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『JUNK』統括プロデューサー・宮嵜守史が語るヒット番組の裏側

  • 2023年5月11日
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TBSラジオの深夜ゴールデンタイム午前1時から3時に20年以上にわたって月〜金で放送されている帯番組『JUNK』。現在その統括プロデューサーであり、かつてはディレクターとしても数々の芸人たちと番組を作ってきたのが宮嵜守史氏。宮嵜氏が出版した『ラジオじゃないと届かない』は、ラジオスタッフとして関わったさまざまな出来事について実直に書かれていて、本書自体にその成り立ちもかなり詳細に記されている。そこでこのインタビューでは、本書では描かれていない編集者とのやり取りや出版後のリアクション、過去の武勇伝などを訊いてみた。

 

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:金田一ワザ彦)

宮嵜守史(みやざき・もりふみ) 1976年7月19日生まれ。群馬県草津町出身。ラジオディレクタ―/プロデューサー。TBSラジオ『JUNK』統括プロデューサー。担当番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』『爆笑問題カーボーイ』『山里亮太の不毛な議論』『おぎやはぎのメガネびいき』『バナナマンのバナナムーンGOLD』『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『ハライチのターン!』『マイナビ Laughter Night』/YouTubeチャンネル『矢作とアイクの英会話』『岩場の女』ディレクター。

 

ラジオのこと、パーソナリティのことを伝える本だったら、出してみたいなって

――この本を書くにあたって、chelmico(チェルミコ)の真海子(Mamiko)さんをはじめいろんな方が背中を押してくれたという経緯があるそうですが、そもそもの出発点を教えていただけますか?

 

宮嵜 きっかけは今日同席していただいているポプラ社の辻さん(編集担当の辻敦氏)からお声がけいただいたのがいちばん初めですね。

 

――もともとお知り合いで?

 

宮嵜 いえ、まったく面識もなく。

 

――辻さんが宮嵜さんのファンだった?

 

 宮嵜さんの作るラジオを聴いていて。宮嵜さんが出演されているところなんかも。

 

宮嵜 (笑)。

 

――真海子さんは宮嵜さんの作ってきたラジオに救われたという思いがあったから、宮嵜さんに会った途端に泣き出したと本書にはありましたが、辻さんは会ったときどうでした?

 

 さすがに泣きませんでしたが、もちろん感動しました。

 

宮嵜 知り合いのディレクターさんから、「ポプラ社の辻さんという方が宮嵜さんの本を出したがっているようですよ」という連絡を受けて。で、辻さんからメールを頂戴して。僕の本なんて需要ないだろうと思って、お断りをする方向で返信したんです。企画書を頂戴したら僕自身の本みたいな感じだったので、さすがに恥ずかしいというのもあって、しばらく考えさせてもらいました。

僕のことより、ラジオのこと、パーソナリティのことを伝える本だったら、出してみたいなって思うようになって。なので、企画書の想定されていた内容とは大幅に違ってくるとは思うんですけど、それでもいいと辻さんに言っていただけたので出すことになりました

 

――初めてお会いしたのはどのぐらい前ですか?

 

宮嵜 一年半前とかですね。執筆に取りかかったのはすぐなんですが、取りかかったはいいものの長い文章を書くことを普段していないので、何をどう書いたらいいのかわからなかったんです。そこで設計図みたいなもの、章立てされた構成案を辻さんに作っていただいたんです。で、ひたすらその章ごとのテーマで記憶を遡って書き始めたのが発売から半年前とかですかね。

 

――鮮明に覚えていましたか?

 

宮嵜 記憶があっているかどうか不安だったので、当時使っていた手帳を見たり。あとは最後のページに“Special Thanks”として記載してあるんですけど「ワシントン」「ゴリラがストライキ」「ていすと」という方々に協力してもらいました。3人とも『JUNK』の『雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!』(2002〜2010年)と『極楽とんぼの吠え魂』(2000〜2006年)のリスナーだったんですね。

過去を遡るほど記憶ってどんどん曖昧になるので、この3人に「当時の番組のこと、雨上がりさんのこと、極楽とんぼさんのことを書きたいんですが、何か記録があればその情報をいただけませんか」と直接連絡を取りました。そうしたら3人が、この年にこんな企画やってましたよっていう情報をたくさん送ってくださって。読んでいると結構記憶って戻ってくるもので、そこから当時の資料を漁ったり、手帳と照らし合わせて書いていったという感じですね。

 

――そうすると、過去の自分と向き合うわけですが、今から考えるとすごいことやってるとか、逆にもっと違う風にできたんじゃないか、みたいことはありましたか?

 

宮嵜 後者のほうですね。もっとこうすればよかったなって。今になって思うと後悔や反省がすごく出てくるし。あと、本を書かせていただいて、初めて自分ってこんなことを考えてこんな行動しちゃう人間なんだとか、俯瞰して見ることができました。とても貴重な機会をいただきました。

 

――実際のオンエアの同録を聴き直してみたりもしたんですか。

 

宮嵜 いくつかあります。例えば『雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!』の餃子の王将からの中継の回。やったこと自体は覚えてましたが内容の詳細となると記憶があいまいだったので。

 

――これはもうASMRだったっていう表現を本書ではされていますね。

 

宮嵜 今聴いてみて、ジューって餃子を焼く音から入ったので。そうだそうだ、そんなことやってたわなんて思いながら。他には『極楽とんぼの吠え魂』の潮風公園ライブの回。極楽とんぼさんとの対談を予定していたので、潮風公園の話を2人としたいというのがあったので、聴いてから臨みました。

 

教わったこととか、分かち合ってきたことがどんどん変わってきてるんですね

――この本の構成ですが、たとえば極楽とんぼさんのことが書いてあるから詳しく知りたいなというタイミングで、ちょうど本人たちとの対談が始まるという形になっていて、本を読んでいるんだけど、ラジオを聴いているみたいな。さらにそのあとに「ちょっと言い忘れたんだけど」というフォローがある。気が利いているというか、上手い構成ですよね。

 

宮嵜 ありがとうございます。辻さんが最初に送って下さった設計図が時系列で、僕のラジオ人生を辿りながらみたいな構成でした。なので、その時その時で関わっているパーソナリティがいるわけです。雨上がり決死隊や極楽とんぼには20代の駆け出しディレクターのときにこんなことを教えてもらった、おぎやはぎやバナナマンとは20代後半とか30代に入り、多少経験を積んだ状態で関わってこんな思いが生まれたとか、アルコ&ピースやハライチだとディレクターとして関わることはだんだん少なくなってきて、プロデューサー目線もついた状態で向き合って、こんな気づきがあったとか。

みんなお笑い芸人さんなんですけど、関わった年次や段階によって、教わったこととか、分かち合ってきたことがどんどん変わってるんですね。時系列で並べたほうがわかりやすいなと感じて、辻さんの設計図を基に、その間に関わった方々の対談を入れる形になりました。さらに対談前と対談後のテンションの変化を出せたらなと。『A-Studio』(TBS系)の(笑福亭)鶴瓶さんじゃないですけど、自分も読み直してみて、手前みそですがいいなあって思いました。

 

――今回、対談相手はかなりの豪華ラインナップですが、この人に出て欲しいっていうのは叶った感じですか。

 

宮嵜 人選は編集の辻さんと相談して決めたんですけど、ベストだなと思います。

 

――まだまだ宮嵜さんと関わった方はいると思いますので、この本の続きが読みたいとなった場合、どうなりますか。

 

宮嵜 こういう構成での二冊目はもう捻り出せないと思います。超えられない気がします、人選とかに関しても。

 

――今回入ってないけど、この人とも実は対談してみたかったというのは?

 

宮嵜 それで言うと、雨上がり決死隊さんがもしまだコンビで活動されていたら対談したいなって思いました。お一人ずつっていうのも、なんかまた別の要素が入っちゃうかなと思いますので。だったらあの時の雨上がり決死隊のことを僕が書いたほうが良いかなって。もちろん本は送りました、蛍原(徹)さんにも宮迫(博之)さんにも両方に。

 

それはもう本当に必死だったんです。そうしなきゃみたいな、がむしゃらな

――森三中の黒沢かずこさんとMBSラジオプロデューサーの高本慧さんのYouTubeチャンネル『ラジオの余談』(【ゲストトーク】ラジオプロデューサー・宮嵜守史とTBSラジオを語り尽くす!前後編)で、宮嵜さんは今は落ち着いてるけど、昔はすごいギラギラしてて目が怖かった、イケイケだったという話をしていましたが、ディレクターの時と今とではだいぶポジションも違ってきて……?

 

宮嵜 キャラクターは変わらないと思います。多分、黒沢さんがラジオを聴いて受けた印象だったんだろうと思います。

 

――若手芸人にガツンといくみたいなことは。

 

宮嵜 ハライチとの対談で澤部(佑)くんが言ってますけど、うしろシティとの番組『デブッタンテ』の最終回の収録で、ガツンと言ったときはありますけど。それぐらいだと思います。

 

――陰毛をマイクに乗せるという奇行も取り上げられてました。

 

宮嵜 それはもう本当に必死だったんです。そうしなきゃみたいな、がむしゃらな。20代だったので前のめりな部分はあったと思います。

 

――それと一発目の企画で鳥肌実さんを選ぶ、ラジオでやろうというセンスもすごい。カウンターカルチャーを狙ったとか?

 

宮嵜 人選の妙はおおいにあるかもしれないですね。鳥肌さんの独演の雰囲気がすごくラジオとマッチするんじゃないかと思って企画書を書いたんです。ただ、本にも書きましたけど、あのネタを公共の電波で面白いまま伝えるっていうのには……思考が足りてなかったです。

 

――もう一つお聞きしたかったのは、最近、潮風公園ライブみたいなイベントが減ってきましたよね。

 

宮嵜 そうですね。なくなりはしてないですけど。コロナもあったし。イベントでいうと、2月の『JUNK』20周年記念イベント、あれだけリアルでお客さんが集まってくださるっていうのは、我々にとってすごく励みになります。

 

新しい人と関わりを持つ時は、自分のキャパシティ以上にならないかどうかを確認します

――ラジオのスタッフの方とパーソナリティって、すごく密なイメージで、一回組んだら何十年とやっていくこともすごく多いですよね。そうすると、新しいパーソナリティ候補を見つける活動をすると、逆に今までの方と疎遠になっちゃう事はないですか。自分自身のマネジメントはどのようにされていますか。

 

宮嵜 個人的には、新しい人を見つけて、その人と関わりを持つ時は、自分のキャパシティ以上にならないかどうかを確認します。なので、既にご一緒している方とのお付き合いが疎かなるようだったら、新しい人に対しては「この人いいな」と思っておくだけにします。関わるとやっぱり時間がかかっちゃうので。

 

――ディレクターからプロデューサーになってパーソナリティの選び方は変わりましたか?

 

宮嵜 それはあると思います。20代の頃は、この人面白い! やりたい! って衝動的な部分が強かったのですが、プロデューサーになった今だと面白い!やってみたい!という思いに加えて、これはできるかな?とか将来的にどうなるかな? とか選定する項目が増えてきたと思います。

 

――そういう時は、同時にこのパーソナリティにはこのディレクターを組ませようみたいなことも考えるのですか。

 

宮嵜 そういうのもあります、もちろん。

 

――今のお立場でも、本当は自分が直接やりたい人もいたりとか。

 

宮嵜 いますいます!

 

――ヒコロヒーさんとはYouTubeチャンネル『岩場の女』をやってらっしゃいますね。そのヒコロヒーさんがどこかの地上波ラジオに出るってなった時に、じゃあ自分がそれをやろうという思いは?

 

宮嵜 いや、そこまで独占欲はないですね。それよりは良かったねっていう気持ちのほうが強いと思いますね。

 

爆笑問題の太田さんが翌週にはもう「読んだよ、面白かったよ」って

――この本が出たのがほぼ1か月ぐらい前で、その後いろいろ反応があったと思うんですが、『JUNK』のパーソナリティの方々のリアクションはどうでした?

 

宮嵜 お渡ししたときはもれなく全員「分厚いなあ」っていう(笑)。まず見た目のリアクションですね。爆笑問題の太田(光)さんが翌週にはもう「読んだよ、面白かったよ」って言ってくださって。その上「やたら人(にん)っていう言葉が出てきて、鼻につくって」言われました(笑)。

 

――ラジオ(『爆笑問題カーボーイ』)でおっしゃってましたね。

 

宮嵜 感想自体、オンエアで初めて聴いたんです。

 

――ほかの方は?

 

宮嵜 感想はいただいてないです。こっちからどうでしたとは聞けないじゃないですか。それはつまり読んでくれましたよねの確認作業になっちゃうから。「ちょっとお荷物だと思うんですが、受け取ってください」までにしています。嬉しかったのは、かが屋の加賀(翔)くんが本が出て直ぐにInstagramに僕の本の写真を上げてくれたので、あ、買って読んでくれたんだって思いました。

僕はそれほどタレントさんと付き合いはないのですが、加賀くんとは会って話すほうで。加賀くんが『おおあんごう』っていう小説を出したときにわかったんですが、僕の父親と加賀くんの父親のキャラクターが似ていて。いわゆるお酒に溺れてしまうような。子どもの頃に味わった経験や感情とか、今思い悩むこととか、分かち合える部分があって仲良くなりました。もともとかが屋は好きでしたし。毎年単独ライブも見に行かせていただいてます。

 

――プロデューサーは『JUNK』の全曜日を見るわけですが、皆さん売れっ子じゃないですか。ラジオだけじゃなくて、ライブもあるし、テレビもいっぱい出てるし、本も出したりするしっていうことで、全部チェックするのは大変だと思うのですが。

 

宮嵜 出演されたすべてのテレビ番組はチェックしきれないですね。数が多くて。書籍は読みます。あと、ライブも見させていただいています。ラジオで話題にしたテレビ番組を見逃していた場合は追っかけで見たりします。

 

――この本の中にはこうやって番組を作ってますとか、スタッフの役割分担の説明みたいな、ラジオ番組のメイキング的なことも入っていますが、そういう部分をYouTubeとかでやって欲しいなと思いました。ラジオの裏側の話とか、関わった人との対談とか。いかがですか?

 

宮嵜 自分からやろうとはあまり思わないですね。

 

番組特有の固有名詞を使うことで「扉を閉める」ことになりますから

――本書には名言・金言がいろいろあると思います。まずは、パンサー向井(慧)さんとの対談で出てくる「ラジオを前に置きながら聴いている」「朝の番組は聴いている人がラジオを後ろに置いて」という部分。ラジオを前に置いて一生懸命聴く場合と、後ろに置いて作業しながら聴く場合もあるという表現は、ラジオの本質を捉えていると思いました。

 

宮嵜 ありがとうございます。向井くんが対談で言わないから自分から話しだすっていう恥ずかしいことをしました。

 

――その対談の流れ自体も面白かったです。それと、「新しいリスナーに扉を開けている、閉めている」という表現。番組が続いていくにつれて熱心なリスナーが心地よく感じるそこでしか通じない言葉を使うことで、新しいリスナーに対して閉鎖的になりますよね。

 

宮嵜 番組独自の挨拶だったり独自のノリを作ることって既存のリスナーにとってごちそうである一方、個人的な意見ですがちょっと排他的に聞こえるんじゃないかなって。もちろんそこが好きなリスナーも大勢いると思います。この本ではハライチの対談で言っていることです。

 

※262ページでハライチ岩井が「宮嵜さんがいつも言っている“一見さんでも聴けるような感じ”や“自分よがりにならないラジオ像”」と発言。その後「扉」や「門」という表現を使いながら、“リスナーを囲わない”ことについて話をしている。

 

――『ハライチのターン』に関しては、扉は常に空いてるみたいな?

 

宮嵜 そうじゃないときも当然あります。表に出る事実関係を言っているのではなく意識の問題です。そういう意識をパーソナリティもスタッフも持っているかどうかっていうことです。

 

――あとは人柄、パーソナリティという意味の「人(にん)」もたくさん登場しますが、これもいい言葉だと思います。最後にこの記事を読む方はラジオが好きな方だと思います。この本を買おうか迷っている人に向けて何かメッセージを。

 

宮嵜 まず第一にラジオリスナーへ向けて書いたつもりです。ラジオ番組を作ってますが、僕自身もラジオリスナーなので、ラジオやパーソナリティの良さ魅力を共有したいと思って書きました。じゃあラジオを聴かない人は読まなくていいかって言ったら皆さんに読んでほしいですけど、特にラジオを聴いてる人、ラジオに多少でも興味を持っている人、そういう人たちに手に取っていただけたらうれしいなあと思います。

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