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さっそくライバル店へ偵察に行った愛。食べたパスタはアフリカの漁師風…?/小説「潮風テーブル」第5回【全5回】

  • 2024年2月8日
  • Walkerplus

「潮風テーブル」(喜多嶋隆/KADOKAWA)第5回【全5回】

湘南の港町にある素朴な魚介レストラン「ツボ屋」、別名「ビンボー食堂」。店主である女性・海果が、中学生の少女・愛や町の人々の助けを借りて細々と経営している。町が観光客で賑わい稼ぎ時となる夏、大型台風の到来やライバル店のオープンなどが重なり未だかつてないピンチを迎えてしまう。「お前には用がない」と戦力外通告された過去をもつ海果と、家族がバラバラになってしまった愛――それぞれが心の傷を抱えながらも、いまの自分の居場所を守るために奔走する。心温まるヒューマンドラマと美味しそうな料理の数々が魅力的な「潮風テーブル」の冒頭部分をお届け!
※2023年10月3日掲載、ダ・ヴィンチWebの転載記事です

■5. そのパスタは、アフリカの漁師風
「それがね……」と、トモちゃんが口を開いた。

「笑っちゃ、愛に悪いんだけど……」と言った。すると愛が口をとがらせ、

「笑いごとじゃないよ」と言った。その顔が紅潮している。

トモちゃんが話しはじめた。

二人は、20分近く並んで店に入ったという。

「あの30パーセント割引のチラシがあるから、かなり混んでた」とトモちゃん。

それでも二人は店に入り、パスタをオーダー。食べはじめたという。

「食べ終わったあとなんだけど、愛がトイレに行ったんだ」

トモちゃんが言った。

「行ったのはいいんだけど……」と愛。

トイレは、当然、男性用と女性用がある。そこで、愛は一瞬迷ったという。

普通なら、女性の方に入る。けど、いま愛は男の子のふりをしている。

「迷ったんだけど、思い切って男性の方に入ったんだ」と愛。

そうしたら、同級生の男の子がそこで用をたしていたという。

男性用といっても、個室はあるが、いわば立ちションできるようにもなっている。

そこで、同級生のカマタという男の子が立ちションをしていたという。

「そのカマタがふり向いて……わたしと顔が合っちゃったんだ」と愛。

「で?」とわたし。

そのカマタという子は、すぐ愛に気づいた。そして、なんと、

「お前、男のトイレ覗きにきたのか。スケベなやつだな」

と言ったらしい。愛は、あわてて男性トイレを飛び出す。女性のトイレで用をたし、テーブルに戻ったらしい。

「テーブルに戻ってきた愛がベソかいてるんだ。〈クラスでスケベ女って言われちゃう〉って」

トモちゃんが言った。

「そこで、わたしはカマタをつかまえて、店の外に引っ張り出したんだ」

とトモちゃん。この子は、工務店の娘だけあって気が強い。

「カマタって、もともとエッチなやつで、ついこの前、わたしたち女子バレー部の更衣室を覗いたのがわかっててさ」

「へえ……」とわたし。

「だから言ってやったよ。愛が男子トイレに入ったのは単なる間違え。でも、あんたが更衣室を覗いたのはバレてるんだからねって」

「で?」

「更衣室覗きの件を大っぴらにされたくなければ、さっきの愛は見なかった事にするんだね、そう言ってやった」

「そしたら?」

「カマタ、がっくりうなだれてたわ」とトモちゃん。

「で、最後に言ってやったよ。誰があんたのちっこいチンポコなんか見るもんかって」

店に笑い声が響いた。

「モンゴウイカ?」

わたしは訊き返した。愛が、うなずいた。

「確かに、モンゴウイカを使ってた」と言った。

〈パスタ天国〉で、シーフードを使った〈ペスカトーレ〉、つまり〈漁師風パスタ〉を頼んだという。

880円だったとか……。湘南の店としては、かなり安い。

そこに使われてたイカが、モンゴウイカだったという。

モンゴウイカは、漢字で書くと〈紋甲イカ〉。主に海外で獲れるイカだ。最近では、アフリカ沖とかで獲ってくるらしい。

身が厚く、大量に水揚げされるから単価が安い。

わたしは、ふと、お爺ちゃんの怒った顔を思いだしていた。

あれは、わたしが小学生の頃……。

ある日、お爺ちゃんは漁師をやっている仲間と逗子の居酒屋に吞みに行った。その店で、モンゴウイカの刺身が出たという。

そんな儲け主義の店だったらしい。

〈イカなら、目の前の相模湾で山ほど獲れるのに!〉

〈なんでわしらが、海外で獲った冷凍物を食わなきゃいかん!〉

そう言って、お爺ちゃんたちは店のオヤジと喧嘩してきたらしい。家に帰ってきても、プンプンしていた。

日頃は穏やかな性格なのに……。

わたしは、そんな事を懐かしく思い出していた。それは、もう戻る事のない日々なのだけれど……。

1時間後。

「何してるの?」わたしは愛に声をかけた。

トイレの件から、かなり立ち直った愛が、ノートに向かい何か書いている。

「人件費がこれで……」などと小声でつぶやき、何か計算をしている。

「あの〈パスタ天国〉の経営がどんなか、計算してるんだ」と愛。ノートから顔を上げた。

そして、説明しはじめた。

「まず、あそこはバス通りで路線価が高いから、もちろんテナント料も高いよね」と愛。

ろせんか……。わたしの知らない言葉だった。けど、そこは知らん顔。

「要するに、土地代が高いって事だね」とトモちゃん。

「そう……。だから、テナント料が高い。で、席数も多いから、人件費も極端には削れないよね」と愛。

「となると、削れるのはやっぱり食材しかないんだ」と言った。

「沢山あるチェーン店で、まとめて仕入れしてるのね」とわたし。

「そう……。だから、相模湾に面した葉山の店で、アフリカで獲ったモンゴウイカが出てくるわけだ」

と愛。腕組みして、

「まあ、薄利多売の典型かも」とまた難しい言葉を使った。

そして、〈パスタ天国〉のチラシを出した。

メニューの中、〈漁師風パスタ〉そこにボールペンで〈アフリカの〉と書き加えた。

アフリカの漁師風……。「やるね、経理部長」とわたしは苦笑い……。

翌日。午前9時。

「暑くなりそう……」わたしはつぶやきながら、身じたくをしていた。

これから昼までの3時間、一郎の船でマヒマヒ釣りに行く。店で使う食材の調達だ。

ハワイ語で〈マヒマヒ〉、日本語で〈シイラ〉。

美味しい白身魚だけれど、日本人にはなじみがない。見栄えが、美味しそうではない。

そんな理由で、ほとんどの人が手を出さない。

あるときの鮮魚店、1メートル近いマヒマヒが200円で売られていた。それでも、売れないようだった。

ときどき、岸壁に捨てられているのを見る事もある。

丸い眼を見開いて捨てられている姿は、物悲しい……。

美味しい魚なのに、見栄えが悪いから捨てられている。〈お前には用がない〉と戦力外通告されて……。

そんな光景を見るたびに、わたしの胸は切なくなる……。

そのマヒマヒを食材として使うため、わたしと一郎は釣りにいこうとしていた。

もう7月の終わり。真夏の陽射しが、カリカリと照りつけている。

いつでも頭から水を浴びられるように、ワンピースの水着。その上にショートパンツを穿いた。店を出ようとすると、

「はい、これ」と愛。何かのチューブを差し出した。見れば、

「陽灼け止め……」わたしは、つぶやいた。

「そっか、いちおう塗っといた方がいいよね」とつぶやく。自分の肩に塗ろうとした。すると、

「ダメだよ、海果」と愛。

「ダメって……」

「それは、一郎に塗ってもらうんだよ」

「一郎に?」と訊き返す。愛がうなずき、

「まったく奥手なんだから……」と言った。

「だいたい、陽灼け止めって、男の人に塗ってもらうものなんだよ」愛が言った。

「それって、どこで教わったの?」とわたし。

「漫画」と愛。

そうか……。最近、愛は漫画を読み放題の無料アプリをスマートフォンに入れた。それで、しょっちゅうラブコメ漫画を読んでいる。

「海果、一郎といい線いきかけてるのは、わかってるんでしょう」と言った。

「はあ……」

「とりあえず、陽灼け止めを肩に塗ってもらうとか、そういうスキンシップで一歩前進だよ」と愛。

「はいはい」とわたしは苦笑い。

〈このませガキ〉の言葉は吞み込んだ。陽灼け止めを、デイパックに入れた。店を出た。

ザバッ!

船のへさきから飛沫が上がった。

ガラス玉のような飛沫が、真夏の陽射しを浴びて光る。

一郎が操船する小型の漁船は、小さな波を切って、沖を目指す。

港から南西に向かっていた。

練習している大学ヨット部のディンギーをかわし、さらに葉山沖へ……。

10分ほど走ったところで、速度を落とす。一郎は、2本のルアーを船の後ろに流した。

これで、マヒマヒがかかるのを待つ……。

青というより紺色に近い夏空。

白いソフトクリームのような雲が、もり上がっている。

まだ9時半なのに、陽射しは強い。

そこで、わたしは思い出した。愛が渡してくれた陽灼け止め……。そうだ、あれの出番だ……。

かたわらに置いたデイパック。そこから、陽灼け止めを出しかけた。

そのとたん、ジャーッとリールが鳴った。









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