ミャンマー地震、壊れた宗教的遺産の大きな価値と「深い懸念」

  • 2025年4月8日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

ミャンマー地震、壊れた宗教的遺産の大きな価値と「深い懸念」

 2025年3月28日、ミャンマー北部で壊滅的な地震が起こり、国内各地の歴史的・宗教的遺跡が崩壊した。現地からの報道によると、マグニチュード7.7のこの地震で3000人以上が死亡し、4500人以上が負傷した。その影響は甚大で、2025年4月2日、ミャンマーは4年前の軍事クーデターから続く内戦を3週間停戦することにした。

 また、この地震はミャンマーの社会が機能するのに不可欠な100の仏教寺院と50のモスクを破壊した。震源地が歴史的な都市のザガインとマンダレーに近く、専門家は、ミャンマーの文化遺産の保護とコミュニティの安寧に不可欠なこれらの宗教的遺産の破壊を懸念している。

 ミャンマーの寺院、モスク、僧院、尼僧院は、単なる礼拝所以上の意味を持つと専門家は強調する。それぞれが初等教育の提供や、医薬品の配布、高齢者の介護、孤児や内戦で家を失った人々への住居の提供など、ミャンマー社会において重要な役割を果たしている。

「宗教施設への被害は、コミュニティがすでに感じている弱さを悪化させます」と、シンガポール国立大学でミャンマー史・東南アジア史を教えるマイトリー・アウン・トゥイン准教授は説明する。

 僧院と尼僧院は、ミャンマーの仏教徒にとって不可欠な場だ。仏教徒は僧院と尼僧院を訪れてお供え物をし、功徳を積む。「これらの供物は、日々の食事の施しから、僧侶や尼僧として出家することにいたるまで、あらゆるものが含まれます」と、米ダートマス大学のミャンマー仏教の専門家であるMK・ロング氏は言う。「仏教の宇宙観では、功徳を積むことは、現世と来世の境遇に良い影響を与えると考えられています」

 以下では、ミャンマー各地で被害を受けた宗教的・文化的遺産のいくつかと、これらの喪失がコミュニティにどのような意味を持つのかを解説する。

シュエサーヤンパゴダ

 1000年前までに建てられたと言われるシュエサーヤンパゴダは、彫像と金箔が施された仏塔からなる大規模な仏教施設で、マンダレーの南東約8キロメートルに位置する。ネットに投稿された動画には、地震の余波で仏塔の頂上が崩壊する様子が映っている。9世紀から13世紀の間に建てられたこのパゴダは、ミャンマーにおけるコミュニティの中心地だとアウン・トゥイン氏は言う。

「パゴダは、地元のコミュニティと国内外に広がる仏教徒のネットワークを結びつける場として機能しています」とアウン・トゥイン氏は説明する。

 シュエサーヤンパゴダは、地元の農業サイクルと深く結びついている。年に一度開催されるお祭りでは、米などの作物の田植え、耕作、収穫などを祝う。

「農民、商人、観光客、その他の小規模事業者が、パゴダで開催される祭りにやって来て、地元のコミュニティとその経済が結びつきます」とアウン・トゥイン氏は言う。「したがって、これらの宗教的な場所への被害は、コミュニティの社会構造と経済的な生存手段を崩壊させる可能性があるのです」

次ページ:サキャディタ尼僧院、メ・ヌ・ブリック僧院ほか

サキャディタ尼僧院

 マンダレーの西約8キロメートルに位置するミャンマー最大の尼僧院の一つも、地震によって壊滅的な被害を受けた。サキャディタ・ティラシン尼僧院は、ミャンマー国内の女性の自立を促し、教育する活動で知られている。1998年に設立され、約200人の生徒が試験のため、仏教の経典と上座部仏教の聖典に用いられている古代言語のパーリ語を学んでいる。

 しかし、これらの生徒たちは現在、避難を余儀なくされている。

「少なくとも3つの建物が崩壊し、すべての住居が損傷を受けました」とロング氏は言う。「6人の尼僧と3人の支援者が死亡しました。死亡した尼僧の一人は院長で、2人の教師は重傷を負って入院しています」

メ・ヌ・ブリック僧院

 メ・ヌ・ブリック僧院(マハー・アウンミェー・ボンザン僧院とも呼ばれる)も、甚大な被害を受けた。メ・ヌ・ブリック僧院は、長年活動的ではなかったが、重要な遺産であり、人気の観光名所であり続けてきたと、スウェーデン、ストックホルム大学でミャンマー仏教を研究しているニクラス・フォセウス准教授は説明する。

 1822年にナンマドゥ・メ・ヌ王妃の命によって建てられたメ・ヌ・ブリック僧院は、1752年から1885年まで統治したコンバウン王朝の重要な歴史的建造物だった。1838年の大地震でも被害を受けていたが、第三次英緬戦争で王朝が滅亡して以来、この僧院は内紛と自然の猛威を乗り越えてきた。

 メ・ヌ・ブリック僧院の入り口にある看板には、「コンバウン王朝時代におけるミャンマー建築の最高傑作の一つ」と記されている。その複雑な装飾と多層の屋根は、近隣にあるコンバウン王朝の木造僧院のデザインを反映したもので、これらはまとめてユネスコの世界遺産の暫定リストに掲載されている。

ニュー・マソーエイン僧院

 マンダレーにあるニュー・マソーエイン僧院は、この地域の仏教徒にとってのコミュニティの場であり、何百人もの僧侶に食事、宿泊、医療、宗教教育を提供している。2025年3月28日に仏教僧が試験を受けていた際、地震が起こり、オレンジ色とクリーム色の近代的な時計台が崩れ落ちた。

次ページ:これらの文化的・宗教的建造物は修復できるのか

「僧院と尼僧院は、コミュニティへの奉仕と、信徒への精神的な指導の中心地です」と、英オックスフォード大学で仏教学を研究するケイト・クロスビー教授は言う。「僧院や尼僧院との関係は、大多数のビルマ人の宗教的・文化的生活の中核をなすものです」

 フォセウス氏によると、ニュー・マソーエイン僧院は特に重要で、大学と同程度の地位を持つエリート仏教教育センターだ。幸いなことに、その被害は壊滅的なものではなく、近い将来、ある程度機能を再開できるかもしれないと氏は補足する。

これらの文化的・宗教的建造物は修復できるのか

 古代の建造物は補強されていない石造りの構造のため、修復は複雑だ。

「残念ながら、これらの建造物は、現代の鉄骨やコンクリートの建物のように石造りが一体化されていないため、地震の被害を受けやすいのです」と、アジア太平洋地域のエンジニアリング会社「Beca」のテクニカルディレクターであるジャレッド・キーン氏は説明する。「石造りの建物が部分的に損傷した場合、修復して補強できますが、そのような補強は多くの場合、複雑な作業になります」

 オーストラリアのメルボルン大学でミャンマー研究ネットワークのコーディネーターを務めるタマス・ウェルズ氏も、同様の懸念を表明している。

「重要な宗教的遺跡の復興に対する根本的な課題は、再建の技術的な仕様というよりも、残虐な軍事政権の存在です」とウェルズ氏は言う。

 ミャンマーの内戦が被災地の再建を遅らせるだろうと、国連のミャンマーに関する独立国際事実調査団の元メンバーであるクリス・シドティ氏は予測する。

「内戦が終結しない限り、民間のインフラ、住宅、文化的遺跡など、あらゆるものの真の再建はほぼ実現しないでしょう」と、シドティ氏は語る。

 その点において、ミャンマーの停戦は一筋の希望の光を与えている。しかし、平和な時代であっても、ミャンマーの貧困や劣悪なインフラ、政情不安といった問題のために、これらの貴重な宗教施設を修復することは非常に複雑な作業となるだろう。

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