子育て研究家/ 新井美里さん
Profile
1977年静岡県生まれ。1996年よりWEB制作に携わり、2001年フリーランスとして活動。NHK制作プロダクションに所属し、教育番組サイトWEBディレクターとして携わる。2008年、ママと赤ちゃんのボディセンスを高めるヨガプログラムの普及、講師育成を行う株式会社ベビーヨガアソシエイトを設立。2013年、新しい子育て支援の場として「子育てを学ぶ・楽しむ・地域密着型ママの学校:ママガク」を立ち上げ、9月にお台場ヴィーナスフォート内に「ママガクお台場校」開講。
プライベートでは自然と旅、音楽、子育てを愛する3児の母。不妊症をきっかけに補完代替医療に興味を持ち、人間本来の力を呼び戻す自然な生き方を取り入れる。助産院で次女を出産したことがきっかけで、その「助産院もりあね」の広報として関わる。
今回ご紹介する新井美里さんは、短大在学中にインターネットの会社でアルバイト、そのまま就職。当時はYahoo! JAPANが設立されたばかりのネット創成期。徹夜続きの激務に心と身体の限界を感じて、以前から行ってみたかった小笠原諸島へ移住を決意。そしてそこでの生活がその後の生き方の基盤に・・・。
小笠原諸島へ移住を決意した新井さんは、10代後半から始めた波乗り仲間から情報を得て、父島で住み込みのアルバイトを探して移住しました。父島は東京から南へ1000kmの場所にあり、東京竹芝桟橋から船で25時間。島の誕生以来、大陸と一度も陸続きになったことのない島で東洋のガラパゴスと呼ばれています。
「実は私の旧姓は小笠原。小学生の頃、地図帳で発見してから同じ名前ということはきっと祖先なのだろうと勝手に思い込み、行ける日を夢見ていたので、実際に小笠原に到着して、あまりの自然の素晴らしさに当初は3ヶ月の予定が結局1年間父島に住んでしまいました」という新井さん。
「人口は2000人程度。天正20年に信濃国深志城城主の小笠原貞頼が発見したと言われております。その後南洋諸島に移住した島民たちが父島に移住したことから始まります。当時は携帯電話が通じてなかったので、内地(本土)の友達に電話する時は島の電話ボックスから一瞬でなくなるテレカを大事に使いながら連絡を取ってました。
父島での生活は自然のリズムと共に暮らす、と言いたいところですが、実際は住み込み先のアルバイトが17時から夜中2時までの焼き肉&スナック&ビリヤード&カラオケ屋さん。島唯一の娯楽複合施設です。
夜中2時過ぎに寝て、朝5時に起きて波乗りに行ってから寮に戻って朝食。昼間は海で泳いだり、海辺で流れてきたガラスを拾って創作したり、麻ひもを使った編み物、ビーチ沿いをスケートボートでクルージングしたり、自然の中にあるもので遊びも物も自分の手で作り出す生活を満喫してました」
そんな楽しい移住ライフを楽しんでいた新井さんは、ある日、テレビから流れる様々な新商品のCMや情報を眺めていると「これだけ情報が溢れる中で自分にとって必要な情報って何だろう。人は情報に振り回されて疲れているのではないだろうか」と思ったのです。「ここ小笠原は、何もないのが普通の生活。余計な情報に左右されずに、シンプルに自分の生き方ができる。私は今、『自然・音・旅』という自分の軸が小笠原に移住したことで確立できたからこそ、もう一度、大好きだったインターネットの仕事に戻ってみよう、と決意し、島から当時の『とらばーゆ』を取り寄せて、履歴書を送り、都内の制作会社に再就職。ちょうど1年移住して、小笠原諸島から引き上げました」
新井さんはその後、出産後も子どもたちを連れてもう一つのホームグランド、父島へ旅してます。一番上のお姉ちゃんは小笠原に4回、今年5月には3番目の末っ子も父島デビューをしました。