
「夜中に屏風から抜け出して暴れるトラを捕まえてほしい」…殿様の頼みに応えようとする坊主、その名もヒトヤス。「一休さん」の説話として知られるエピソードから始まる漫画「美坊主ヒトヤス」が話題を呼んでいる。
殿と修行僧がとんちを交えて知恵比べをする話かと思いきや、屏風から飛び出して来た男・虎之介がスマートフォンを持っていることが判明し、話は意外な展開に。
どのような発想からこの斬新な設定が生まれたのか。漫画だけでなく、イラストや小説、エッセイまで手がけている、作者の猫野サラさん(@nekonosara28)に話を聞いた。
■思いつきで投稿した漫画が大好評!連載希望の声で長編に
現在note上で7話まで公開されている「ヒトヤス」は、猫野さんが昨年描いた漫画が元になっているそう。
「昨年初頭、SNSに年始用の4ページ漫画を公開しようと思い立ちました。干支であるトラをモチーフにした話を考えていたところ、ふと昔のアニメ『一休さん』で、一休が屏風のトラを退治していた場面が頭に浮かびました。自分なりに話をひねって描いてみたところ、思いのほか好評で、一部の方から連載を希望する声も寄せられました。そこで長尺で描いてみる気になったのが、この漫画の始まりです」
アニメで馴染みのあるかわいらしい一休さんとは異なり、ヒトヤスは美しい青年の姿をしている。
「漫画を描き始めたころはコミカルタッチの画風だったのですが、描き慣れてきた1年ほど前から、もともと好きな耽美風の絵で描きたいと思うようになりました。この漫画はあくまでトラをメインに描きたかったところへ、美しいお坊さんがオマケについてきた感じです」
漫画を描く際に参考にしているものを聞くと、「テンポ感で言うと、たとえば佐々木倫子さんの漫画『動物のお医者さん』のように、登場人物がわりと真顔でおもしろいセリフを言ったり、おかしな行為をするという、少しシュールな世界観が好きです。また、落語やコントの掛け合いのような“よく練られたユーモアのあるセリフ”を自分の漫画のキャラにも言わせる傾向が、少なからずあるように思います。構成について、ネームを描くときは、映画を撮るカメラの目線を取り入れているところがあります。特に名前を挙げられる監督や作品はないのですが、邦画よりはよく見る洋画(群像劇などドラマ性の高いもの)の影響を多少受けているかもしれません」と教えてくれた。
■「興味のあるジャンルはなんでも描いてみたい」多彩な登場人物それぞれにこだわりも
時代を超えたような描写やかっこいい年上女性に惹かれる女子高生など、「ヒトヤス」にはさまざまな要素が取り入れられているが、制作時にジャンルは意識していないという。
「自分の漫画を特定のジャンルに当てはめるのが苦手で、公開時のカテゴライズやタグ付けにいつも苦心しています。得意分野がどのジャンルなのか、自分ではさっぱりわからないのですが、興味のある世界はなんでも描いてみたいと思っています」
無愛想ながら優しさも見せる武士・田沼や似顔絵が得意な修行僧・永明など、作中にはメインキャラクターから脇役まで多彩な人物が登場する。主人公のヒトヤスがやはり1番好きという猫野さんだが、ほかにもお気に入りがいるという。
「自分では意外だったのですが、JKのカリンが気に入っています。最初は単に虎之介の友達としての役まわりしか考えていなかったのですが、早とちりで無邪気なカリンが場を引っかきまわすのが段々と面白くなってきて、当初の予定よりも出番がずいぶん増えました。憧れの巴とデートの場を設け、カリンのほっぺを赤くさせるのが、今の楽しみのひとつです」
キャラクターを描く際に気を付けているのは、描き始めたころの顔つきや容姿が、話数が進んでも大きく変わらないようにすること。
「技術的な面では、左右反転した時にデッサンが狂っていないかチェックするように心がけています。また、主人公のヒトヤスは、やはり読者に最も注目されるキャラだと思うので、所作を含めた美しさや優雅さを念頭に置き、より丁寧に描いています」
物語の中心となる虎之介はトラの姿で屏風に閉じ込められていたという不思議な存在で、現代的な言葉遣いの理由がだんだんと明かされていくのが見どころ。猫野さんにとっては楽に描けるキャラクターだという。
「素直で感情豊かだし、よく喋るキャラでもあり、自由奔放な性格は、描いていてもペンがのります。田沼との掛け合いなども、本編に関係ないところまで進みそうになって、自重することがよくあります」
反対に、描くのに苦労したキャラクターを尋ねると、「出番は少ないですが、ヒトヤスと共に修行している永明や、エステサロンを経営している権藤社長です。いつも怒ったような顔をしている人の顔は、すべてのコマで同じような表情になってしまい、違いを表すのが難しくて、ほかのキャラより描き直す回数が多いかも。描きにくいという理由で、出番が少なくなっているような気もします」と話してくれた。
ヒトヤスをはじめ、モデルがいるキャラクターも。「アニメ『一休さん』で言うところの、ヒトヤスは一休さん、田沼は新右衛門さんがモデルです。また、巴は巴御前からイメージしましたが、現代に生きているのでそのままというわけではなく、バリキャリ的な共通点を持たせました。その他のキャラはすべてオリジナルです」
■当時の雰囲気を再現できるよう、衣装や小物は詳細に調べている
アニメなどの「一休さん」では室町時代が描かれているが、「ヒトヤス」は架空の年代と場所が舞台。一方で、裏設定ではやはり室町時代の初期(1400年ごろ)をイメージしているそう。しかし、猫野さん自身は、歴史が得意というわけではないんだとか。
「実はまったくの歴史音痴で、この漫画を描くための下調べには大変苦労しました。インターネットでにわか知識を仕入れたり、ちょうどそのころに始まったNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を見たり、戦国時代を描いた漫画を読んだりして、室町前後を勉強しました」
作中に登場する着物や持ち物にもこだわる。「衣装や小物はかなり細かく調べたつもりです。絵に描くとなると裏表や、扇子を手に持ったときのサイズ感なども把握する必要があるので、インターネットや当時の衣装本、時代劇ドラマなどを見て調べ、キャラごとに資料を作りました。また、当時の寺や村、屋敷の様子なども同様に、できるだけ再現できるよう、手元に参考資料を準備しました」
キャラクターごとの設定や裏話はnoteにも公開されており、猫野さんの細部に至るこだわりが伺える。
気に入っているシーンについては、「第1話の、虎之介が屏風から飛び出してくるシーンは、やはり読者にいちばん見ていただきたい箇所です。そのあとの、ヒトヤスや田沼とのやりとりも楽しんでもらえたら幸いです。もうひとつは、3話と6話で巴が部下の小林と焼き鳥屋さんで話すシーン。仕事帰りの1杯という何気ない日常は、自分で描いていても楽しく、一緒にビールが飲みたくなります」と教えてくれた。
■これからもシュールな世界観を持った物語を作り続けていきたい
「美坊主ヒトヤス」には熱心な読者も多い。「最初に4ページ漫画『虎と一休』を公開したときから、ヒトヤスを熱烈に好いてくれている方が複数いらっしゃいます。第4話を公開したあと、次の5話が完成するまでに半年ほど間が空いてしまったのですが、それでも公開するとすぐに『ヒトヤス様!』と推しのアイドルのように呼んでいただき、この漫画を描いてよかったとつくづくうれしくなりました」
気になるヒトヤスの今後について聞くと、「ストーリーは最後まで決まっています。第8話か9話で完結する予定です」とのこと。さらに、「ヒトヤスについては、完結後に全話とスピンオフ漫画を加えて、1冊の同人誌を作りたいと思っています。ほかには、読み切りの短編漫画を描いたり、小説を書くのも好きなのでそちらにも取り組むかもしれません。いずれにしても、シュールな世界観を持った物語を、これからも作り続けていくつもりです」と展望を話してくれた。
「美坊主ヒトヤス」はnoteにて連載中。現代のキャリアウーマンとヒトヤスが電話でつながったり、虎之介の正体が判明したりと、見逃せない展開が続いている。登場人物たちの行く末を最後まで見守りたい。
取材・文=上田芽依