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格差をなくせば気候変動は止められる。なんとなく正しそうなこの主張に冷や水を浴びせるような研究結果が発表されました。
社会の不平等を解消すれば、人々の生活が安定し、民主主義が進み、そして環境にも配慮できるようになる。そういった理想は、国連の持続可能な開発目標(SDGs)にも盛り込まれ、多くの人に信じられてきました。
ところが、学術誌World Developmentに掲載されたノルウェーの政治学者であるインドラ・デ・ソイサ(Indra de Soysa)氏の新たな研究論文は、この前提に根本的な疑問を投げかけています。
同氏は、1990年から2020年までの約170か国にわたる所得の格差(ジニ係数)や政治的な平等、教育・医療へのアクセスなどの指標と、二酸化炭素排出量との関係を分析しました。その結果、「格差が大きい国のほうが、温室効果ガスの排出量が少ない」という意外な傾向が明らかになったそうです。
1人あたりの所得が増えれば、よりエネルギーを使い、移動し、モノを買うようになるといいます。生活が便利になる代わりに、1人あたりの二酸化炭素排出量も比例して増えていく。これは世界中どこでも変わらない傾向なのだとか。
ない袖は振れないけれど、袖があったら振り回しちゃいますよね。直感的にわかる気がします。
デ・ソイサ氏は、「1人あたりの所得が増えると、その国の炭素排出量は明確に、疑いようもなく増加します。1つの社会のお金が多ければ多いほど、炭素排出に寄与するのです」と語っています。
つまり、格差を是正して貧しい人の生活水準を引き上げると、必然的に社会全体の消費が増えて、気候への負荷を高めるというジレンマをはらんでいるのだそうです。
インドやアフリカの人たちがアメリカ並みの消費生活をしたら、世界中の資源は枯渇して気候変動は手がつけられなくなるといったたとえ話をよく耳にしますが、たしかにそのとおりだと思います。
とはいえ、不平等な社会をキープしたほうが気候が不安定になりにくいなんて、いったいどうすれば…?
民主的で、福祉制度が充実し、教育や医療にもアクセスしやすい。そんな平等な社会は環境にも配慮しているイメージがあるかもしれません。でも、実際にはそういう国ほどエネルギー消費も二酸化炭素排出量も多くなる傾向にあります。
デ・ソイサ氏の分析でも、政治的・社会的な平等の水準が高い国ほど、ひとりあたりの二酸化炭素排出量が多いという結果が出ているそう。
これはちょっとびっくりなのですが、格差が大きい国のほうが、再生可能エネルギーの導入率が高かったそうです。「格差が大きい国=エコに消極的」というイメージがあるかもしれませんが、現実はそんなに単純じゃないみたいです。でも、これは悪くない結果といえます。
「じゃあ、格差がある方がいいの?」と尋ねられれば、その答えはもちろん「ノー」です。
デ・ソイサ氏は、「不平等の解消は本質的に価値がある目標」だとしたうえで、それでもそれが気候変動の緩和と必ずしも両立しないとし、以下のように指摘しています。
不平等や貧困を減らすことは、道徳的かつ実践的なジレンマです。所得のより均等な分配を国内外で実現しようとすれば、少なくとも現在の技術レベルでは、気候問題の悪化につながります。
この「どう転んでも誰かが損をする」ジレンマ全開の状況を、研究者たちは「やっかいな問題」と呼んでいます。
行き止まりのように見える状況ですが、デ・ソイサ氏は新しいテクノロジーに希望を見出せるといい、こう説明します。
戦争やパンデミック、株式市場の暴落などによって消費が減少するケースはありますが、それ以外では技術の革新が唯一の解決策だと私は考えています。
つまり、現在の生活水準を保ちながら排出量を削減できる「環境配慮型のテクノロジー」こそが、平等と気候保護の両立を可能にする鍵になるというわけです。
もうひとつ議論を呼んでいるのが「脱成長」というアプローチです。これは、すでに豊かさを手にした国や人々が消費をあえて抑えることで、貧しい人々が成長できる機会を拡大しようとする考えかたです。
生活水準や生活の質が落ちるというイメージが伴うため、脱成長は簡単に実現しないかもしれません。でも、温室効果ガス排出量に見合わない気象災害による被害や環境破壊、劣悪な労働環境などの負の影響を開発途上国に押し付ける大量生産と大量消費の生活スタイルを考え直して、必要なモノだけに囲まれて生活することで、気候変動の影響や経済的な不公正が弱い立場の国や人々に偏らない社会をつくる出発点になるかもしれません。
「グリーン・ニューディール」や「SDGs」、「エシカル消費」など、耳あたりのいいスローガンが増えていますが、デ・ソイサ氏は「そういう言葉だけでは、やっかいな問題は解決できない」と指摘しています。
けれど、ただ悲観するのではなく、「誰が、何を、どれくらい消費しているのか」という現実にちゃんと向き合いながら、「どうすれば、もっと公平に技術を届けられるか」、「どうすれば、みんなで脱炭素社会をつくっていけるか」を考え続ければ、より平等な未来を描けるはずだといいます。
そのために、豊かな国が環境配慮型のテクノロジーをより必要としている国々に提供することで、貧しい地域でも持続可能な社会を築くチャンスが広がるはず。デ・ソイサ氏は、そんな現実的で希望の持てる道があることを示しています。
たしかに、平等な社会の実現しつつ、気候変動を止めるのはとても複雑で難しい問題かもしれません。答えもひとつじゃありません。でも、大切なことはきっとシンプルです。誰もが安心して生きられる未来を本気で目指すかどうか。難しいけれど、あきらめなければチャンスはあるんじゃないでしょうか。
Source: de Soysa 2025 / World Development, EurekAlert!