静岡県掛川市の山間での暮らしを始めて4年目、料理人の夫と陶芸家の妻による、ごはん屋さんと陶芸工房〈したたむ〉。
完全予約制のランチ営業のみで、Instagramで1か月分の予約を開始するとすぐに埋まってしまい、キャンセル待ちができるほどの人気店です。車でしか行けない山奥にあり、決して利便性の良い立地ではないものの、ここまでの人気店に成長したのはなぜなのか、本連載を通してひも解いていきます。
前回は、料理人の夫・奥田夏樹(おくだ なつき)さんが、飲食店を開こうと考えたきっかけや、お店を出すための土地探しについて振り返りました。
今回は妻で陶芸家の吉永哲子(よしなが のりこ)さんが資金調達について書いてくれました。
自己資金でどこまでできる?
移住先を探していた頃、私は世田谷区の上町で陶芸教室〈陶工房〉を経営しながら、自分の作品をつくる生活をしていました。先代の先生から引き継いだ教室も13年目に入り、次の展開をなんとなくですが考えている時期でもありましたので、「夫とふたりで新しい土地でお店を始める」というビジョンは、その頃の私にとってワクワクするものでした。
そして、出合った物件が私の実家の近く、しかも陶芸の工房がついている!これは帰ってこいということか。不動産会社に「持ち帰って考えます」と言ったところで、ふたりの気持ちは固まっていたように思います。
静岡県掛川市で見つかった物件。ここがのちに〈したたむ〉となる古民家です。
最初に物件を探し始めたときは、どのくらいの予算でどんなものが手に入るのか検討もつかず、空き家バンクや物件サイトで探しながら、大体300〜500万円くらいと目処をつけました。我が家は結婚当初からお財布は別で東京時代の生活費も折半していたので、それぞれの貯金から出し合って、ギリギリ何とかなる金額もこのくらいかな?という話し合いも、物件を探しながら詰めていきました。
当初から「借り入れをしないで自己資金内に収まるように」と考えていましたが、この物件を購入すると、リフォーム代に充てられるお金がほとんど残らないことになります。今から思うと驚きの見積もりの甘さです。最初はざっくりと、300万円くらいの物件を200万円くらいかけてリフォームする、くらいに考えていたものの、実際には良いと思う物件はそれなりの値段がついていて手が出ず、安いものは破格のリフォーム代がかかることがわかりました。
長く空き家になっていた物件は安くはありますが、住めるようにするまでが大変です。さまざまな土地や家を見てきたなかで、水回りの大規模なリフォームが必要なく、古い家でも柱などの躯体はしっかりしていて手を入れなくても住むことができるこの物件は、現実的にみても最善の選択ではないか! との結論に辿り着きました。多少強引ではありますが、そのくらいこの家を気に入ってしまったということだと思います。
売り主の方が直前まで住まわれていたため、大きな改修工事は不要、水回りも問題なくそのまますぐに住める状態でした。
ほかに必須でかかる費用としては、車と引っ越し代。車は、ネットの中古車サイトで探しました。私の仕事柄、クラフトマーケットや納品などで荷物をたくさんのせるシーンが多いので、後部座席と荷台がフルフラットになるという条件で、HONDAの「モビリオ スパイク」に焦点を合わせ検索しました。そこそこの走行距離、車検つきのモビリオを見つけ、本体価格10万円で購入、今も元気に走っています。
10万円で購入したモビリオ スパイク。
薪ストーブ用の薪を運ぶのにも使っています。
引っ越し業者は相見積もりをとって決めました。東京から掛川まで20万円くらいだったかと記憶しています。工房の引っ越しもあったのですが、こちらは自力でやることにして、2トントラックをレンタル、友人の手を借りてなんとか積み込みました。初めてのトラックで高速道路と山道をよく行ったなーと、思います。
物件は、クネクネとカーブが続く山道の先にあります。
“なんとかなった”3つのポイント車と引っ越しはどうにかなりましたが、リフォーム代、お店を始めるまでの資金、どうしようか?結果的にどうにかはなったのですが、そのわけは3つほどあるように思います。
ひとつ目は、実家の近くだったこと。引っ越し当初はとても住める状況になく、ある程度が整うまでの3か月ほどを実家に居候させてもらいました。ここがなければ、人間ふたりと猫1匹、しばらく車中泊の生活だったかもしれません。移住先を探しているときは、まったく知らない土地もおもしろいかも! なんて無謀なことを思っていましたが、やはり実家や友だちなど、頼りにできる場所があったほうがいい。この先、いろんな場面で助けられることとなりました。
ふたつ目は、陶芸の仕事がすぐに再開できたこと。
移住早々に、工房で陶芸の仕事をスタート。
7月に引っ越して、9月には窯をたきました。これでご飯屋さん開店までの現金収入の目処がなんとかたちました。
生活に寄り添ううつわをつくっています。
生活に寄り添ううつわをつくっています。
地方への、特に我が家のような山奥への移住の場合、その場所ですぐに始めることのできる仕事を持っていたことは強みになりました。
3つ目に、助成金がおりたこと、これが大きかったと思います。移住支援の助成金については、市役所へ直接行って使えそうなものはないか調べたところ教えてもらったのが「地方創生起業支援事業」と「地方創生移住支援事業」でした。「移住支援金」「起業支援金」と呼ばれる助成金ですね。
「起業支援金」は、東京圏から地方に移住して、その地域の活性化につながる事業を始める事業者に交付されるものですが、福祉や宿の経営などをしている事業者が交付を受けることが多く、飲食店で受けられた例はほとんどないということでした。この助成金の交付事業者になることが、もうひとつ「移住支援金」を受けられる条件でもあります。
パワーポイントでつくった資料。
なかなか厳しい審査で、一次審査は事業計画を提出しての書類選考、二次審査は6人の審査員前で、パワーポイントを使ってのプレゼンと質疑応答がありました。
助成金の要綱に、意外な落とし穴が「過疎化が進んだ山間地の古民家でご飯屋と陶芸工房をやることによって、地域の活性化につながり、人の流れも生まれる。都会だから便利、田舎だから不便、という価値観に縛られることなく、ネット環境も整い多様な働き方ができるようになった今だからこそ、新しい暮らしの提案ができるのではないか」
話し合いながらまとめた内容。
話し合いながらまとめた内容。
そんな内容をデータや統計なども入れ、プレゼン資料をつくりました。移り住んで最初のひと夏をかけて、ときには図書館で、ときにはコメダで涼みながら練り上げた渾身のプレゼンは、狭き門をくぐり、200万円の交付を受けることができました!
もうひとつの移住支援金のほうですが、こちらは「移住の直前の1年以上連続して、東京圏に通勤していた者」の条件に当てはまらず、交付は受けられませんでした。
ふたりともずっと首都圏に住んで働いていたので問題ないと思っていたのですが、夫の職場が変わったため、連続の勤務ではないとみなされたようです。もし私の名前で申請していたらもう100万円の支援金を受けられたようなので(!)、とても悔しい思いをしました。要綱はしっかりと目を通さないと、思わぬ落とし穴があるので注意が必要です……。
大変な資料づくりでしたが、話し合って細かい内容を詰める過程で、今後の方針やお店のかたちなどが見えてきたように思います。この資金で、大きなリフォームや厨房機器の購入にあてることができました。
と、なかなかな綱渡りをしつつ、1年後のお店オープンに向けて、よちよちと歩き始めたのです。
information
したたむ
住所:静岡県掛川市初馬4394
TEL: 0537-25-6263
営業時間:12:00〜14:30
定休日:水〜金曜
Web:したたむ
したたむ
料理人の夫・奥田夏樹と陶芸家の妻・吉永哲子によるご飯屋と陶芸工房。完全予約制でランチのみ営業中。予約はInstagramより。https://www.instagram.com/_sitatamu_/
credit
編集:栗本千尋