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緻密に構成された百人一首の「夏の歌」。意外と知らない百人一首の世界を探求〈16〉

  • 2023年7月25日
  • tenki.jp

和歌の世界で多くを占めるのが四季の歌と恋の歌です。百人一首は恋歌が半ば近い43首を占め、四季歌は32首です。その中で夏は4首しかなく最少ですが、今まさに猛暑なので、夏の歌に注目してみましょう。

持統天皇の和歌

〈春過ぎて夏来にけらし 白妙の衣干すてふ天の香具山〉

最初は、百人一首の二番で、春の季節が過ぎて夏がやって来たようだ、白妙の衣を干すという天香具山だよと、夏の到来を極めて素直に詠んだ歌です。出典は「新古今集」の夏ですが、原歌は「万葉集」にあり、「……夏来たるらし…衣干したり…」とある部分に違いがあります。万葉集の直接的・現実的な描写に比べて、間接的で穏やかな印象があります。
大和三山の一として古代人には格別に親しい、伝説では天から降ったとされる天香具山に、白妙の衣が干されている状況から夏到来を詠んでいます。ここでなぜ「白妙の衣」なのか、その情景について、現代人には具体的にはわかりません。天香具山での初夏の神事に使う衣を干していると説かれるほかに、春霞を比喩したものだとも言われており、藤原定家は咲き広がる卯の花の比喩と理解したとも言われます。現代人は、ただ初夏の爽やかな明るい空の下、山の緑を背景にして薫風の中で翻る白妙の衣を想像して味わうばかりです。

この歌は、持統天皇の和歌としては、初めて勅撰集に選ばれた歌で、それも新古今集の夏冒頭に入っていますが、それ以前は藤原定家の父・俊成が「古来風躰抄」に万葉歌の一首として選んだのみです。以前のコラム(百人一首には順番があった?意外と知らない百人一首の世界を探求〈2〉)では、第一番の天智天皇の歌、

〈秋の田の刈り穂の庵の苫をあらみ 我が衣手は露に濡れつつ〉

とともに紹介しました。天智天皇の歌は、秋の田からの稲の刈り入れが終わった頃、仮造りの小屋には、粗末な刈草を束ねて作った屋根が隙間だらけで冷気が入り込み、仕事後の一休みをしている私の衣の袖は、露でしっとり濡れていますというもので、作者の天皇が農民と一体化しています。

一方、持統天皇の歌での天香具山は、古代人にとっての故郷とも言える親しい山で、その美しく生気に満ちた故郷の景を詠んでいます。
以前のコラムでも書きましたが、古代の天皇の詠んだこの二首は、人と人の住む土地や自然への賛歌として詠まれており、百首の冒頭を飾るに相応しい二首です。

さらに、この持統天皇の歌は夏の到来を詠んでいますから、4首ある夏歌の中で、第一首目としても相応しい選歌だと言えるでしょう。


清原深養父の和歌

〈夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに月宿るらむ〉

次は、百人一首の三六番です。出典は古今集の夏で、「月の面白かりける夜、暁がたによめる」とあります。少し内容を補って訳しますと、夏の夜は短くて、暗くなって間もなく明けてしまった。西に沈むだけの余裕も無く空に残っている月は、雲のどこに隠れているのだろう、となります。

この下句の実際の様子について、古い注釈では、すでに月は西に沈んでいるとされていましたが、出典の古今集や百人一首についての現在見られる多くの本では、空が明るくて月が見えにくくなっているとか、和歌の下句のように実際に雲間に隠れているのだろうとかの説明がなされています。
こうした理解の初めは江戸時代の香川景樹の注釈書「百首異見」に始まるようです。以下に引用すると、
〈夏の夜はさしも短く、まだ宵の間に明け渡りぬるを、なほ中空に照る月は、雲のいづくにか隠れやすらんと云へり。これは、六月の有明ころ、月に浮かれて涼み明かしたる様にて、……〉
とあります。この前半は上に示した訳にほぼ重なりますが、景樹の説明には無理があります。それは、「六月の有明ころ」とあるように、この歌の初めが「宵」(日が沈んで間もない夜)で、夜明けに残る「有明の月」を詠んでいるとする点です。月は、満月が日暮れに東から上り、夜中に中天に達し、夜明けに西に沈みます。そして、満月以前の月は出る時も入る時も全体として時刻が早くなり、反対に満月以後は全体に遅くなって、後者の場合に夜が明けた後でも空に残る「有明」になります。

深養父の歌で、「宵」の段階で月がすでに空にあって、それが満月前の月であれば、出始めが夕方以前で「有明」まで残らず、夜明け前に西に没しているはずです。つまり、この歌の「明けにけり」という時点で、月はすでに空にないということで、景樹以来の解釈は成り立たないと思えます。

この歌は、実際には空にないとわかっている月を、見えないのは沈まずに雲に隠れているのかと心に描いて詠んだわけです。上句で「まだ宵ながら明けにけり」と、いくら夏の夜が短いにしても現実離れした極端な誇張から詠み始めたのですから、下句も現実的でないことは、ごく自然です。すでに西空に沈んだ月が、いまだ空に出ているはずとして詠むことは何ら不自然ではなく、当時の詠法らしいとすら言えます。
同時代で非現実的想像を詠む例は他に何首もあります。その一首を挙げれば、古今集春上の二条后の歌で、

〈雪の内に春は来にけり 鴬のこほれる涙けふや解くらむ〉

春になった象徴としての解氷を、鴬の凍った涙が解けるという非現実的なことを想像して詠んでいます。深養父自身の歌でも、同じ古今集の冬にある、

〈冬ながら空より花の散りくるは 雲のあなたは春にやあるらむ〉

冬のままで空から花が散ってくるのは、雲の上の彼方は春になっているのだろうか、というもので、雪を花に見立てた和歌です。実際にはない花を現実にある前提にして、空から花が降ってくるのだから、「雲のあなたは春」というのは非現実を重ねた想像です。「…ながら」や「雲の…」の語まで三六番歌と同じで、同じ作者だからか構造まで一致しているとみえます。
三六番歌の下句が作者の想像世界の範囲であって、現実には月は空に残っていないと考えることの正当性まで保証しているようです。これらのように、写実ではなく想像する心の世界を詠んでいる歌は古今集時代の歌の一典型になっていて、類例は他に何首もあります。三六番歌もそうした詠法の一首と理解すべきでしょう。

深養父の曾孫が清少納言であり、「枕草子」初段での「夏は夜。月のころはさらなり」は、あまりにも有名です。深養父が描いた夏の月の幻を、清少納言は現実に定着させたとも言えるかもしれません。

藤原実定の和歌

〈ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる〉

三首目は、百人一首の八一番です。出典は「千載集」の夏で、「暁聞郭公といへる心をよみ侍りける」とあり、「暁」を詠んでいる点で二首目と同じです。夜明け間近にホトトギスが鳴いた方角の空を眺めて見ると、ただ有明の月だけが残って見えた、という歌です。
この歌は、百人一首の中で唯一ホトトギスを詠んだ和歌です。ホトトギスは、古今集では夏の和歌全体で34首あるうちの28首で詠まれていて、夏を代表する和歌の題材です。その詠み方の典型を挙げてみます。

〈夏の夜の伏すかとすれば 時鳥 鳴く一声に明くるしののめ〉

夏の夜の床に伏して眠りについて間もなく、ホトトギスの鳴く一声で夜が明けた、という夏の歌。次は恋三の歌で、

〈時鳥夢かうつつか 朝露のおきて別れし暁の声〉

ホトトギスは夢なのか現実だったのか、朝露の置く時に起きて恋人と別れて聞いた夜明け直前の声は、とホトトギスの声と恋人との別れを重ねています。

このように、ホトトギスは短い夏の夜の遅い時間に一声鳴くと詠まれ、恋歌では別れの時刻と重なって詠まれます。実定の歌は恋歌ではありませんが、背後にそのような恋の場面も想像もできます。そして、ホトトギスの姿は目で追っても間に合いませんが、西の空に有明の月がうっすら浮かんで見え、その月に短い夜の名残を感じさせられます。清原深養父の歌と同じく暁ころの時に月を詠みつつも、深養父の、すでに沈んでいて心に描いただけの月とは対比的な情景です。

藤原家隆の和歌

〈風そよぐ楢の小川の夕暮れは 禊ぎぞ夏のしるしなりける〉

四首目は、百人一首の九八番です。出典は「新勅撰集」の夏で、詞書に「寛喜元年女御入内屏風」とあります。説明を加えると、寛喜元年(1229)に、前関白・藤原道家の娘の竴子(しゅんし)が後堀河天皇の后として入内(じゅだい 宮中に入る)する時、祝賀に製作される屏風の絵に添えた和歌だということです。屏風には年中行事が描かれ、この和歌が書かれた絵は、夏の末に一年前半の罪や穢れを祓う禊ぎが描かれており、六月祓(みなつきはらえ)とか夏越祓(なごしのはらえ)と称されます。これは現在でも神社の行事として広く行われています。

歌の内容は、涼しい風が吹いて楢の葉がそよぐならの小川の夕暮れは、夏越祓の禊ぎだけが、まだ夏だという印だったよ、というものです。「ならの小川」は京都の上賀茂神社境内を流れる川で、落葉樹の「楢」を掛けています。この歌は、次の二首を本に詠まれたとされます。

〈禊ぎするならの小川の川風に 祈りぞわたる下に絶えじと(新古今集・恋五)〉

〈夏山の楢の葉そよぐ夕暮れは 今年も秋の心地こそすれ(後拾遺集・夏)〉

一首目は、禊ぎをするならの小川の川風の下、祈りを続けます。二人の仲がひそかに絶えないようにと。二首目は、夏の山の楢の葉が風にそよぐ夕暮れは、もはや今年も秋が来た気持ちがするよ。「楢の風」を共通項にして、二首目を上句、一首目を下句に構成したとも言えそうです。

家隆の歌は、神社の前を流れる清流の辺の楢の葉が夕風に揺れる涼感を背景にした清浄な神事としての禊ぎを行う情景に、静かで落ち着いた情趣があります。しかし、家隆の代表歌とされる歌ではありません。


※公開後、記事の一部を加筆・修正しています(2023.7.30)。

夏歌四首の構成

百人一首の中で夏の歌は以上の四首ですが、その最後に家隆の詠んだ「風そよぐ……」が選ばれて、この位置にあることには明確な意図が覗えるように思います。夏の一首目にあった持統天皇の「春過ぎて……」と家隆の歌を見ると、どちらも清浄な神事に繋がるか関わる場で共通しつつ、夏の初めと夏の終わりの歌で対照されるようになっています。また持統天皇の歌は、百首冒頭の天智天皇に継ぐ二番目に配置されていますが、家隆は最末尾の後鳥羽・順徳両院の直前で、歌人として盟友とも言える定家の直後です。百首全体の冒頭と末尾の近くで季節の初めと終わりの内容ですから、意図的な選歌と配列だと推測されます。

夏の二首目・三首目にも、意図的な配慮を覗うことができます。二首目の深養父の「夏の夜はまだ宵ながら……」は、夏の特色としての短夜を前提にして、夜早くに上った月が、すでに西に沈んだ後の暁の空想を詠んでいます。三首目の実定の「ほととぎす鳴きつる方を……」は、二首目と同じ暁で、夏で最も注目される時鳥の声と、夜が進んでから出たために見られる有明の月を詠んでいて、月によって時節の推移が読み取れる配列になっています。このように、四首は百首の中で極めて構成的な選歌と位置づけがなされていると思われます。


《参照文献》
百人一首 島津忠夫(角川ソフィア文庫)
百人一首 鈴木日出男(ちくま文庫)
百人一首の新考察ー定家の撰歌意識を探る 吉海直人(世界思想社)
百人一首(全) 谷 知子(角川ソフィア文庫)

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