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Vol.133 幸せ/不幸せの基準だって、見直してみるタイミングかもしれませんよ。 

  • 2013年10月24日

 みなさん、こんにちは。全国ツアーが快調に進むゴスペラーズの北山陽一です。

 前回は、「5アンペア生活」の記事に触発されて、僕も自分の暮らしの電力消費について見直してみようという気になったというところまで書きましたが、その後の僕は冒頭に書いた通り、ゴスペラーズの全国ツアーに突入してしまい、ツアー自体は順調なんですが、個人的な電力生活の見直しには取りかかれないままになっています。でも、“見直し意欲”は相変わらず高いですよ。だって、単純に楽しそうだなと思うんですよね。自分が何をやっているのかということ、さらにはそれをやるために外からもらっているエネルギーについて詳しくなるというのは楽しいと思うんです。例えば自分の体のことを考えてみてください。自分が摂っているエネルギー分に詳しくなっていれば、体調に合わせておいしく食べられるものを選べるようになりますよね。同じことが、生活全体についても言えると思うんです。 例えば“5アンペア生活”を実践すれば、テレビを見ることもなくなるでしょう。でも、家に帰って来たら何も考えずにテレビをつけるという生活よりも、“今日は本を読もうか”とか“今日はちょっと凝った料理を作ろうか”とか、毎日そのときの気分を自分で見極めて時間の過ごし方を考えるほうが楽しいと思うんです。自分の調子に合わせて何をやるか考えるということは、最初は面倒臭く感じることもあるでしょう。でも、その時期を通り越したときには、確実に自分の生活の質を上げられると思うんです。もちろん、習慣を繰り返す気持ち良さというものもあるとは思います。「まずはビール」とかね(笑)。ただ、今は、大きく言えば、この国がおかれている現在の状況は、自分の生活のなかのそういうものを一つずつ捉え直してみるタイミングなのかもしれないなと思うんですよね。

 そこでひとつ気をつけたいのは、“これは正しいのか正しくないのか?”みたいな肩肘張ったものさしで考えるのではなくて、素朴に“こういう生活は幸せかなあ?それとも不幸せになるかなあ?”みたいな観点で見直してみるのがいいんじゃないかと思うんです。しかも、その幸せ/不幸せの基準自体を、あらためて見つめ直してみるということがポイントだと思います。

 言うまでもないことかもしれませんが、幸せ/不幸せについて、絶対的な基準はないですよね。誰かにとっての幸せが誰かにとっては不幸であることは現実にあるし、その逆もあります。それを決めるのは、その人がそれまでに培ってきた“普通”という感覚だと思うんです。自分の“普通”との重なり具合によって、“普通こういうことをしてくれるでしょ”ということをしてもらえなかったら不幸せに感じるだろうし、“普通こうはならないよね”ということをしてもらえたら幸せに感じるだろうし。ただ、その「普通」をみんなが持ち出してくる場合に、それは世の中の人がみんなそういうふうに考えることだと思いがちだけれど、じつはそれぞれの人間が自分の経験のなかで培ってきた、かなり個人的な感覚なんですよね。

 ここでちょっと話は飛ぶんですが、人間の細胞というのは脳や神経や骨を除けば3ヶ月で入れ替わると言われています。その科学的な事実と僕の実感がまさに今日結びついたんですよ。と書くと、なんだか一大発見のようになってしまいますが、どういうことに気づいたかというと、僕のこれまでの経験に照らし合わせたときに、うれしいことも辛いこともたいていは3ヶ月あれば慣れてしまうんですよね。ということはつまり、細胞が3ヶ月単位でちょっとずつ変化していくように、“普通”もだんだん変化していく、と。言い換えると、自分の気持ちを大きく揺らした嬉しさや悲しみにも3ヶ月も経てば慣れてしまって、普通のことになってしまうというわけです。もちろん、骨の入れ替わりがほかより遅いように、深い傷が癒えるには3ヶ月では足りない場合もおおいにあると思います。脳細胞や神経細胞のように代謝しないものが傷ついたら、それを補うのは残った細胞のネットワークです。これも人生を生きる上で示唆に富んでいると思います。ちょっと頭でっかちすぎますかね……

 というわけで、今回は自説を主張したところでお終いです(笑)。この続きは次回ということで。どうぞ、お楽しみに。


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