津留崎家が移住した翌年に、下田に呼び寄せた鎮生さんのお母さん。移住当初は82歳。
高齢での移住ということで不安もありましたが移住当初はうまく馴染んで暮らしていました。それから時が経ち、今年88歳の米寿を迎えました。
するとお母さんの言動にも変化があったようです。移住先で「母の老い」とどのようにして向き合っていくのか。
じっくりと考えた鎮生さんが思いを綴ります。
わが家が伊豆下田に移住してきたのが2017年4月。その翌年に東京でひとり暮らしをしていた母を下田に呼び寄せて、自分たちの家から徒歩3分の小さな家を借りて暮らし始めました。当時、82歳。少なからずの持病はありましたが、まだまだ自分の身の回りことは自分でできる状況でした。とはいっても、その年齢での移住です。これまで慣れてきた東京の環境と大きく変わることに不安はありました。
母は父が亡くなってから東京でひとり暮らしをしていたのですが、このままひとりで東京で暮らし続けるよりも、子どもの家族(つまり、わが家)の近くで暮らすほうが何かといいのでは?
さらには、母が生まれ育ったのは日本海に面した新潟の小さな漁村で、漁業が盛んな下田と少なからずは似た雰囲気もあり、馴染みやすいのではないか? と、迷ったうえで決断しました。結果、母の借家の家主さんにとても気にかけていただいたり、娘(孫)やその友だちも母になついてくれたり。母も安心して楽しく暮らしていて、この大きな決断は間違いではなかったと安堵しました。
娘(孫)とその友だちに挟まれて幸せそうな母。
引っ越してきて間もなく、自宅近くの海で娘(孫)とはしゃぐ。
母の家で、食事をつくってもらうこともよくありました。
移住当初はわが家も賃貸だったのですが、自分たちらしい家をつくりたい、この地に根づいて暮らしていきたいという思いから、空き家となっていた古民家を購入し、2021年に下田市内での引っ越しをしました。幸運なことに古民家には離れがあり、そこも一緒に購入することに。その離れで母が暮らすことになりました。「徒歩3分」から、「隣の家」に。
80代半ばをすぎて、移住当初に比べ足腰の自由がきかなくなっていました。その状況を考えると、いいタイミングだったように感じます。引っ越してからは、隣の家になったということで、これまで以上に一緒に食卓を囲むことも多くなりました。娘(孫)、そしてもともと母が飼っていた猫と会える時間をとても楽しそうに過ごしていて、あらためて下田に移住してもらってよかったと感じました。
すっかり娘の相棒のような存在になっている猫のコロンさんは、母が東京で保護猫を引き受けて飼い始めたのですが、母の下田の貸家がペット禁止だったのでわが家にやって来ました。
そんな母は今年の春で下田に移住してきて5年が経ち、8月に88歳、米寿をむかえました。来年50歳となる自分でも、移住当初から考えると体力の衰えを感じることも多くなっています。でも、40代のそれとは比べものにならないほどに80代の母の衰え、老化は進んでしまっていて、これまでできたことがいろいろとできなくなってきていて。そんなこともあってか、数か月前から「施設に入りたい」と言い出すようになっていました。
移住当初は娘より背が高かったのですが、すっかり背を抜かれました。
隣に住んでいるとはいってもひとり暮らし。やはりある程度の家事を自分でしなければなりません。肺の持病が進行したこともあり、少し家事をすると息苦しくなるそうです。そして、仕事や子育てで忙しくしている自分たち家族に、これ以上迷惑をかけたくない、そんな思いもあったのでしょう。
確かに、自分としても、隣に住んでいてそれなりに面倒を見てはいるけど、仕事や家事、それだけでなく地域の活動や米づくりもあるなか、やれることは限られていて、『これ以上はできない』という思いもありました。
そんな状況で『施設に入りたい』と本人が言うのであれば、それを叶えてやるのが息子としてのあるべき姿だろうと、役所やお世話になっている施設の方に相談したり、施設に見学に行ったり……と入所のための準備を進めていました。
88歳という母の年齢を考えると、施設に入れば、家での暮らしには簡単には戻れなくなるわけで、これまでのように一緒に家の食卓を囲むこともなくなるのかもしれません。
ここになら入所できそうだという施設が見つかり、いよいよ申込みをする、と入所が現実味を帯びてきたときにあらためて思ったことがあります。
東京ではできない「暮らし」をするのだと下田に移住してきて、東京で父が亡くなってからひとりで暮らしていた母親も下田に呼び寄せた。そんな母親が施設に入る。
仕事に家事に忙しい今、息子としては「これ以上できない」のだから「仕方ない」と、施設入所の手続きを進めてきた……。でも、自分を産んで育ててくれた母親の「人生の締めくくり」をそんなふうに簡単に決めてしまっていいのだろうか? 本当に「これ以上できない」のか? 本当に「仕方ない」のか? これが東京ではできなかった「暮らし」なのだろうか? 優先順位は合っているのだろうか?
などなど悶々と考えてしまって。結果、施設への入所はもう少し先送りにして、まだ「できることはないか?」を探ってみることにしたのです。
そう決めてから、母の朝晩のごはんをつくっています。顔出せるときには顔出して家事を手伝ったり話をしたり、病院につき添い、買いものに行くたびに電話をして、ほしいものはないか? と聞いたり、たまには買いものに連れ出すこともあります。この決断をしてから、娘も何かと母の面倒を見てくれるようになりました。そんなこともあって随分と母親の顔が明るくなった気がします。
外食をするのも体力的に難しくなってきました。大好きな寿司屋にもすっかり行けなくなり……ということで、友人でもある下田のすし職人さんがやってるケータリングサービスを利用し、わが家で寿司を握ってもらう。
娘(孫)から誕生日プレゼントをもらってうれしそうな母。
親の「老い」とどう向き合うか?母の場合、肺の持病も進行はしていて、体が不自由になってきたとはいえ、意識はしっかりとしているし、自分で立って歩くことができるので、こうした対応がとれるのでしょう。
寝たきりだったり認知症が進んだりという親の介護をされている方からすると、まだまだ介護とは呼べないくらいなのかもしれません。とはいっても、この状況でも、子育て中で共働きのわが家だけでは面倒をみるのは難しく、デイサービスもあり宿泊もできて、日々の見守りや病院のつき添いまでお願いできる「小規模多機能型居宅介護」のサービスを利用しています(本当にありがたい制度です)。こうした行政のサービスなどにも頼れることは頼り、「良き親の老いとの向き合い方」を探っていきたいです。
ある日の朝ごはん。基本的には娘につくっている朝ごはんをそのまま持って行きます。「身内がその限界を越えるような介護を続けると、するほうもされるほうもストレスがたまり幸せになれないから、無理はしないでね」と、この決断をしてから多くの方にアドバイスをいただきました。「親の介護」を経験した方は本当に多く、みなさまのアドバイスが本当にありがたいです。
そんな母が、大切に守り続けてきた「ぬか床」があります。そのぬか床で漬けるきゅうりは自分が幼少の頃から親しんできた味でもあり、母が下田に来てからは、よくわが家の食卓にものぼることになったこともあり、娘の好物にもなりました。
ある日母から、「ぬか床を維持していくのが難しい。捨てちゃおうか」と話がありました。ぬか床というのは、毎日毎日混ぜ続けなければならないのですが、もう体力的に、混ぜ続けることができないというのです。母が守ってきたぬか床とともに育ってきた息子としては、寂しい思いとともに、それを続けることができなくなった母のほうが寂しいはずだ、とも考えて。
「じゃあ、ぬか床、ウチで継ぐよ」
と決めて、母の88歳の誕生日にそのぬか床がわが家にやってくることになったのです。
実は、過去に何度か分けてもらったぬか床をダメにしてしまったことがあって、ぬか床をちゃんと維持することの難しさは知っています。 ダメにしてあらためて、それをずっと当たり前にやっていた母の地道な継続力に頭が下がる思いを持ったりもしたのですが、これまではダメにしても母のつくる「本家?」のぬか床があったのでその味が絶たれることはありませんでした。
でも、今度はこれが本家になるのです。
受け継いだぬか床、その味を絶やさないように毎日毎日、混ぜています。もっとも管理の難しいといわれる夏も無事に乗り切りました。
温度が高く菌が活発になる夏は、日に2度は混ぜないと腐敗してしまうこともあるとのことで、せっせと混ぜました。仕事柄、出張に行くことが多い妻は当初から「申し訳ないけど私は無理、手伝えないよ」と。ということで、すっかり手がぬか漬け臭いオジサンとなりました。
先日、自分が漬けたぬか漬けを母親に食べてもらうと、「うん、おいしく漬かってる」と、ちょっと得意げに、とてもうれしそうにしていました。
もともとはお酒が大好きだった母ですが、最近はほとんど飲まなくなってきました。体調がいいときには少しだけ嗜なみます。この日は僕が漬けたぬか漬けをアテに。
今の暮らしのカタチは、今しかないついつい、今の暮らしがずっと続いていくと思ってしまい、日々をなんとなく過ごしてしまいます。でも、そんなことはなく、今の暮らしのカタチは、今しかない。最近はそう痛感し、一日一日を大切に過ごしていこうと、あらためて感じています。
猫のコロンさんもかなりの高齢で、16歳。人間の年齢でいうと80歳以上だそうです。夏に元気がなくなってしまい本当に心配したのですが、最近では元気を取り戻し、日々気持ちよさそうに日向ぼっこしています。
さてさて、わが家の下田暮らし、これからどうなっていくのか?そのときそのときに必死に考えて、そのときそのとき自分ができる精一杯をやっていきたいと思います。
夕食はわが家に来て食事をすることも多いです。食後に、妻と娘がなにやらデザートをつくってくれるという。待っている間に猫のコロンとの戯れを楽しむ母。施設に入っていたら持つことのできなかった時間です。
P.S.母を施設に入れないことを決めたとき、「まだ施設に入れないで、もう少し自分が面倒みてやろうと思う」と、妻に伝えたら、「このまま施設に入れてしまったら後悔するのでは? と心配していたよ」
そう言って、一緒になって母の世話をこれまで以上にしてくれる妻には感謝しかありません。
文 津留崎鎮生
text & photograph
Shizuo Tsurusaki
津留崎鎮生
つるさき・しずお●1974年東京生まれ東京育ち。大学で建築を学ぶ。その後、建築家の弟子、自営業でのカフェバー経営、リノベーション業界で数社と職を転々としながらも、地方に住む人々の暮らしに触れるにつれ「移住しなければ!」と思うように。移住先探しの旅を経て2017年4月に伊豆下田に移住。この地で見つけたいくつかの仕事をしつつ、家や庭をいじりながら暮らしてます。Facebook Instagram