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Vol.17 一服のお茶からホットな絆
LOHASコンシェルジェ 西川暢子さん

  • 2010年8月1日
西川暢子さん

LOHASコンシェルジェ/ 西川暢子さん

Profile
兵庫県生まれ。コンピュータメーカーに入社し、社会システムのSEとして勤務。高齢出産後復職し、現在は商品企画を担当。経済産業省高度情報処理技術者プロジェクトマネージャー。LOHASコンシェルジェ(NPOローハスクラブ認定)

 1年間の育児休暇から復職して、「みまもりほっとライン」の担当SEとして関わり、そして最近、LOHASコンシェルジェになられた西川暢子さん。LOHASの言葉の意味を知って共感したのは、いわゆる「LOHASという言葉を知らないLOHASピープル」に近い存在であったからかもしれないという。西川さんのライフスタイルとLOHASに出会った経緯などご紹介します。

マイホームへのこだわり

茶室
ソーラーパネル
 2006年、ご主人の念願であったマイホームを建てることになり、「当時、娘は2歳、共働きの私としてはマンションより家事が増えることが予想され、手放しで喜ぶことができませんでした」という西川さん。そこで動線や収納、生活パターンの課題を洗い出して、その解決策を間取りに反映していったそうです。ところが、設計内容が間取りから設備や部材に移っていくと、再度「何のために家を建てるのだろう」と考え込んでしまったといいます。
 「我が家の解決すべき課題は、防災や防犯の対策と、家族の健康であると思い至ったのです。これらを解決することをマイホームのテーマとしたい。つまり、テーマは『安心・安全・健康』であると設定しました。

 まず、主人と相談して災害時のライフライン確保のため太陽光発電と雨水タンクを設置することにしました。床材は自分たちで探した無垢材を取り寄せて施工してもらいました。また換気や空調、窓の断熱性や防犯性も最大限考慮し、風通しや植栽との共生にも気を配りました」
 ソーラパネルと一体になった瓦屋根の太陽光発電は、夏の日中、家全体を涼しくしてもまだ売電できるほどパワフルだそうです。「さらに心の癒しも考え、趣味の茶道ができるよう炉も切ってもらいました。たった4.5畳の空間ですが、茶事ができる動線を苦心して見立てた、私にとって小宇宙の中心なんです」とさまざまに工夫を凝らしたマイホームに住んでいる西川さん。


小さいころからの憧れとLOHASとの出会い

 農業とはまったく縁がなかった西川さんは「どういうわけか小さいころから自給自足的な生活に憧れていました。生活で必要なものを自分で生み出してまわしていける生活。それがきっかけで学生時代にはずっと山に登っていました」衣食住をすべて背負ってシンプルな生活をすることが、自分の中で自給自足と結びついていたようです。

家族
いつか山の上まで娘と登るのが夢という西川さん
 学生時代にシュタイナー教育を齧っていたという西川さんですが、「娘が3歳になろうとしていたとき恩師と会話する機会があってようやく思い出し、私は今まで何をしていたのだろうとショックを受けました。自然のおもちゃや食べ物に気を配るようになり、テレビを見なくなったりしてくると、時にはロウソクの光の中で食事を楽しみ、娘とじっくり向かい合って時間を過ごせるようになりました。
 こうしてナチュラルなものに関心が出てきたのですが、最近、勤めている会社で新ビジネスの検討をする機会を得ました。テーマをオーガニックやエコにしてはどうかと考えたのですが、思いが表現しきれないような気がして、以前から聞いたことのあるLOHASにヒントがあるかもしれないと思い、たまたま調べてみたのです。


 LOHASの内容を知るにつれ、バラバラであった自分の興味が見事に体系化されていることに驚きました。そのテリトリーはとても広く、オーガニックやエコはもちろんのこと、茶道や武道、シュタイナー教育、安心・安全、エコ・ツーリズムなども含まれているのです。また、LOHASのSはSustainabilityの頭文字だそうです。これは地球環境の持続可能性を意味しているとのことで、ちいさいころからの憧れに再会したような思いがしました。
合気道
家族で合気道をはじめたのは、娘が3歳のとき
 LOHASという言葉は『こういう生活をしましょうよ』という一種の運動だと思っていたのですが、健康と環境に関心を持つ消費者層(LOHAS層)が興味のある分野について定義したマーケティング用語であったことにも大変びっくりしました」
 西川さんが育児休暇から復職したのは4年前(2005年)。「育児休暇は1年間と定められていたので、娘の1歳の誕生日が復職日。産休直前まで残業して働いていた私は、復職してもがんばって働こうと思っていました。ところが、保育園の慣らし保育が始まると、それまで熱を出したことのなかった娘が何度も風邪から気管支炎となって高熱を出し、私も肺炎になってしまいました。しかも初めての誕生日にインフルエンザになってしまった娘。出鼻をくじかれた私は、仕事を続けることにも危機感を覚え、長い目で見て今はスロースタートしようと思ったのでした」


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