ライブ配信サービスTwitCastingで2016年から放送している怪談チャンネル「禍話」。北九州で書店員をしている語り手のかぁなっき氏と、彼の大学時代の後輩であり、現在は映画ライターとして活躍している聞き手の加藤よしき氏の名コンビが繰り出す怪談の数々は、その軽妙なトークとは裏腹にとても恐ろしいものばかりです。
今回は、そんな「禍話」から“不可思議な隣人”にまつわる悪夢めいた恐ろしいストーリーをご紹介します――。
怖い話や不思議な体験というのは“霊感がある人”が体験するもの、そう思っている人は少なくないでしょう。
小さい頃から不思議なものが見えた、人の死を目撃してから見えるようになった、そんな才能やきっかけを得た人のみが説明のつかない世界を覗き見ることができるのだと。
ですが、実際にはそれまでまったく霊感のなかった人が、まるで交通事故にでも遭うかのように奇妙な体験をしてしまうことだって十分にあり得るのです。
◆◆◆
結婚して都会に越して来たAさんは公団住宅で旦那さんと共に暮らしていました。
結婚3年目。旦那さんの収入は多いとは言えず、子どもを作る決心はつかないままでしたが、それでもこの公団で互いに満足した毎日を過ごしていたそうです。
そんなある日。隣に住んでいた一人暮らしの男性の転居が決まりました。
小さい頃から周囲の人と仲良くして暮らすことが大切だと教わってきたAさん。人間関係の輪を広げることがクセとして染み付いていたこともあり、男性とすれ違うたびにいつも「おはようございます」と声をかけていましたが、ついぞ男性とはろくな会話もできずじまいでした。
「結局、あんまり喋れなかったなぁ」
「あんまりグイグイ来られると嫌な人もいるから、ほどほどにね」
旦那さんの言葉を受けて、都会で暮らすには今までと違う距離感で過ごしていかねばならないのだと、Aさんは思いを新たにしたそうです。
それから1年ほどして、新たにTさん一家が隣に越してきました。
彼らはとてもフレンドリーで、Tさんの奥さんであるMさんの柔和な笑顔が印象的でした。何より、身重でありながらわざわざ訪ねて来てくれた彼女の優しさが記憶に残ったといいます。
以来、AさんはMさんと親睦を深めることになるのですが、皮肉なことにこのような関係にならなければAさんが不思議な体験をすることはなかったのかもしれません。
ピンポーン。
その日、Aさんはお隣を訪ねていました。
「あら、Aさん。どうかしました?」
「ごめんなさい、忙しかった?」
「いえ、大丈夫ですけど」
「実は、夫が仕事でもらってきた試供品のクッキーが結構余っちゃって……」
「え、いただけるんですか! こんなにたくさん申し訳ないです」
「むしろもらってくれて助かります。これ、オーガニックなやつで、カロリーもそこまで高くないやつだからMさんでも食べられるかと思って」
「あ、そうだ。お返しできる物あるかも……」
「え、いいですよ、気使わなくて!」
「こっちも余っちゃっているものだから……。今袋に入れてくるので、なかに入っていてください」
お返しをもらうことにAさんは一瞬申し訳なさを感じたそうですが、屈託のない笑顔でいそいそと動くMさんの姿を見ているうちに、距離が縮まったのかなという実感が湧いてきたそうです。
廊下の奥に消えていくMさんの背中を目で追いかけている途中、ふと、リビングに通じるドアが開いていたことに気がつきました。
リビングには赤ちゃん用のグッズがいくつか置いてあり、その雰囲気は同じ間取りの自分の家とはまるで異なっていました。家庭が新しい命を心待ちにしているというのはここまで家の空気を明るく変えるものなのか、Aさんはそう感じたそうです。
その視線に気がついたのは、そのときでした。
リビングにあるテーブルの端で2、3歳くらいの女児が子ども用のプラスチックの椅子に座ってジッとこちらを見つめていたのです。
「え、誰この子……」
もうお子さんがいらっしゃったのか。じゃあ、お腹の子は2人目か。いやはや、Mさんは本当にバイタリティがある人だ。
その子は微笑みかけても無表情でこちらを見つめていたそうで、突然の来客に警戒しているのかなと、Aさんは考えました。
そんな風に考えていると、Mさんが廊下の奥から姿を現しました。途中、リビングのドアが開いていたことに気づいてドアを閉め、申し訳なさそうに駆け寄ってきたMさんの手には大きめのエコバッグが握られていました。
「遅くなってごめんなさい! はい、これ」
「なんですかこれ〜、わあ、ずっしり」
「実家から大量に送られてきたみかん。うち、みかん農家で毎年すごい量が届くんですよ。食べすぎて肌が黄色になっちゃうくらい」
「私、みかん大好物ですよ!」
「良かった〜! まだまだあるので足りなかったら言ってくださいね」
「ありがとうございます〜。でも、娘さんの分もあるだろうし、そんなにたくさんはもらえないですよ〜」
「娘?」
Mさんの見せたキョトンとした顔を、Aさんは今でも忘れられないそうです。
「あ、いえ、なんでもないの。じゃあ、ありがたく頂戴しますね!」
「ぜひぜひ!」
家に帰って旦那さんともらったみかんを食べながら、Aさんはさっきのできごとを思い返していました。
「見間違いだったのかな」
「どうしたの?」
「……なんでもない」
無表情でこちらを見つめていたあの女の子の顔。
そのときになって初めて、Aさんは自分が恐ろしいものを見てしまったのではないかと感じたそうです。
文=むくろ幽介