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Vol.122 今年も「うた」の講座をやってます。

  • 2013年5月23日

 みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

 じつはもう始まってから約1ヶ月経ってしまったんですが、今年も母校の慶応大学湘南キャンパスで「うた」という講座を持っています。

 基本的な内容は去年と同じですが、僕自身の考え方がちょっと変わったところもあって、ひとつは去年やってみて、僕が何を伝えようとしているのかということがはっきりわかったということがあります。それから、僕がその講座でやっていることはじつに慶応義塾っぽいと言われたんです。「半学半教」という考え方で、それは福沢諭吉の時代にはよく言われていた考え方のようですが、確立したものを教壇の上から僕が学生に押し付けるのではなくて、お互いに教え合い学び合うということですね。というわけで、今年は去年以上に面白くなりそうだなと思っています。

 そもそも“うた”というものには確立された正解なんてないわけで、例えば「あなたにとって“うた”とは何ですか?」と聞かれて、その答えにテンプレートのようなものはないですよね。答えとしては「わたしにとっては、こういうものです」ということがあるだけで、それは人それぞれ違うということもみんな自然なこととして受け入れているし、さらに言えばそのことをことさら確認し合う必要はないと思っていますよね。でも、ちょっと考えてみればすぐ気がつきますが、そういうものって世の中にはすごくたくさんあるでしょ。そこで!正解がなくてもとくに問題のないもの代表として、“うた”というものについて、わざわざ詰めて考えていくという、普通に生きている分にはやらないようなことを敢えてやってみて、自分が元々持っている“うた”についての感覚がより鮮明になったり、意外な形をしていることに気づいたり、というようなことを体験してみようというのがこの講座の最初の一歩であるわけです。その上で、その“うた”を自分に取り込み直すことによって、大げさに言えば、生きているということが変わるはずなんです。つまり、僕が教えているのは“うた”という授業なんだけど、でも本当に伝えたいのはひとつの気づきによって生きていくこと全体についての意識が変わるということなんですよね。

 言い方を換えると、例えば自転車はどうして進むのかという、そのメカニズムを詳細に理解している人はあまりいないですが、それを理解すれば自転車に乗るという行為がまったく違って感じられるであろうということは想像がつくと思います。そういう意識の変換を僕の専門である“うた”でやろうということです。それは、ある種のラーニング・プロセスにつながっていて、そういう理解の仕方をすると物事の本質というか、“なんで俺はこれができるようになったのか?”、逆に“なんでできないのか?”、“できるようになるためには何をやればいいのか?”、といったことが見えてくるんですよ。そして、そういうことがわかっていれば、自分がまったく触れたことがないような事柄に直面してもアプローチの仕方が変わってくると思います。そういう力が、これからの時代にはすごく必要だと僕は思っていて、実際のところ、これから10年も経てば今はまったくないような職業が生まれていたり、考えもしなかったデバイスが出てきて、それをどう活用すればいいのか作った人でさえあまりよくわかっていないというようなことにたくさん出くわすと思います。そういう事柄にどうアプローチするか、ということに関してすごく役に立つ考え方なんじゃないかな、と。で、それは一度わかってしまえば、すべてに応用できることで、だからできないことを自分の周りに並べておいて、どれかひとつできるようになったら、他でも試してみるっていう。そういうふうにやっていくと、すべてのできないことは、自分ができるようになることのタネだ、と捉えることができて、それは非常にポジティブに生きていくことにつながるという話なんですよ。で、せっかく人に教える場を持てるのであれば、そこをちゃんと伝えたいということに去年気づいたというわけです。テーマがはっきりしたら、あとは技術的な問題を解決すればいいだけですから、これはきっといい授業ができるんじゃないかなと自分自身に期待しているところです。その成果については、また機会があれば報告します。


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