水郷のまち柳川で、大名家の末裔が営む料亭旅館「御花」。7000坪の敷地は国の名勝に指定され、クロマツに囲まれた庭「松濤園」と明治時代の建築を堪能できます。2025年には宿泊棟を大幅にリニューアルし、柳川藩が築いた歴史と、国指定名勝の壮観な景色の中に入り込み、藩主や伯爵の暮らしを体感する、特別な滞在が叶います。
博多駅、福岡空港から車や電車で約1時間半の柳川市。堀割という水路に舟が行き交う城下町です。この町に佇む「柳川藩主立花邸 御花」は、豊臣秀吉から“鎮西一”と評された戦国武将・立花宗茂(たちばな・むねしげ)の末裔が営む料亭旅館です。
宗茂が柳川城主となったのは、1587年。それから立花家は、柳川で歴史を紡いできました。江戸時代に入ると、立花家の邸宅として側室や子息たちの住まいを、現在の御花がある土地に構えます。敷地内にある建物や庭は明治時代、伯爵家となった時に建てたものを大切に保存活用しています。
明治時代の総檜(ひのき)造りの近代和風建築は、随所に武家らしいシンプルな贅沢さと格式を備えています。100畳の大広間の前には、クロマツに囲まれた日本庭園「松濤園」が広がります。大小の中島や岩島を配し、大海をあらわした池庭は、1978年に国の名勝に指定され、2011年には、建物を含む7000坪の敷地全体が「立花氏庭園」として国の名勝に指定されました。
100畳の広間の廊下側には、金箔の兜が並べられています。まるで将軍が装着するようなきらびやかな金の兜を、親衛隊全体に着用させたといいます。戦国時代を戦い抜き、部下を大切にした宗茂の人柄が感じられるようです。
個室「集景亭」は、かつて立花家の居室でした。欄間や建具の引手などの当時の調度をそのままに、移りゆく時間とともに表情を変える庭を眺めながら、気のおけない人とゆっくりと食事ができます。
敷地内には和風建築だけでなく、フランスの古城を思わせる洋風建築があるところも魅力のひとつ。明治時代に建てられた真っ白な西洋館は、立花家の迎賓館として使われてきました。電気の通っていなかった時代に自家発電所を設け、輸入品のシャンデリアや電気器具を使っており、当時の人はその物珍しさに見学に訪れたそう。柳川の人々にとって、西洋文化や文明開花を身近に感じる場所だったことでしょう。
また、家政局という伯爵家の財務管理などを担う建物も残されています。ここには、初節句のお祝いに贈られる人形の吊るし飾り「さげもん」が飾られており、華やかな雰囲気が広がります。
見どころあふれる、歴史的建造物とお庭。国の名勝の中に入り込み、宿泊するという特別な滞在が叶うのです。
今回のリニューアルで大きな変化を遂げたのは、40年前に建設した宿泊棟です。伝統や歴史を味わいながら、快適に過ごせるように設えました。建物にも使われている黒漆喰の壁を施し、九州の八女提灯、佐賀のレグナテックの家具など、地元の名産で彩られています。屋敷で使われていた礎石を石畳などとして使用し、立花家の家紋が彫られた瓦などをオブジェとして飾り、伝統を感じる空間を創出しています。
ロビー奥には、ブックラウンジ「御花書紡」と、ドリンクなどが楽しめるラウンジが隣接しています。古くから愛されてきた柳川牛乳や、ビネガーサイダー、地酒など、柳川ならではの飲み物を提供し、北原白秋など柳川にゆかりのある人物の本などを読むという豊かな時間を楽しめます。
客室は全20室、日本庭園「松濤園」側のお部屋の窓には、国の名勝の庭園と建物が広がります。
特別室「黒松」は、御花を象徴する樹木の名が付けられ、黒漆喰の壁と、まるで殿の寝床を再現したかのような格式高いお部屋。まるで、城主のような気分で過ごすことができます。
御花では、毎年5月に東庭園で芍薬(シャクヤク)が美しい花を咲かせます。昔から御花の客室名としても親しまれた「芍薬」からは、屋根瓦などを上から間近に眺めることができるのです。瓦に刻まれた立花家の家紋を探すなど、優雅な楽しみがあります。
今回宿泊した「蜜柑」は、家族友人らとプライベート空間が保たれるツーベッドルームのお部屋。立花家は明治時代に農業で地域振興を目指そうと農事試験場を作り、蜜柑など柑橘類を育ててきたことから名付けられました。小上がりの座敷からは、先に遮るもののない風景が広がります。
それぞれに物語がある御花の部屋。有田焼の茶器で地元のお茶を入れ、美しい名勝を上から眺める贅沢な時間を過ごすのです。
また、各部屋には香り豊かなヒバの木でできた湯船のあるバスルームがあります。湯船から庭園を望み、旅の疲れをしっかりと癒すことのできる贅沢な空間です。
戦後、伯爵家が解体され、多くの華族が地元の土地を手放し、東京の土地を残しました。しかし立花家は、この柳川の土地と屋敷を守り続けるために、料亭旅館を開きました。それが現在の「御花」の始まりです。当初「殿様が商売なんて」と周囲の人に懐疑的な視線を向けられましたが、次第にその覚悟と本物の味に魅せられて、多くの人が訪れるようになりました。夕食では、そんな料亭旅館ならではの本物の味を楽しめます。
春の会席の前菜では、桜の蕾と旬の素材が春の訪れを知らせてくれるよう。この土地の春の味覚「わけ」(イソギンチャク)のからあげはコリコリとした歯応えがあり、記憶に深く残る味わいです。
立花家の農園で育てられている「タロッコオレンジ」の風味をソースとして生かしたメイン料理。博多和牛や野鴨の旨みが口の中に広がったかと思うと、オレンジのソースが爽やかにその後を追いかけ、口の中を通り過ぎていきます。
柳川名物「うなぎのミニせいろ蒸しと肝吸い」。
せいろ蒸しは江戸時代に誕生した郷土料理です。ご飯の上にうなぎの蒲焼と錦糸卵を乗せ、せいろで蒸しあげています。うなぎの骨の出汁を使った秘伝のタレを絡め、ふくよかなうなぎの旨みと、ほんのりとひろがる甘味が御花らしさ。御花のせいろ蒸しが好きだと根強いファンがいるのも納得の味わいです。
舟に乗って水路を下り、柳川の景色を楽しみながら朝食を食べることも可能。朝日が差し込むなか、ゆらりゆらりと両岸の風景を楽しみながら、有明海の海苔や自家製明太子など季節の朝食を味わえば、忘れられない旅となることでしょう。
御花の代表、立花家18代の立花千月香さんのモットーは「文化財を遊び倒す」。
「この文化を未来に残したいのです。保存するだけではなく、今を生きる人に活用してもらい、楽しんでもらうことが大切だと感じています。広間で寝転んだっていいんです。思う存分くつろいで、遊んでほしいんです」
敷地内では、訪れた人々が我が家で過ごすように、ゆったりと楽しそうに過ごす姿がありました。
柳川と立花家が紡いできた、歴史に入り込む時間。庭や建物を眺め、水の音や鳥の声、船頭の歌に耳を傾ける、香りをかぐ。そこで出会うのは、かつてここで暮らした藩主、あるいは伯爵が過ごした、とある一日です。
働く人も、訪れる人も、うれしそうで楽しそう。そんな喜びあふれるお宿です。
御花
所在地 福岡県柳川市新外町1
・スタンダードルーム:38,700円〜
・特別室「黒松」:83,200円〜
▼「お舟で朝食」付き料金
・スタンダードルーム:50,700円〜
・特別室「黒松」:95,200円〜
※いずれも1室2名利用時の1名料金(2食付き、税・サ・宿泊税込み)です。
https://ohana.co.jp/
文=神谷加奈子
写真=榎本麻美