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中国発の刺激的な調味料「チリクリスプ」がホットな話題

  • 2024年4月21日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

中国発の刺激的な調味料「チリクリスプ」がホットな話題

 米国の家庭がとても欲しがり、レストランでは大胆なレシピを生み出しているもの。その正体はチリクリスプで、今や食品界のスターだ。トウガラシ、油、そしてニンニク、タマネギ、サンショウ、さらには発酵大豆などが入った中国の調味料であり、その万能性と刺激で存在感を示している。

 しかし、どうしてこのような調合になったのだろう? ここでは、チリクリスプがどのように生まれ、なぜ今これほど愛されているのかを紹介しよう。

スパイシーな始まり

「トウガラシは昔から中国にあったわけではない」と米ウィットマン大学の歴史学教授で、『The Chile Pepper in China: A Cultural Biography(中国のトウガラシ:その文化史)』の著者でもあるブライアン・ドット氏は述べている。トウガラシは中南米原産で、探検と貿易が盛んになる16世紀ごろまで、中国では存在を知られていなかった。

 中国でトウガラシが最初に記録されたのは1591年で、絶賛とは程遠いものだった。「調味料としても薬としても、あまり興味を示していませんでした」と、ドット氏は現在の上海近郊に暮らしていた脚本家ガオ・リアンの記述から分析している。その代わり、ガオはトウガラシを観葉植物にしていたようだ。

 しかし、中国の上流階級が自宅の庭でトウガラシを楽しんでいる間に、大衆はこの刺激的な植物を食べて楽しむようになった。1765年までには湖南省でトウガラシがソースや酢、香味油、漬物の風味付けに使われていた、と地元の歴史家は記している。トウガラシが登場する中国の古い料理本『Harmonious Cauldron(調和の大釜)』には、チリクリスプをほうふつさせる調味料のレシピまで載っている。

 1790年ごろに書かれたこのレシピは、短くてスパイシーだ。「まずはごま油。ごま油にトウガラシを丸ごと入れ、完全に火を通す。トウガラシを取り出し、油だけを後から使うために取っておく」

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 ほかのスパイスと異なり、トウガラシは商品として生産されたり、取引されたりしていたわけではない。ドット氏によれば、人から人へと受け継がれ、小規模で栽培され、熟練した農家の手に渡り、時間をかけて改良されていったという。そして、トウガラシ、そして、それを油で炒めた調味料は中国全土で必需品となり、やがて社会の全階層に浸透し、国のアイデンティティーの一部と見なされるまでになった。

 トウガラシは政治にも一役買った。1949年に中華人民共和国を建国した毛沢東は湖南省出身で、スパイシーな料理を好んだ。「彼はトウガラシが好きでした」とドット氏は話す。「トウガラシなしに革命は不可能」とまで言ったそうだ。毛はトウガラシに耐えられないのは臆病者だと考え、辛さに耐えられない側近たちをあざ笑った。ドット氏によれば、トウガラシは武力や男らしさの象徴だという考え方は今も続いているという。

カルト的な人気

 20世紀までに、油で炒めたトウガラシは家庭やレストランの定番となった。そして、米国に持ち込まれ、中国料理店で提供されるようになった。ただし、チリクリスプが商品化されたのは1997年だ。その年、レストラン経営者の陶華碧(とうかへき)氏が中国貴州省産のローカンマの販売を開始した。

 この調味料は世界的なセンセーションを巻き起こし、オリジナルのソースと10種類を超える独創的なバリエーションのおかげで、陶は推定10億5000万ドルの資産を築いた。

 やがて、チリクリスプはカルト的な人気となり、論争まで巻き起こした。韓国系米国人の有名シェフであるデイビッド・チャン氏のブランド「モモフク」が2024年3月、ほかのメーカーが「チリクランチ」という名称を商品に使用するのをやめさせようと試み、「チリ(chili)」という単語のつづりや大量生産されたチリオイルの信頼性を巡る論争に発展したのだ。

 ドット氏に言わせれば、これらはすべて、刺激的な風味が強烈な感情を呼び覚ます食べ物の機能だ。「食を通じて文化を学ぶことができます」。薬からモモフクに至るまで、この調味料にはいつの時代も熱をもたらす働きがあるようだ。

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