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Vol.113 2012年版「みなさんの質問に答える」その2

  • 2012年12月27日

 みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

 前回に続いて、みなさんから寄せられた質問のなかからスタッフがピックアップしたものにお答えする企画。今回はその第2回です。早速、最初の質問です。




“鋭敏であること(自分の頭で考えることや身体的な感度を高めること)”の重要性と、“(多様性を)許すこと”の重要性について、北山さんは繰り返し述べてらっしゃるかと思います。それぞれを単独で考えた場合まったく異論はないのですが、両者は時にぶつかるのではないかと感じています。“許す”にはある種の鈍感さが必要になるのでは?鋭敏な認識をした上で、あえて鈍感な反応を選ぶというスタンスになるのでしょうか?ただ反応については思うようにコントロールできない領域もあります。それに人体にホメオスタシス機能がある以上、認識と反応を完全に分離するのは難しいでしょうから、認識が鋭敏になることで反応の融通が利かなくなるということが起きるのではないでしょうか?Vol.106あたりが関連するかと思いますが、タフさ・優しさを作るのは鋭敏さなのか鈍感さなのか、自分の中で結論が出ずにいます。


質問された方が言われている「鋭敏な認識をした上で、あえて鈍感な反応を選ぶ」というモデルも成立するとは思うんですが、でも僕が考えていることとはまったく違います。僕は、“許す”ためには知らなければいけない、と思うんです。だから、“鋭敏”でないと“許す”ことはできないということなんですよね。平たく言うと、なんとなく“これ、許せないな”と思っているのは、そのことに対する理解が足りないということだと僕は考えるということです。例えば、何かのミーティングで違う意見が出てきた、と。その違いを探っていったときに、じつはやりたいことは同じなのかもしれない。でも、立ってる視点や前提になっている指針が違うから、やりたいことは同じでも意見が違うということがありますよね。逆に、言ってることは同じでもその根本を突き詰めていくと、最終的にやりたいことはまったく違っているということもありますから。

 いつでもどこでも100%鋭敏であり続けるのはすごく大変だと思いますが、少なくとも自分のなかで“?”が浮かんだ事柄については鋭敏であり続けることによって道は開けるというか。“この人は苦手だな”とか、“これはやりたくない”と思ったことに対しても、どうしてそういう気持ちになるんだろうということを考えていけば、苦手な人が好きになることはないにしても、うまいコミュニケーションの取り方がみつけられるはずだし、嫌だなと思うことについてもしかるべき落としどころをみつけることが必ずできるんです。それなのに、嫌だから、苦手だからということで向き合うことを止めてしまうと、その嫌なもの、苦手なものを変えられる可能性がなくなっていくということなんですよね。“許す”ことができないと思ったものに直面したときに、自分はなぜそれが“許す”ということができないのか、まず考えてみる、と。その上で、出た結論を相手に伝えるかどうかは優しさの問題になってくるんですけどね(笑)。
 それと、考えや立場の多様性をどんどん受け入れていくと、多様性マップのなかで自分という存在がどういう位置にいるのかということも見えてきます。どういう場合でも、やっぱり自分をセンターにおいて考えがちですが、多様性マップで自分がセンターに位置することはほとんどないですよね。もちろん、主観的にはセンターにくるはずですから、それと客観を分けるという必要があると思います。イメージとしては、googleマップで自分の現在地を示すとセンターに来るけど、カメラをグッと引いて俯瞰で見ると自分の位置を理解できる、みたいな感じでしょうか。そのミクロの視点とマクロの視点を自在に往復できるようになれば、ずいぶん世界が開けると思います。そこを目指して、僕もがんばっています。





北山さん、こんにちは!いつも楽しく拝読しております。Vol.100 世の中が変わっていくなかで、何を基準にしてエコを考えればいいのか?の回で、エコの取り組みを進めるモチベーションや判断の基準として、個人の倫理観や美意識、さらには品性をベースにする考え方があります。僕自身、そういうところからエコを考えている部分もけっこうあるんですが…と、おしゃっていますが、例えば、まったく自分と相反するエコへの考え方を持った人がいたとしら、北山さんは許容できますか?あまりに考え方の基準が違った場合、許容するのは、中々パワーのいることかなと思ったりしたのですが、いかがでしょうか?

ひとつめの質問の答とも重なりますが、相手の考え方が自分の考え方とは違うと思ったときには、“なぜ?”と考えるのがいいということだと思うんです。例えば、持ってる知識も同じ、いま実際に行動しているアウトプットも同じ、だけど前提としている考え方が違うという場合もあるわけですが、それは問題ないというか、どちらが正しいかは時間が解決してくれるというようなことだと思うんです。むしろ、いろんな考え方があるほうが健康だと言える場合もあるくらいですから。でも、基本的な考え方が同じでもアウトプットが自分とはまったく違う、正反対のことをしているという場合もあります。例えば、ペットボトルの取り扱いについて、一般的なエコ意識の高い人と僕とはまったく逆ですよね。そこで、そのまったく逆の行動をとる人を許容できますか?ということなら、とりあえず僕は自分の考えや自分が持っている情報、知識を全部出します。「こういう現実があって、こういうふうに考えると、こういうふうにするのが自分が気持ちいいから、こういうふうにするんだ」って。それは、相手を説得するのが目的じゃなくて、自分を説明するということが大切なんです。で、できれば相手にも説明してもらう。そうしたら、多分お互いのやり方を認め合うということになるんじゃないかと思うんですよね。エコについてのやり方や考え方はいろいろあっていいと思うから。エコシステム自体がすごく多様なんだから、向き合うやり方もすごく多様であるのが普通なんじゃないでしょうか。

 エコという言葉は、新しい言葉だし、しかもいろんな内容を吸収合併してできたような言葉だから、その言葉が指している内容はじつに多様なんですよね。エコなことをしよう!と言ったときに、自分の家の周りを掃除するのもエコ活動だろうし、吸い終わったタバコの吸い殻を携帯の灰皿に捨てるのもエコ活動なのかもしれないし。つまり、100万人に向けて「エコ活動、用意スタート!」と言ったところで、全員が同じことを始めたら気持ち悪いでしょっていうことを、もっと普通の感覚として持つ人が増えたらいいなと思うんですよ。「謳って!さん、はい!!」って時に、全員が同じ歌を歌い始めるのと同じようなもんですよね、これきっと。逆説的かもしれないけど、多様性への許容って、そういうことなんじゃないかな。





 最後に、たくさんの質問を寄せてくださり、ありがとうございました。質問を見ていると、みなさんがとても熱心に読んでくださっていることが伝わってきて、非常にうれしかったです。いつものことながら、全部の質問に答えられないのは申し訳ないところですが、ひき続き、よろしくお願いします。

 それから、今回が今年最後の更新です。
今年も1年間ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。良い年をお迎え下さい。

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