サイト内
ウェブ

まるで“日本文化”のるつぼ!旅がもっとおもしろくなる「佐渡島」のヒストリーとは

  • 2023年2月16日
  • Walkerplus

世界文化遺産登録を目指す「佐渡島(さど)の金山」が最も栄えた江戸時代。佐渡にはさまざまな職人、商人などが日本各地から移り住み、人々とともに各地の文化や技術も持ち込まれた。それが土地の風土とミックスして独自の発展を遂げたという。全国的に有名な「佐渡おけさ」をはじめ、踊り、芝居などの郷土芸能、鉱山技術の生活への応用…島の暮らしに育まれたその背景を知ると、旅はぐっと深みを増す。佐渡島の旅が2度3度と楽しくなる興味深いストーリーを、佐渡の郷土史に詳しい新潟大学名誉教授(民俗学)の池田哲夫さんに話を伺った。

■桶屋が佐渡を支えた⁉鉱山を中心に発展した島の技術
池田さんとの待ち合わせは、池田さんが長年学芸員として務めていた(現在は退職し、佐渡博物館の館長を務めている)両津郷土博物館。目を引くのは、池田さんの身長の2倍もありそうな大きな大きな味噌桶だ。側面には棟梁の名前も確認できる。

「直径3メートル、高さ3メートルもあり、4人家族が100年食べても食べきれない量の味噌を一度に作れる、日本一大きい味噌の仕込み桶です。これだけ大きいと棟梁がいるんですよね。水が漏れないように大きな榑(くれ。桶の側面の木)をぴったり合わせるというのは大変な技術です」と池田さん。

大きな桶を作る技術が表すように、佐渡島内の鉱山や生活を支えたものの1つには、「桶屋の存在が大きい」と池田さんは語る。桶屋の技術が島のさまざまなところで生かされているという。

1つは、坑道で使われている「水上輪(すいしょうりん)」。水上輪とは、鉱石を掘る際に坑道内に湧き出る水をくみ上げる道具のこと。ヨーロッパで開発された「アルキメデスポンプ」と呼ばれるもので、江戸時代に日本に伝わったこの道具は、「3メートルほどの細長い桶の中にらせん状の羽根が組み込まれているもので、桶作りでは最高の技術が必要です」という。

金銀山の発展とともに人口が爆発的に増え、食料の必要性に迫られた佐渡島。その際に活躍したのも、なんと桶屋の技術だ。

「食料として動物性たんぱく源を確保するため、先進的な漁法・はえなわ漁を石見銀山のある島根県・石見から漁師を招いて取り入れたんです。浮きと重りを交互にセットして、魚の生息場所に合わせた深さに入れるんですが、マゲと呼ばれる浮きに使われたのも“桶”です」と池田さん。しかも、遭難した場合はそれを救命胴衣代わりにしたというから、桶の汎用性の高さと人々の知恵に驚かされる。

こうした高い技術は、ついには「人が乗りながら安心して作業のできるハンギリ(たらい舟)を生み出した」という。

ハンギリは、島の南西部・宿根木でみられる磯ねぎ漁で使われるたらい舟のこと。舟の端に乗って箱眼鏡で海中をのぞき込み、サザエや海産物などをとる伝統漁だ。高齢化が進んでいるものの、現在でもハンギリに乗って漁をする姿を見ることができる。また、旅行客も観光用の「たらい舟体験」で、その安定性を体感することができる。

「人が安全に乗れるものができるというのは、桶屋の技術の高さを象徴しています。金銀山で重要な位置を占めてきた桶作りの技術は、人びとの生活をいかに豊かなものにしてきたか。鉱山の湧き水の問題、人の生活…そう考えると金銀山は桶でもっていたところも半分あるのではないかと思うんですよね」

ほかにも、金銀鉱山で使われた江戸時代における最先端の土木工法は、水田開発や道路の改修工事などにも応用されたという。金銀山があるから各地から人が集まり、それが人々の営みにも深く関わり、今の佐渡島があると考えると、「佐渡島の金山」の歴史はまさに島の歴史でもあるのだ。

■能をはじめとする庶民に親しまれた芸能がすごい!

全国各地から人が集まるということは、生活だけでなく文化・風習にも大きな影響を与えることにもなる。佐渡には金銀山があるほか、北前船により人や物が往来したため、「日本文化のるつぼ」といわれるほど、各地の文化が融合して独自の文化を紡いできたという。

それを色濃く映すのが、「能」だ。

「能」というと、ハードルが高い伝統芸能だと感じる人は少なくないだろう。しかし佐渡では、プロではなく地元の人たちが中心となって演目を舞うという。初代佐渡奉行の大久保長安が能楽師を伴って赴任し、神事能を始めたことが佐渡に能が広まるきっかけだったといわれている。当時は武士が楽しむものだった能だが、佐渡では次第に娯楽を兼ねて農民をはじめとする民衆に親しまれるようになっていったのだそう。

それを象徴するかのような、佐渡に残る能にまつわる方言や風習を池田さんが教えてくれた。

「トンビが天気がいい時にくるっと上空をゆったりと舞う様子を、“トンビが能を舞(も)うとります”というんです。もたもたしているときには“何をそう能舞うとるか”と言ったりね。また、集落の長が次の長に引継ぎをする『帳渡し』では、村人がみんな集まってね、高砂など謡(うたい)を謡うことが慣例なんです。謡えないと一人前じゃないということで、昔の青年団はそれを習うことがたしなみだったんですよ」

最盛期には90カ所以上もの能舞台があったといわれ、今でも35の能舞台が地域の人の手で大切に守り継がれている。こちらはそのうちの1つ、大膳(だいぜん)神社にある能舞台。佐渡に現存する最古のものだそうだ。

社殿に向かって左側の芝生の上に立つ堂々とした茅葺寄棟造りの建物は、1846年(弘化3年)に再建されたもの。現存する能番組のもっとも古い記録は文化年間(1804年~1818年)のもので、建立はそれより数十年はさかのぼると考えられている。「上から見ると屋根が正方形になっていますが、佐渡では四つ屋根などといって、民家の葺き方なんです。かつて屋根は地元の人たちが5年ごとに一隅ずつ葺き替えていました。地区の財産として氏子が守っているんです」と言い、いかに地域に根付き、大切にされてきたかを感じることができる。

島内各所では、初夏を中心に神事能や観光向けの薪能などが催される。大膳神社のように佐渡の能舞台のほとんどは神社にあり、舞台が外にあるため観客は屋外から観能し、夜は必然と幻想的な雰囲気をまとう薪能となる。荘厳な能楽の世界をのぞき、地元の人たちとともに能に親しんでみると、また違った佐渡島の魅力を感じられるに違いない。

能以外にも、佐渡に残る郷土芸能をいくつか紹介しよう。各地の文化が定着・発展を遂げた佐渡はまさに“日本文化”のるつぼともいえる。島内の祭りを中心に見ることができるので、古くからはぐくまれた佐渡島ならではの文化をぜひ肌で感じてみてほしい。

■鬼太鼓(おんでこ)
太鼓の音に合わせて鬼が舞う、島内の多くの祭礼でみられる佐渡固有の郷土芸能。鬼が集落の家々をまわって厄を払い、五穀豊穣や大漁、家内安全などを祈願する。島内には約120もの鬼太鼓保存会があるといわれるほど、島を代表する郷土芸能だ。「豆まき流」「一足流」「前浜流」「花笠流」「潟上流」と大きく5つの系統があり、手や足の動きそれぞれに意味があるそう。

■佐渡おけさ
九州のハイヤ節が北前船によって伝えられ、もとは座敷唄だったものが、鉱山で働く人たちにも親しまれ「選鉱場おけさ」となり、「佐渡おけさ」へと変遷した。現在でも7月に相川地区で開催される鉱山祭では町をあげて歌い踊る“おけさ流し”をする。

■人形芝居
「説教人形」「文弥人形」「のろま人形」の3種類があり、いずれも1人1体の人形を操り、古浄瑠璃形式に独自の改良が加えられたもの。もっとも古いのは、仏教の功徳を説く「説教人形」。説教人形の幕間狂言として発展したのが「のろま人形」で、風刺を交えながら佐渡弁でおもしろおかしく語られる。「文弥人形」は江戸時代に京で流行した文弥節と人形芝居が出合い、明治初頭に創始。どの芝居も国指定重要無形民俗文化財に指定されている。各地の祭りや保存会の上演で楽しむことができる。

<今回訪ねた場所>

◆両津郷土博物館
住所:佐渡市秋津1596/料金:大人300円、小・中学生100円(※15名以上の団体の場合は2割引き:大人240円、小・中学生80円)/時間:事前予約制(冬季間~3月31日まで。4月1日からは予約不要)、8:30~17:00(入館~16:30)/開館可能日:年末年始以外の日/駐車場:50台

◆大膳神社
住所:佐渡市竹田561/料金:無料/時間:24時間/休み:なし/駐車場:40台

※記事内の価格は特に記載がない場合は税込み表示です。商品・サービスによって軽減税率の対象となり、表示価格と異なる場合があります。

※新型コロナウイルス(COVID-19)感染症拡大防止にご配慮のうえおでかけください。マスク着用、3密(密閉、密集、密接)回避、ソーシャルディスタンスの確保、咳エチケットの遵守を心がけましょう。

あわせて読みたい

キーワードからさがす

gooIDで新規登録・ログイン

ログインして問題を解くと自然保護ポイントが
たまって環境に貢献できます。

掲載情報の著作権は提供元企業等に帰属します。
Copyright (c) 2024 KADOKAWA. All Rights Reserved.