2024年5月に1st Alubm『凡才』をリリースするアーティストのimase。これまでにCMタイアップソングやドラマ・映画の主題歌となった楽曲も多く、4月にはマクドナルドとタイアップした『Happy Order?』を発表。若い世代を中心に話題となっています。
そんなimaseが音楽を始めたのは20歳の頃。メジャーデビュー後も実家のある岐阜県で過ごしていましたが、昨年春に上京しました。これまでの人生と、音楽との出会いについて振り返ります。
――昨年春に上京するまでは岐阜にある実家に住んでいたそうですね。
imase そうです。かなり山奥なんですが、最寄りのコンビニまで車で約5分、カラオケまでは約30分かかる場所に住んでいました。でも上京するまで、その距離を「遠い」と感じたことはなかったんですよ。中学生まではカラオケへ行ったこともなくて、高校へ進学してから学校帰りに寄るようになりました。米津玄師さんやRADWIMPSさんの曲をよく歌っていましたね。
実家の蔵を友達と遊ぶ場所としてよく使っていました。僕はお酒が飲めないけど友達が飲むので1階にバーカウンターとダーツ、2階に麻雀卓を置いていました。楽器を持ちよって、バンドっぽい遊びをしたこともあるんですよ。上京後も蔵はそのままにしているので、友達が時々遊びに来ているみたいです。
――上京する時に実家に置いてきた物はなんですか?
imase 引っ越しする時は、友達と車に荷物を詰め込んで一緒に運転しながら来たんです。だからあまり荷物が積めなくて、機材と服を少しだけ持ってきて、家具なんかは実家にほとんど置いてきました。
――imaseさんの幼い頃の将来の夢は何でしたか?
imase サッカー選手です。小学5年生から高校までサッカーをしていて、中学3年生まではJリーグ下部組織のクラブに所属していたくらい本気で目指していたんです。リオネル・メッシさんに憧れていました。
ただ、当時は身長が150センチくらいと低く、体格差に挫折したんです。そこから家業を継ごうと決めて、地元の高校へ進学しました。
――高校卒業後はご実家の会社へ就職したんですか?
imase そうです。家業のお手伝いで、見積書を作ったりしていました(笑)。
音楽を始めたのは20歳から。高校時代の友達がアコースティックギターを買ったのに憧れて、自分も買ったんです。YouTubeなどの動画を見ながら練習して、だいたい3カ月くらいで少し弾き語りができるようになりました。
――周りに音楽を嗜んでいた方はいたんですか?
imase 父は少しギターが弾けますね。あと、姉が昔ピアノの先生をしていました。
実家の事務所にはピアノがあって、幼い頃は遊びで弾いたりしていましたけど、きちんと習ったことはなかったんです。今は、制作に使うくらいにはピアノが弾けるようになりましたけど、「ちゃんと習っておけばよかったな〜」と思います。そうしたら、もっと違う曲を作曲していたでしょうね。
――作曲活動に興味を持ったのは、いつからですか?
imase ギターを始めてから音楽に関する動画を観るようになって、その中に30秒間のショート尺でオリジナル曲を投稿している方がいたんですよね。それを見ていたら自分も作りたくなったんです。
僕は本当に音楽に関しての知識がなくて、作曲のために必要な機材とか、サビやAメロ、Bメロの構成はインターネットで色々調べました。それからいろんな人の曲を聞いて、「こういう構成がいいんだな」と研究しましたね。
当時、1万円くらいのマイクと、3,500円くらいのMIDIキーボード、それに20万円くらいのMacのパソコンを買いました。高価だなと思ったけど、仕事にもパソコンは必要だし、「ついでに曲が作れるならいいか」と奮発しました。
――SNSへオリジナル曲を投稿することは、作曲を始めてからすぐに思いついたんですか。
imase 作曲した曲を友達に聞いてもらったら、「SNSにアップしたほうがいいよ」と勧められたんです。それから最初にYouTubeへ楽曲だけを投稿して、すぐにTikTokで歌った曲をアップし始めました。
「どんな反応があるのかな」って投稿を躊躇する気持ちもあったけど、顔出しもしないし、人物は特定されないだろうからいいかと割り切りましたね。当時は裏声と地声を混ぜた歌をアップしていました。
――そうやって投稿していたら、ユニバーサルミュージックから声をかけられたんですね。
imase そうです。音楽を始めたばかりの頃にX(旧Twitter)のアカウントにDMをいただきました。「怪しいな」と思ったんですけど(笑)、実際に話をしてみたら寄り添ってくださる方ばかりだったので、「じゃあ一緒にやっていこう」と思えました。
そこから、「テレビ番組のオーディションに参加してみないか」と声をかけてもらってテレビ番組『〜夢のオーディションバラエティー〜Dreamer Z』の『TikTok弾き語りシンガー ドラマ主題歌オーディション』コーナーへ出演。残念ながら3次審査で落ちましたけど、その後メジャーデビューして今に至ります。
そのオーディション番組をきっかけに、高い音域のファルセットで歌い切る曲を作るようになりました。僕はもともと自分の地声があまり好きじゃないんですけど、ファルセットだったら許せると言うか、人に聞いてもらっても大丈夫だなという感覚があるんです。それで「弾き語りをするなら、裏声を一つの武器にしよう」と決めて出演しました。
ファルセットで歌い切る曲はJ-POPにあまりないので、自分が音楽を学んでこなかったからこそできた曲かなと思っています。
――今日までの音楽人生で、最も心に残ってる場面を教えてください。
imase 初めてライブをした日ですね。2023年3月に渋谷のライブハウス「WWW」でワンマンライブをしたんですけど、500人以上のお客さんが来てくれて感動しました。
――自分が「売れたな」と感じた瞬間はありますか?
imase 初めて街で「imaseさんですか?」と声をかけられた時、売れたなとかではないですが、少しだけ嬉しかったです(笑)。ポカリスエットのCMで『Pale Rain』が流れた後だったと思います。
「NIGHT DANCER」の発表以降は、街中で声をかけられる頻度がぐんと上がり驚きました。K-POPのアーティストの方々が曲に合わせて「踊ってみた」動画をアップしてくださって、たくさんの人に自分の曲を知ってもらうきっかけになったと思います。
――数年で生活が大きく変わったと思いますが、上京後の生活はいかがですか。
imase だんたん慣れてきました。今は友達も少しできて、この間はフットサルにも参加したんですよ。
――生活が落ち着いたようで安心します。今後の目標を教えてください。
imase 国内外のいろんな人に聴いてもらえる曲を作っていきたいですね。世界で聴かれる音楽の条件って、一つは「ノれる」ことかなと思うんです。Creepy Nutsさんの『Bling-Bang-Bang-Born』もそうですよね。そうやって皆さんに聞いてもらえる音楽も意識しつつ、ゆくゆくはダーク系や地声を張る曲、アップテンポの激しい曲にも挑戦したいです。
――新しいジャンルの曲を開拓すると、ファンが離れないか心配になりませんか?
imase 不安は感じないですね。僕が思うに今の時代、アーティストの新しい側面を面白がる傾向があると思うんです。だからもともとのスタイルを大切にしつつ、「こういう曲もできるんだ」という新しい発見を伝えたい。その方が聴いていても飽きないように。
あと、ライブの経験がまだまだ少ないので、パフォーマンス力ももっと向上させていきたいですね。最近はダンスのレッスンも受けているんです。
僕に対してクールな印象を受ける人が多いみたいですけど、そんなことはないので気軽にライブに遊びに来てほしいです(笑)
imase(いませ)
2000年生まれ。岐阜県出身。20歳の頃に音楽活動を開始。TikTokへ投稿したオリジナル曲が人気となり、2021年に『Have a nice day』でメジャーデビュー。2023年に発表した『NIGHT DANCER』は韓国配信サイト「Melon」総合チャート93位を記録し、J-POP初のTOP100入り(最高位17位)を果たす。2024年5月15日1st Alubm『凡才』をリリースする。
文=ゆきどっぐ
写真=平松市聖