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沖縄芸能に人生を懸けた山入端つるの半生をつづった名著が新版で刊行

  • 2021年9月13日
  • 沖縄島ガール

沖縄芸能の人生を歩んだ山入端(やまのは)つる氏の著書「三味線放浪記 新版」(ボーダーインク)が、このたび発売された。

本書は、13歳の頃から三線を習い、戦後は沖縄からの移住者が多い神奈川・川崎で沖縄芸能の発展に寄与した山入端氏が、1959年10月5日から36回にわたって沖縄の地元紙・琉球新報に連載したコラムをまとめた書籍。

このたびの新版刊行にあたり、旧漢字、旧仮名遣いを新漢字、新仮名遣いに改め、分かりにくい語句に注釈を入れるなど、読みやすくなるよう手を加えられた。

本書の後半でジャーナリスト・三木健氏が「解題・近代沖縄おんなの生きざま」でも記しているが、“校閲”という肩書きで著者と併記されている歴史家・東恩納寛惇(ひがしおんな・かんじゅん)氏による“聞き書き”というスタイルが取られた。

山入端氏の出身地である、沖縄本島北部の名護の矢部(やぶ)の紹介からスタート。山入端氏の祖父が音楽好きであったことから「私の芸能に対する執心は、祖父の血筋を引いたものであろう」という文章と、「私の悲しい運命もまたその遺産かも知れない」という物語を予感させる言葉から始まる。

その後、13歳の時に辻の遊郭に売られ、その年から芸事の手習いを始めていく。19歳になった頃、流れのままに宮古島に渡り、それからも奄美、大阪、東京と転々としながらも、その土地土地で沖縄の芸能を忘れることがなかった。

東京・新橋に開いた自身の店「颱風」で三線を弾く山入端つる

「沖縄の芸能が広いところに出て、見聞を広くしない限り進歩の道はない」「芸能人が自重して自ら品格を保つことによって、芸能の品位を高めねばならぬとかねがね考えている」と、1冊を通して、芸事に懸ける山入端氏の思いが伝わってくる。

本書の意義はもちろんそこにあるのだが、この文章の価値を高めているのは、その当時の沖縄に対する社会的ポジションや文化・風俗が具体的な言葉で伝わってくる点。

「東京ではどこの下宿屋でも『琉球人、朝鮮人お断り』の札」があったり、家を建てた際に建築許可を取りに行ったら「沖縄人には許可しない」と言われたり、沖縄が置かれていた位置が分かり、「サツマイモやジャガイモ(中略)、おかっぼ(陸稲)までも作った」と食糧が貴重だったなど、当時の時代背景が生々しい言葉でつづられている。

そして、終戦後間もなく山入端氏は沖縄に戻るが、沖縄では芸事を披露することを控えていたというが、その理由を「沖縄では芸能の価値がほんとうには理解されていないと考えていた」と、何とも彼女らしい言葉で書き留めている。

また、前述の三木氏の「解題・近代沖縄おんなの生きざま」で、1959年当時、この連載がスタートする背景が詳細に書かれていて、本編以外にも読み応えがあるのもうれしい。

ある種ストイックで凛とした山入端氏の姿勢と、その山入端氏のスタイルを的確な言葉で伝えた東恩納氏の2人だからこそ生まれたこの名著。今回、「新版」という形で刊行されることで、新たな読者に届き、さらなる沖縄芸能の評価につながりそうだ。

「三味線放浪記 新版」
発売中 1,980円(税込) ボーダーインク

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