Vol.3 ジュートバックに賭ける夢 Part 2
ダッカより寄稿
Mother House 代表 山口絵理子
2006年3月9日に株式会社としてスタートしたマザーハウスは、ネット販売を開始し順調に売上を伸ばした。そして東急ハンズ渋谷店にて販売が開始されることとなり、関西スパイガールというファッション雑誌にもバッグが掲載された。
在庫が稀少になったという嬉しい悲鳴と共に私は急遽バングラデシュに行き増産及び新商品の生産を決意した。
驚くべきことにバングラデシュは2002年から環境保護の目的で、全国のレジ袋を廃止している。現在各スーパーではジュートを初めコットンやポリエステル製の薄手の袋や紙袋などが無料で提供されている。
レジ袋の廃止は2001年10月1日に政権の座についたBNP(Bangladesh National Party)が同年12月中旬に発案し、翌月1月に試行されたもの。当時バングラデシュの街は捨てられたレジ袋で溢れており、首都ダッカは世界一大気汚染のひどい国として知られていた。CNGと呼ばれる三輪小型タクシーやリキシャのタイヤには道路に捨てられたレジ袋が絡まり横転を繰り返し、排水口はレジ袋によって遮断された。こういった悲惨な状況を打破したのがジュートバッグである。
現在ではポリエステルやコットン、紙袋が出回るようになったが当時耐久性、強度、吸湿性などバッグに適した機能を備えたジュートバッグはレジ袋の代替品として同国の環境を救った。化学繊維の台頭により昨今では輸出額が減少傾向にあったが、直近では欧米各国の環境ブームの煽りを受けバイオプラスティック、自動車内装、複合材、建材等へのジュート繊維の活用が徐々に進んでおり、再び主要な輸出品目となりえる可能性を秘めている。
途上国の中の途上国でありながら環境問題への取り組みの面で一歩先を歩いているバングラデシュ版地域循環への取り組みは非常に興味深く、日本も学ぶべき点があると思われる。
ジュート工場の様子。ジュート産業はバングラデシュの特に社会の最下層の人々に多くの雇用機会を創出している。
私は前回の記事中に「良い知らせを持ってまた工場のみんなと会える日を夢見て」と書いていた。この夢が2ヶ月後の今、実現した。
3月23日、深夜1時10分。ダッカ国際空港着。
相変わらずの喧騒と暗闇の中、感じる懐かしさ。
東急ハンズのタグがついたバッグ、緑のgooの記事、バッグが掲載されたファッション誌の切り抜き、そして日本での売上記録とお客様の声を持って、私は着いたその日に工場へ向かった。
工場に着いた。革とジュートの臭い。
嬉しいような懐かしいような何とも言えない気持ちでドタン、バタンと音がする方へ向かった。
一歩足を踏み入れるとみんなが振り返った。
でもみんな笑顔一つ見せない。(やっぱり私のこと忘れちゃったのかな・・・。)
「マダム!!」「やっぱりマダムだ!!」「マダムが来た!」「え!!マダムじゃん!!」
(覚えていてくれた。)
「わぁー、みんな元気??」
「元気、元気!!」「写真できたぁ?この前撮ったでしょ?みんなで。」
「できたよー。でも今日はもっといいものがあるよ。」そういって東急ハンズのタグがついたバッグと、緑のgooの記事を見せた。
「なにこれ?」予想通りの反応だった。
「東急ハンズっていうのは日本ですっごく大きいデパートなんだよ。そこにみんなのバッグ置いてくれることになったよ。」
「え?デパート?」「おっきいスーパー。」「トウキョウにある?」
「うん。東京にあるよ。」
「何でそんなところに置いてもらえることになったの??マダムの会社立てたばっかりじゃん。一人で行ったの?」
「あはは。うん。そうなの。立てたばっかりなのに私もびっくり。日本のみんなが応援してくれて、何よりデパートの人がみんなのバッグ「いい!」って言ってくれたからだよ。がんばったものね。」
「ほんと?? すごい、すっごーーい!!! うん!僕達めっちゃくちゃがんばったもの!でもマダムが帰ってくるとは思わなかったよ。」
「なんで?」
「だって、、、、」
「もーーみんなまでえりのこと信じてくれてなかったってわけね!!」
「だって、、、マダム小さいし、若いし、始めたばっかりだから日本で売るのすっごく大変だと思って。」
「正直だなぁー。もーー。みんなのバッグがいいから売れただけでしょ。」
「うん。。。。」「ありがとう。マダム。」
バングラデシュに滞在した2年間、ここの国の人たちは、「ありがとう」と言う習慣がないことにいつも疑問を思っていた。
別に「ありがとう」と言って貰いたい訳ではないけれど、人に何かしてもらっても当たり前の顔をして過ぎ去って行く人たちを見て、こういうところが本当に貧しい部分だと心から思っていた。
ここにいる工場のみんなからも今まで聞いたことがなかった。だから今日、工場のみんながその言葉を発した時、私はびっくりしてしまった。
モノを売ることによって自信をもって、そして自力で前に進むんだ、という強さを私は身に付けてもらいたかった。けれどもっと大事なこと、人に感謝する気持ちをみんなが知らない間に身につけていてくれたなんて最高に嬉しい。今までの辛さがふっとんでしまったし、勇気をふりしぼって一歩踏み出した自分にとって最高のプレゼントだった。
驚きと感動で「どういたしまして」と言うのも何か違う気がした。
戸惑っている私の横で、いつもクールで冷静な工場長ラッセルさんが緑のgooの記事を見て発狂した。
「おい!これエリコ、君の写真じゃないか!!」
「はい。これ環境にやさしい商品とか活動を紹介するサイトで記事を掲載させて戴いたの。次のページみてみて♪」
「WOW!!! It’s my factory !!!! 」
「うん!ラッセルさんの工場、工場のみんなの写真、日本のみんなが見てくれたよ!!」
「I’m so happy, I’m so happy, thank you Eriko thank you Eriko・・・・・」
ラッセルさんは興奮状態で呪文のように同じ言葉を繰り返していた。
正直、工場に入る前はこれからまた新しい商品を注文するにあたって、しなければならない交渉のことで頭がいっぱいだった。でも工場のみんなの笑顔、工場長の興奮した様子を見て、これから始まるお金の話で頭がいっぱいだった自分がとっても馬鹿らしく思えた。
みんなの笑顔を前にして、私がやるべきことは交渉を考えることではなく、みんなのこの一瞬の顔を心に焼き付けることだと思った。
これがマザーハウスの活動の根幹なんだと改めて感じた。頑張れば頑張っただけ報われる社会を目指して。今日みんなが感じた喜び、興奮は必ずみんなの自信になり未来への原動力になると信じています。
立ち上げてからの日本での2ヶ月間。嬉しいこともあったけれど辛いこともたくさんあった。でも今日その全てをこうやって共有できる人たちが遠い異国、バングラデシュにいて、今私の目の前で東急ハンズのタグが引きちぎられそうになるくらい、興奮してはしゃいでいる姿を見ることができ、心から全てに感謝したいと思った。