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Vol.04 40代だから感じられる“5番目の季節”
“the 5th season”主宰 平岡 恵さん

  • 2007年3月1日

異業種コラボユニット“the 5th season”主宰 平岡恵さん

音楽がつないだ仲間が…

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 3人それぞれの作品が醸す不思議なケミストリーを、お客さんは意外なくらいすんなり受け入れてくれていると平岡さんは話す。川島さんの歌に惹かれるお客さんのほとんどが、シーボーンアートやウッドクラフトにも興味を持ち、話を熱心に聞いて、ときに気に入ったものをその場で買っていってくれる。海浜清掃に来てくれるようになったお客さんもいる。the 5th seasonの活動が、無垢材を使った家具を広め、海浜清掃の輪を広めていく。同じ音楽に共感する人たちが、楽しみながら自らがいい循環を作り出す主体になっていく。

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 「音楽がつないだ仲間と海を楽しみながら歩くうち、自分だけの作品を作れるようになって、また作品が増えていくほど海も浜辺もきれいになっていく・・・。これって素敵ですよね。」
 海浜清掃から始まるアートは、肩の力を抜いてできるささやかな、それでいて確かな一歩。何より楽しんで続けられるのがいい。「海の声を聞いて涸れることのないエネルギーをもらった」と話す平岡さんの活動は、きっと失ったアンテナを取り戻すきっかけをくれるはずだ。平岡さんとthe 5th seasonの夢はまだまだ広がる。


■取材後記  川良 麗子 フリーライター

 浜辺の漂着物を拾う習俗は、古くは“浜廻り”と呼ばれ、利用可能な流木や畑の肥やしになる藻など、打ち上げられる“寄りもの”は人々にとって貴重な資源だった。江戸時代には、日本海沿岸に大量の流木が打ち上げられ、それが朝鮮半島で起こった大規模な土砂災害がもたらしたものであることを、長崎の異国船からの情報で知ることもあったという。“寄りもの”は、それを拾う人たちにとって、外の世界を知る手がかりにもなっていたというから面白い。
 ところが、今回の取材の原稿をまとめようとしている最中、信じがたい“寄りもの”が北海道知床半島に現れた。真っ黒の重油にまみれた大量の海鳥の死骸だ。3月末現在で、5338羽(3月29日斜里町発表)。まだ記憶に新しい1997年のナホトカ号重油流出事故の1315羽を大きく上回る。漂着していない死骸も含めると、実際の数は5万とも6万とも言われている。オホーツク近海での事故の報告はなく、現在は「原因不明」のままで黙々と回収作業が進んでいる(4月1日現在)。
 重油の重みで体の自由を奪われ、極寒の海で凍りつき、そのまま波濤に砕かれるようにして漂着した海鳥の姿は、強烈に私たちに何かを語りかけている。私たちが毎日消費するプラスチック、合成洗剤、化学繊維、ガソリンのために、巨大なタンカーが今日も遥か海を渡ってやってくる。その過程で原因もわからないうちにこのような事故が起きているという事実は重い。いつの時代も、漂着物は世界を語る。そのメッセージを真摯に読み取るアンテナを現代の私たちは果たして持っているだろうか。“浜廻り”という言葉はとうの昔に失われてしまったが、まったく新しい感覚で浜辺を歩き始めた人々がいることに、わたしはほのかな希望を感じている。

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