緑のgooは2007年より、利用していただいて発生した収益の一部を環境保護を目的とする団体へ寄付してまいりました。
2018年度は、日本自然保護協会へ寄付させていただきます。
日本自然保護協会(NACS-J)の活動や自然環境保護に関する情報をお届けします。
「幻の鳥」とも言われるイヌワシ。しかし、実はその暮らしには人の営みが深くかかわっています。
イヌワシ(Aquila chrysaetos)は、北半球の高緯度地域に広く分布する大型で勇壮な猛禽です。現在のところ、世界では6亜種が認められていますが、その内、最も小型で地理的に極めて局地的に分布し、個体数が少ないのが日本に生息する亜種ニホンイヌワシ(A.c.japonica)です。
世界的に見ると、イヌワシの主な生息場所は草原地帯や低潅木地などが広がる開けた自然環境で、日本のように森林に覆われた山地に生息しているのは極めて特異なことです(図1)。
なぜ、森林に覆われた日本の山地にイヌワシが生息できたのでしょうか? それを解き明かすには、日本のイヌワシがどのような獲物を、どこで、どのように捕えているかや、生活史を調べることが不可欠です。
イヌワシは「風の精」とも呼ばれ、翼の形を変えるだけで、自由自在に空を翔ることができる並外れた飛翔能力を持っています。獲物は基本的にはウサギ類・ジリス類などの小型~中型の哺乳類、ライチョウ類・キジ類などの小型~中型の鳥類ですが、その高い飛翔能力を活かしてキツネやシカ、アネハヅルなどの大きな動物を襲うこともあります。日本イヌワシ研究会の全国調査では、日本のイヌワシはノウサギ・ヤマドリ・大型のヘビを主要な獲物としていることが明らかになっています。
秋になると、つがいはディスプレイ飛行(求愛飛行)を始め、断崖の岩棚(岩場が無い場合には大木)に大きな巣をつくります。産卵数は通常は2個で、抱卵期間は約42日です。最初に孵化した雛は後から孵化する雛をつつき回すため、2番目の雛は親からの給餌を十分受けることができず死亡することがあり、これは「兄弟殺し」として、世界的に古くから広く知られています。
雛は孵化後、約70~80日ごろに巣立ち、親鳥について狩場に行き、その技術を習得します。その後、独立・分散し、おおむね4年で成鳥となり、つがいを形成するようになります。その生活史の中には、イヌワシが日本で生きるために獲得してきたさまざまな特徴が見られます。日本のイヌワシたちはこれらの特徴を獲得することで、個体群を維持してきたものと思われます。
さらに、これらの特徴に加え、日本人の森林資源のさまざまな利用もイヌワシの個体群維持に大きくかかわってきたのです。
イヌワシは「孤高の鳥」や「秘境の鳥」と思われていることが多いのですが、実は日本人にとって、とても身近な鳥であるばかりか、日本人が森林資源を持続的に利用するという自然とのかかわり方をしていなければ、日本でイヌワシが個体群を維持することは難しかったかもしれないのです。
イヌワシがどのような環境で狩りをしているかについては、私たちが鈴鹿山脈で調査をした結果があります。図2は、あるイヌワシのつがいの狩場の環境を、繁殖状況が良かった時期(1978~1984)と繁殖状況が悪化してきた時期(2008~2012)に調査した結果です。
いずれも、秋から春の落葉期には夏緑広葉樹林をよく利用しています。そして、樹木が葉を広げる夏の時期(展葉期)には、カルストの草地・低灌木や伐採地、といった「開放地」をよく利用していました。この開放地は、自然開放地と人為的開放地のふたつに大別できます(写真1)。自然開放地は、急峻な多雪地帯や標高の高い尾根部に見られる草地・低木群落、カルストの岩場・草地、高山帯の裸地・草地・低木群落などです。人為的開放地は、薪炭の生産や木材の搬出などによる伐採地、茅葺き屋根のための茅刈り場、焼畑地、採草地などです。
これらの開放地が全国各地の山間部に散在していたからこそ、展葉期にも狩りを行うことが可能となり、日本のような森林国にもイヌワシが生息することができたのです。
ところが、08~12年の結果をよく見てみると、ある変化が見られました。落葉期には夏緑広葉樹林が、展葉期にはカルストなどの草地・低灌木がよく利用されている点は変わりありませんが、大きく異なっているのは伐採地の利用が無くなり、空中での狩りが見られるようになった点です。伐採地の利用が無かったのは、伐採地そのものが無くなったからで、狩場が激減した結果、やむを得ず空中で獲物を攻撃していることが背景にあると考えられました。イヌワシの高い飛翔能力を持ってしても、空中での狩りは成功率が低く、イヌワシにとっては食糧事情がより厳しくなっているといえるでしょう。
現在、日本でイヌワシが絶滅の危機に陥っているのは、日本人の森林とのかかわり合いに劇的な変化が生じたことが大きな要因です。
変化のひとつは、戦後の燃料革命により、日常生活で薪・木炭を使用しなくなったことです。このため、全国至る所で行われていた炭焼きがなくなり、森林内の開放地は激減しました。また、生活様式の変化により、人々が維持管理してきた茅刈り場や採草地といった草地も激減しました。
そして、イヌワシにとって大打撃を与えたのが、1950年代から始まった拡大造林政策による森林の人工林化です。スギ・ヒノキを植栽するために森林をどんどんと伐採していたころには狩場となる人為的開放地が増加したものの、その後、輸入木材の価格低下などによって生育した人工林が伐採されなくなり、1980年代後半から狩場としてまったく利用できない人工林が急増していったのです。また、伐期を迎えた人工林が伐採されないことで、新たな伐採地が創出されなくなってしまいました。
このような影響により、私たちのフィールドである鈴鹿山脈でも1980年ごろには6つがい生息していたイヌワシが現在ではわずか2つがいになっています。全国的にも減少の一途をたどっています。
森林国である日本でイヌワシが生き続けることができた要因を整理すると、表のように①自然開放地、②成熟した夏緑広葉樹林、③森林のギャップや林縁部、④人為的開放地といった場が必要であることが分かります。つまり、日本でイヌワシがこれからも生息し続けていくためには、もともと存在する自然開放地は厳重に保護するとともに、森林の約4割を占めている人工林を適正に管理することが不可欠です。適地でない場所に植栽されたり、手入がされていなかったりして、採算に合わない人工林は自然林に戻すとともに、国産材の需要を促進し利用・更新することが、イヌワシの保護に有効であるばかりでなく、災害の防止や林業の振興にもつながるのです。
国土の約7割を占め、日本人の生活と文化をはぐくんできた森林資源を持続的に有効に活用することが、実はイヌワシが未来にも日本に生息していくために最も重要なことなのです。
世界で最も小型
亜種ニホンイヌワシは世界で最も小型のイヌワシです。小型化は次の点に有利に作用したと考えられています。
まず、日本列島のような独立した島の中で限られた資源(獲物の種類と量)を有効に利用して生存できるようになります。また、小型化することによって小回りが利き、森林内の小さなギャップや林縁部などのわずかな空間も利用することが可能となります。さらに、小型化により限られた面積に生息できる個体数を増加させ、遺伝的な多様性を確保し、個体群の維持にも有利となったのです。
つがいでの狩り
ヘビを多食
世界的にはイヌワシの主な獲物はウサギ類やキジ目の鳥類などです。日本のイヌワシもノウサギ・ヤマドリを主食としていますが、ヘビが出現する育雛期には、林縁部に多いヘビを多く捕え、ヒナの重要な食物としています。つまり、狩場が限られる展葉期にヘビを主要な獲物として利用できたことが繁殖活動の維持を支え、ヘビを多食するという特異なイヌワシとなったのです。
はげしい兄弟殺し
●山﨑 亨
出典:日本自然保護協会会報『自然保護』No.544(2015年3・4月号)
※本コラムの執筆者である山崎亨先生が講師を務めたNACS-J市民カレッジ(略称:Nカレ)の講座「ニホンイヌワシは生き残れるか?」を動画で特別配信中。チャンネル登録をしてぜひご覧ください。