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Vol.26 子育ての楽しさ…「子育て力」を伝えたい
子育て研究家/ 新井美里さん

  • 2013年8月30日

助産院での自然なお産

小笠原

二人目を出産直後の新井さん
二人目を出産直後の新井さん
 小笠原での移住をきっかけに、「シンプルに自然に生きることが自分の中の軸になってました」という新井さん。
 「実は私、1人目を授かる前に不妊症と診断され(無排卵月経症)西洋医学の治療法ではなく、代替医療での不妊症改善を行うために様々な書籍を読んで自分なりに勉強していた時に出会った本があります。それは医師であり、助産師でもある大野明子先生が書いた『分娩台よ、さようなら』という本です。この本を読んで、『すごい!こんなに自然で、人間本来の力で出産をする方法があるんだ』と驚いたのです。この本に出会ったことで、全体の10%にも満たない『助産院でのお産』に興味を持ちました。
 一人目は、母から『何かあったらどうするの?』と、初孫誕生で心配をかけるのもどうかなと思い、病院の分娩台の上で出産しました」

 病院でのお産は「赤ちゃんを産ませてもらう」場所だと感じたという新井さん。助産院は全く根本的な考えが違い「赤ちゃんを自分の力で産む」ということで、そのためには妊娠中から厳しい自己管理が求められます。
 「食生活、運動、体質改善、お産は予防医学だと、お世話になった『助産院もりあね』の院長田口さんがおっしゃってましたが、本当にその通りだと思いました。自分の力で出産するために最善の努力をしていくのです。
 そして2人目にして念願の助産院での出産。当時3歳だったお姉ちゃんと、母が立ち会い、出産しました。母がへその緒を切ってくれて、あまりの穏やかで自然なお産スタイルに『ああ、出産ってこんなにいいものなのね。感動したわ』と言っていました。
 実は自然の中で暮らすのは大好きだけど、ジャンクな物も大好きな私。妊娠中は禁煙・禁酒をし、食生活に気をつけながら体重管理をして、今でもあの時は自分なりにとても頑張った妊婦生活でした。

 そして3人目も助産院で出産。予定日を過ぎても陣痛が来なくて、家の前の神社でお姉ちゃん2人とかくれんぼをしていた最中に陣痛が始まり、徐々に本格的な陣痛が始まってきたので、主人と母を呼び5人で助産院へ。助産院到着後、みんなの立ち会いのもと約30分で無事出産。超安産な3人目でした。へその緒は今度は主人が切りました。
 私が自然なお産、助産院での出産を選んだ理由はたった一つ。女性本来が持つ人の『産む力』を試してみたかった。そして赤ちゃんが持つ『産まれる力』を最大限に活かしてあげたかった。出産は子どもにとって記念すべき人生最初の誕生日。だからこそ、自然な出産というプレゼントを母としてしたかったのです」

東日本大震災で臨月帰宅難民に

 新井さんは、3人目の出産を1ヶ月後に控えた2011年3月11日、あの大地震が起きました。その日はちょうど臨月に入ったこともあり、産休前の最後の会社通勤の日。帰りの電車で、原宿駅で大地震が。

新井さんの3人の子どもたち
新井さんの3人の子どもたち
 「その日は平日でしたので、小学生の姉は学童に、妹は幼稚園に通っており、すぐに川越には帰れそうもないことを察知し、家の近くに住む義祖母に連絡をして子どもたちを迎えに行ってもらうことに。電話するだけでも電話ボックスには長蛇の列。どうやって帰ろうか、バスはギューギューでとても臨月の身で乗ることはできない。電車は再開するかな、と期待をしていた夕方、原宿駅のシャッターがいきなり閉められ『ああ、これで帰れなくなったな』と落胆したのを覚えてます。
 駅近くのカフェは異常事態にどこも突然の閉店。駅前のドトールだけが営業していて、まずはお茶でも飲んで今日のことを考えよう、とスマホで近くのホテルを探したり、避難所を探したり。そこに相席になった女性が、突然『あれ?もしかしたらお腹大きいですよね?』と声をかけてくれて、女性の彼氏が近くに住んでいて、一緒にどうですか?とお声をかけて頂き、臨月でお腹も張ってきたこともあり、ご好意に甘えてカップルのご自宅に1泊させて頂き、お鍋をご馳走になり、ベッドまでお借りしました。この時ほど、人の温かさを感じたことはありません。
 この出来事を私のブログで紹介したところ、週刊ポストの記者さんからご連絡を頂き、匿名で記事が誌面に紹介されました」

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