかせた。戦時の混乱のさなかで6分の5が行方不明となったモンスターゴールドだが、現在でも6分の1は茨城県つくば市の地質標本館で展示されており、今なお金の歴史にその名を刻み続けている。

鹿折金山はすでに閉山しているが、金山跡にはモンスターゴールドを産出した坑道跡やトロッコ跡などが現存。金山付近に建てられた鹿折金山資料館では、モンスターゴールドの写真や記録、金鉱石や当時の採掘に使われた工具、金山採掘の過程などが展示されており、明治以降近代化する金山の様子を知ることができる。

一方、気仙沼市南部の大谷地区の大谷鉱山跡は、1976年(昭和51年)まで操業していた東北の産金の歴史の終わりを物語る遺構。山肌には階層が露出したコンクリート造りの巨大な精錬所跡がそびえており、映画のロケ地としても利用されるなど、廃墟好き垂涎の姿が残されている。なお、大谷鉱山跡は私有地のため、許可されたツアーなどを除き通常は立ち入ることができない。

鉱山跡へ続く道の入り口付近には大谷鉱山歴史資料館があり、ここでは当時金採掘に実際に携わっていた元職員が制作した坑道の立体地図や、給与明細などの書類、大谷鉱山やその他の鉱山で実際に使用された工具やトロッコなど、昭和期の採掘だけでなく鉱員の生活史も垣間見られる貴重な展示が残されている。

まだまだ知られていない歴史ロマンが眠る〝みちのく"の地。今回訪れたスポット以外にもさまざまな資料や体験が待っている。その奥深い物語に触れたいと思ったなら、ぜひみちのくGOLD浪漫の地を巡ってみてほしい。

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