この時期、誰もがふりかえる「わが家の防災」。ちまたにはさまざまな災害対策のアイデアやグッズがありますが、被災者の話を聞くと、少し違ったものが見えてきます。「そのとき」が来たら本当に役立つものとは?
長男が1歳のときに東日本大震災を経験し、防災士の資格も持つイラストレーター・アベナオミさんに、被災時の話をお聞きしました。
「今どき防災食のリアル」今回は、東日本大震災の当日から2週間後くらいの間に起こったこと、アベさんが感じたことをうかがいました。
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わが家の防災食はふだん食べているものだけ
家族で暮らしていた宮城県利府町で、東日本大震災を経験したアベナオミさん。被災時、冷蔵庫の中はほぼ空。1歳の子を抱え、食料の確保にたいへんな苦労をしたといいます。
「その経験から、被災後は防災食を買い込んでしまい、家じゅうが段ボールだらけに (笑) 。ただ、防災食は賞味期限が切れたあとに買い直すのが面倒だし、コストもかかります。そこで『無理なく備え続けられる防災食って何だろう?』と、いろいろ試して落ち着いたのが、ふだん食べているものをちょっとだけ多くストックするというスタイル。日頃から、あす買い物に行かなくても大丈夫な量=3日分の食料をストックするようにしています」
ふだんと同じものを食べることには、こんなメリットもあるそう。「災害後に訪れるのは非常事態じゃなく、超不便な日常です。あれもできない、これもできない生活だからこそ、いつもと同じものを食べることが心の安定につながります」
東日本大震災で実際に起こったこんなこと!
■被災当日:スーパーは行列。しかも1人2点まで
「帰宅途中の車中で被災。すぐに息子を保育園に迎えに行き、そのままスーパーへ。子どもをおんぶしたまま屋外で30分並び、買えたのはお握り2個だけ。停電はしていましたが、この日はまだ水道は使えていました」 (アベさん)
▶︎心の中はこんな感じ...
ご飯を作る前にまずはキッチンの片づけから…!?
地震直後のキッチンは、棚やカウンターから落ちた食器や調理家電などが散乱し、とても危険な状態。「足の踏み場もない状態から、調理ができる状態まで片づけるのがものすごくたいへんで。キッチンは凶器だらけなんだと、改めて思いましたね」
■2日目:水道が止まり、生活用水が不足
この日の食事は、冷凍してあったご飯と塊肉、少しだけ残っていた野菜で作った雑炊。洗い物を減らすため、肉はスライサーで削りました。水道が止まり、飲料水が不足する中で、調理器具を洗うための水を捻出するのがつらかったです」
▶︎心の中はこんな感じ...
子どもは見慣れないものは食べないんだ…
「子どもって、見慣れないものには手をつけないんです。いくら大好きなお菓子でも、知らないパッケージだと食べません。なので、子どもの好きなお菓子は定期購入するように。ナッツ類なら、災害時に不足しがちなビタミンやミネラル源にもなって、一石二鳥です」
■3日目:電気復活! お米以外をすべて食べ切ってしまう
「お米だけは豊富にあったので、鍋とカセットコンロを使って炊飯に初挑戦するも失敗。うまく炊けた部分だけお握りにし、残りは冷蔵庫で保管。翌日雑炊にしました。スーパーに行っても何も買えず、とうとう冷蔵庫が空に」
■4日目:家族みんなに口内炎ができ始める
「カレーなどのレトルト食品を食べ始めたのが、この頃。子どもの食が細くなり、もしやと思って口の中を見ると口内炎が。ビタミンがとれるものを探しても粉末の緑茶しかなく、水で薄めに溶かして与えていました」
▶︎心の中はこんな感じ...
3〜4日目がとてもしんどかった
被災後は限られた食材で料理を作らなければならないので、どうしても味が単調になりがちです。「特に野菜や肉が尽きておかずが作れなくなった3~4日目がしんどかった。ご飯はあったものの、大人も子どもも食が進まず、『ご飯のお供があれば……』と何度思ったことか」
■2週間後くらい:スーパーの入場制限はまだ続き長蛇の列
「被災後1週間たっても、徹夜して並ばないと物が買えませんでしたが、2週間たつ頃には、1時間ほど並べば買えるように。野菜もやっと買えるようになりましたが、それでも小さな子どもを抱えて寒い屋外に並ぶのはつらく、備えの大切さを痛感する毎日が続きました」
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子どもが食べないこと、口内炎やスーパーの入場制限など、リアルな声には学ぶところがたくさんあります。家族の安全を守るために、被災者の声をしっかり聞いてわが家の防災にいかしましょう。
取材・文/恩田貴子 イラスト/アベナオミ
【レタスクラブ編集部】