沖縄の新聞社・沖縄タイムスは、このたび、壕の歴史と現状に向き合う連載「継ぐ32軍壕」に合わせて、壕の構造を3Dグラフィックで再現する特設サイト「知る32軍壕」を公開した。
「第32軍司令部壕(32軍壕)」は、第2次世界大戦中に大日本帝国陸軍によってアメリカ軍による沖縄侵攻に備えるために那覇市の首里城の地下に作られた壕群。工事が始まったのは1944年12月で、1945年3月に沖縄戦が始まる直前まで続いた。司令部は、5月末に日本軍が島の南部に後退するまで、約1カ月間使われた。
壕の総延長は約1,000m。第1~第5の坑道があり、入り口も5つの大きな壕でできている。戦時中は1,000人を超える将校と沖縄の軍属、学徒、炊事婦や県外出身の芸者らがいたとされているが、その全容は明らかにされていない。
沖縄県では、2019年の首里城火災をきっかけに、32軍壕の保存公開を求める声が高まり、専門家会議などを重ねて保存方法についての検討を重ねている。
沖縄タイムスは、このたび、この第32軍司令部壕の内部を3Dグラフィックで再現。グラフィックと共に、77年前に壕内に入ったことのある戦争体験者のインタビュー動画、当時の写真、証言などで、壕の今と昔を分かりやすく紹介している。
謎に包まれた壕内部を3Dグラフィックでたどってみよう。
「第32軍司令部壕(32軍壕)」特設サイト
https://www.okinawatimes.co.jp/common/otp/feature/the32nd-army-headquarters-cave/