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京都嵐山・青もみじと苔庭が美しい「野宮神社」で、源氏物語の世界に思いを馳せて♪

  • 2023年8月25日
  • ことりっぷ


嵐山といえば、平安時代からの風光明媚な景勝地。今も京都きっての観光地として、世界中から訪れる人を迎え続けています。その竹林に、平安時代の面影を残し、たたずむのが「野宮神社(ののみやじんじゃ)」です。紫式部の『源氏物語』の舞台にもなったという境内で趣ある嵯峨野の風情を感じ、そして御利益をいただきましょう。
「野宮神社」へは、嵐電の嵐山駅から徒歩で8分。JR嵯峨嵐山駅からも10分足らずです。嵐山のメインストリートから竹林へ向かう小道へ入ると、角を曲がるごとに、あたりは背の高い竹に覆われうっそうとしてきます。
その先には、樹皮がついたままのクヌギを使った「黒木の鳥居」と、クロモジの木を束ねた「小柴垣」。この風景は、源氏物語の『賢木(さかき)の巻』にも描写され、平安時代の風情を今に伝えます。
平安時代、今の境内にあたる地は「野宮」と呼ばれ、天皇の代理で伊勢神宮に仕える斎王が伊勢へ行く前に身を清める場でした。皇女から選ばれる斎王には、約80人もの付き人が仕えたといいます。
室町時代には斎王の制度が途絶えてしまいますが、野宮は神社として受け継がれました。
その聖地には、今も多くの神様が祀られています。本殿には、健康と知恵授けの神様である「野宮大神(天照大神)」。そして、その左には縁結びの御利益で名高い「野宮大黒天」。
また、お社の横には亀の形をした石が。撫でると願いごとが叶うそうです。大勢の人に願いごとを託されてきたからでしょうか?黒光りするその姿からは、言葉にできない何かがあふれ出ているようですね。
さらに、斎王が身を清める場であったことにちなみ、禊祓清浄(みそぎばらいせいじょう)の祈願スポットも。祓いたいことや清めたいことを用紙に書いて水に浮かべ、小石やコインをのせ静かに沈むのを待ちます。
本殿の右を奥へ奥へと進むと人影も減り、落ち着いた静かな苔庭「じゅうたん苔」が広がります。苔のきめ細かさ、ところどころに差し込む木漏れ日、見ているだけで心が清められそうな世界です。
「橋は渡月橋。その下に流れるのは桂川。橋の左にこんもりと盛り上がっているのは嵐山、右は亀山です。つまり、この庭は嵐山のミニチュアなんです」と宮司の懸野さん。
じゅうたん苔の前には、子宝・安産・商売繁盛を司る「白福稲荷大明神」。斎王ゆかりの地であることから、今も皇室に縁がある野宮神社。秋篠宮様がお参りに来られた際には、その年のうちに佳子様が誕生されたというエピソードも伝わります。
白福稲荷大明神に寄り添うようにたたずむ「大山神社」は、鉄道や交通安全の神様。JR山陰線の創設者である田中源太郎氏が、不運にも山陰線の事故で亡くなったことから、二度と事故が起こらないようにと願い創建されたお宮です。
源氏物語の舞台としても知られる野宮神社ですが、光源氏が野宮を訪れたのは、かつての恋人である六条御息所に会うためでした。斎王に選ばれた娘に付き添って伊勢に向かう御息所との別れの場面が、嵯峨野の風景とともに美しく、そして切なく描かれています。
物語では悲しい恋が繰り広げられましたが、お守りは良縁やえんむすび、子宝安産を願うものが種類も豊富。
秋(2023年は10月15日)には、斎宮が伊勢へ向かう旅を再現した「斎宮行列」が行われ、竹林から渡月橋一帯では、華やかな平安装束をまとった約100名の時代絵巻を目にすることもできます。
嵯峨野の竹林にたたずむ野宮神社で、今も息づく王朝の雅な世界に思いを馳せ、そして良き縁をお願いしてみませんか?

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