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Vol.22 長谷川哲士さん
屋上庭園で米づくり ! ?  可能にする秘策とは・・・

  • 2012年6月1日
造園家/長谷川哲士さん

造園家/長谷川哲士さん

Profile
1949年、宮崎県生まれ。福岡での造園コンサルタント勤務を皮切りに、以後上京し同じく造園コンサルタント勤務後独立、株式会社四季計画事務所を設立。途中、20代後半には青年海外協力隊に入隊。アフリカのモロッコに派遣され、2年半に渡り街の緑化や景観形成事業に従事。また、東京でのコンサルタント在勤中は沖縄のプロジェクトを数多く手掛け、首里城の復元事業をはじめ、県立総合運動公園、その他リゾート施設等の造園設計に携わる。
2005年から六本木ヒルズの植栽監理を委託され、植物の健全な生育を図りながらより上質な景観形成を目指して取り組んでいる。

 

 今回ご紹介する長谷川哲士さんは、現在六本木ヒルズなど都心の植物監理の仕事に携わっています。長谷川さんの郷里である宮崎県は40年前、日南海岸を走る道路沿いには亜熱帯植物が植えられ、当時の日本には珍しいロードパークが…。そんな風景づくりに自分も参加したいと思ったのが、造園家を目指した原点という。20代後半には青年海外協力隊の一員としてモロッコで街の緑化や公園づくりに携われ、その後、沖縄の「首里城の復元整備」では庭園や植栽の復元整備計画などを担当されました。
「都市緑化や植物監理」とは…、もう少し紐解いてみましょう。


風景づくりの原点は…

宮崎県・日南海岸/ Photo by Wikipedia
宮崎県・日南海岸/ Photo by Wikipedia
 昭和40年代、大勢の新婚カップルが宮崎県日南海岸に繰り出し、新婚旅行のメッカと呼ばれていました。海岸を走る道路沿いには南国の象徴であるヤシ(フェニックス)や亜熱帯植物が植えられ、当時の日本には珍しいロードパークが出来上がっていたのです。一見、日本のどこにでもありそうな海岸線を、日本人の憧れであったハワイのような亜熱帯の風景に作り替えたのは一バス会社の創業者でした。
 当時は温泉が出なければ観光地としては成立しないといわれた時代でしたが、宮崎のように温泉がなくても美しい風景があれば観光地になりえることを見事に実証したのです。このバス会社の創業者、岩切章太郎氏は風景づくりに哲学を持っていて、魅力的な風景をより強化するために植物を加えた「植え足し」と、隠れている風景を引き出すために邪魔になる周囲の雑木を整理する「切り出し」の手法を用いて、宮崎の主要な観光地を創出していきましたが、間近で風景づくりに接して、長谷川さんも一緒に風景づくりに参加したいと考えるようになったという。

 

モロッコ、ラバトのモハメッドV通り/Photo by Wikipedia
モロッコ、ラバトのモハメッドV通り/Photo by Wikipedia
 20代後半、青年海外協力隊に参加し、アフリカ大陸の西北端モロッコ王国に2年半ほど滞在した長谷川さん。
 「青年海外協力隊はボランティア精神を持って途上国の発展に寄与することを求められていますが、私の場合、参加の動機は不純で、ヨーローッパ大陸に近いモロッコに赴任できれば、風景づくりの先進地である彼の地を訪ねるチャンスが巡ってくるかもしれないという期待でした。当時はドルに対する円のレートは現在の1/3程度の価値しかありませんでしたから、まだまだ外国に渡航することは簡単ではありませんでした。配属先は首都ラバトの植物供給センターという部署で、街の緑化や公園づくりを通して首都の景観形成に寄与することを行っていました」
 ラバトは「城壁都市」の意味があるとされ、カスバ(城砦)に囲まれたメディナと呼ばれる旧市街が街の核を形成し、広大な王宮や郊外には新市街が展開した静かで緑豊かな街です。緯度は九州北部と同位置にありますが、海浜に面しているためメキシコ湾流の影響を受け、夏涼しく冬暖かいという居住するには理想的な環境を持ち、白い家が連なる街中ではブーゲンビレアやハイビスカスなど亜熱帯植物が溢れ、植物景観的には沖縄のそれに大変よく似ています。
 映画でお馴染みのカサブランカ(「白い家」の意)は、モロッコ第一の都会ですが、ここに限らず海岸地域一帯は漆喰で塗り固めた白い家々が連続します。これに対して内陸の古都マラケシュは、海岸地方とは趣を異にしており、4000mの雪を頂いたアトラス山脈と赤い土壁のコントラストが大変美しい街です。

 

 

土壁色の街並みが広がる古都マラケシュ
土壁色の街並みが広がる古都マラケシュ
 「モロッコの内陸は乾燥し、過去には日干し煉瓦でつくった家が主流でした。現在では、素材はコンクリートに替わっていますが、壁の色はあくまでも日干し煉瓦の色合いとすることを条例で厳しく規制しています。統一した色合いを保つ都市は大変美しいものですが、これにナツメヤシの緑の樹群が加わって美しさをさらに高めています。
 このナツメヤシは内陸地方で貴重な植物で、食用以外にも、燃料となり、建築材料としても使われていました。都市化した街中でもこれらのヤシは丁重に扱われ、自然に生えたものは、勝手に切ることができません。ある時、街中で不思議な光景を目にしましたが、それは新しく建設した道路の真ん中に残された1本のナツメヤシでした。公共空間といえども勝手に撤去することができないものだから、車は仕方なくヤシを中心としてロータリー状に迂回していましたが、経済や効率中心の日本だったらあっという間に抜かれてしまったに違いありません。街のポテンシャルに徹底してこだわり、妥協を許さないその姿に接し、ヨーロッパを旅せずとも風景づくりの第2の原点を見出したように思います」

 

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