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第23回 プロデューサー / 淀野 隆さん
時代の最先端を創造してきたプロデューサーが語る環境観

  • 2010年12月24日
淀野 隆さん

プロデューサー / 淀野 隆さん

Profile
1937年 京都生まれ。フランス文学者で、若いころは梶井基次郎、三好達治などとの同人「青空」のメンバーだった淀野隆三氏が父君。父親の関係で幼少のころから、有名作家に囲まれて育った。とくに川端康成さんに可愛がられ、川端家とは家族のようにして育った。しかし書生でもなく、弟子でもない川端さんを「先生」と呼ぶと「あなたには、何も教えていませんよ」と叱られたという。昔からの呼び方で「おじさん」と・・・川端氏はそれで満足されたという。 京都の高校から慶応大学に入学、卒業後は産経新聞の社会部で記者生活を体験。大阪万国博の前年に退社し、フリーのライターとなる。その後、電通と共同で企業のキャンペーンや広告企画マンとして活躍。時代の流れで、博覧会や科学館、博物館などの空間造形に参加。東京モーターショーのコンセプトプランなども手掛け、なかでも、スヌーピーの博物館は自慢の力作らしい。また超大型フイルムのアイマックスムービーを日本人としては4本を製作した。現在ハリウッドが3Dフィルムのヒットに刺激され圧倒的な迫力のアイマックスに関心をよせている。

 

 「環境小説」と自ら命名して、作品を発表したのが淀野隆さん。70歳を超えて、自ら歩んだ道の総決算。「恥も外聞もなく、なんでもかんでも詰め込みました。自分流の書き物。出来上がって気が付いたら、ちょっと小説風でした」と告白めいた本人のつぶやきを受けて、読んでみると、なにやら不思議な作品。環境小説を書いた本人の環境観について聞いてみた。

日本の成長期を演出し見つめた・・その後には・・

「スヌーピータウン」の完成予想図
1995年、大阪・鶴見のフラワーセンター内に設置した「スヌーピータウン」の完成予想図(c) 2010 Peanuts Worldwide LLC
故シュルツ氏から贈られたサイン入りの秘蔵版
上記のスヌーピーのミュージアムプロデュースで作家の故シュルツ氏から贈られたサイン入りの秘蔵版 (c) 2010 Peanuts Worldwide LLC

淀野さんが育たれた環境から、まずお聞きしたいのですが・・・

 第2次大戦での敗戦が、小学校2年生の時でした。日本は絶対に負けないと叩きこまれていたのに、あっさりと敗戦ですよね。急に民主主義などと言われ、男女共学になって、教科書も急に変わったりしました。戦後の貧乏も体験したし、安保成立の時には学生運動も体験して、そして戦後の高度成長のまっ只中を突き進んできたわけです。いま思うと、成長の波に乗って、経済拡大、浪費型社会創造で片棒を担いできた。その反省というのは、たえず心のどこかにあるわけです。

3種の神器、3C時代(カラーテレビ、クーラー、カー)の太鼓を叩れたわけですね。

 そうなんです。それ以前はね、学生時代は男性は制服、制帽だったし、授業ではコピー機なんてなかったから、講義では懸命にノートを取りました。試験ともなると友人間でノートが飛び交い、手書きで移しっこしたものです。印象的なのは僕の大学の校舎から東京タワーを建設しているのが見えた。だんだん高くなっていくのですね。こんなすごいものを建ててどうするの・・・みたいな感じで見ていました。しかしやはり当時の成長・拡大のシンボルだった。いまはスカイツリー建設ですよね。大学出てちょうど50年です。東京タワーの役割が終わり、スカイツリーになっていく時代の変化。これは実感として衝撃的です。「ああ、50年を走ってきたのだな」という感慨に襲われる・・・・。

高度成長時代ってあったし、それを体験されたわけですよね。その50年を走って来られたなかにあるわけですね。

 いまの若い人には想像もつかない時代ですね。3種の神器といわれた冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビ・・・もはや戦後ではない・・・1956年ころ。大学4年生だったかな。電化製品はいまみたいに、量販店なんてなかった。街には日立、松下、東芝などの系列店が並んでいた。家庭の電気容量が急に増えるから、近所の電気店のおじさんが頼りだった。主婦はまず洗濯機、それに冷蔵庫を買いたい・・・そしてテレビ。化粧品もそのころからテレビ宣伝が始まった。若い美しい女性をCMで見る。やはり気分を華やかにさせますよね。食品やお酒のCM.お酒は「母ちゃんいっぱいやっか」という伴じゅんさんの一言CMで、近所の酒屋さんに買いに走った。チョコレートは明治、キャラメルは森永、ビールはキリン、ウイスキーはサントリー・・・・これはCMの投下量で記憶しています。

 
カナダの巨大なセットでアイマックスカメラを覗く淀野さん
アイマックス「ビーバー家族の詩」=中部電力浜岡原子力博物館劇場上映=の撮影で、カナダの巨大なセットでアイマックスカメラを覗く淀野さん。レンズ側からビーバーが覗いている。1987年

細かく挙げていただくと、キリがない・・・まあ、国民のすべてが、新しい製品に飛びついたわけですね。

 「いざなぎ景気」といわれた。これは1965年から1970年まで57ヵ月継続した。GNP10%の伸びですね。いざなぎ景気の後半は、いわゆる3C時代です。カラーテレビ、クーラー、カーですね。私がいまでも覚えているCMソングで「隣のテレビは色がない」というのがあった。これは刺激的ですね。それに国家イベントが、さらに需要を拡大したわけですね。中国を見ていると、日本と同じ道を歩んでいる。北京オリンピック、上海万博・・・そして内需振興で国民は日本にまで来て消費財を買っていく・・・。

そうすると国家の経済成長は、やはり国民支出が大きくGNPに貢献するのですね。

 現在の先進国家は、内需が落ち込んでいるから、海外貿易に依存する。しかしGNPを押し上げるのは、やはり内需振興、国民支出ですよ。しかし伸びない。だから景気の良い国に物を売ろうと懸命なわけですね。

 

 

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