サイト内
ウェブ

第6回 医師/ EKR Center, Japan Chapter 代表 堂園凉子さん
苦しみも人生のレッスン、死は「生きる」ことを 見つめ直すきっかけです。

  • 2006年10月1日
 

苦しみも人生のレッスン、死は「生きる」ことを見つめ直すきっかけです。「死ぬ瞬間」の著者、 ロス博士を記念する写真展が開かれた。

写真

第6回 医師/ EKR Center, Japan Chapter 代表 堂園凉子さん

profile
1947 年東京で生まれ鹿児島で育つ。1971 年慶應大学医学部卒業、同時に母校の産婦人科学教室入室。
1977〜1981 年米国南カリフォルニア大学(USC)産婦人科研究員。
1984 年東洋医学と西洋医学を融合させた診療所「インターナショナル メディカル クロッシング オフィス」開業。
1995 年淡路阪神大震災時「サポート神戸」設立し支援。
2001 年「エリザベス・キュープラー・ロス(EKR)センター日本支部」設立。
2002 年エリザベス・キュープラー・ロス博士死去、追悼のための「第1 回 Ken Ross 写真展」開催。
2006 年「第2 回 Ken Ross 写真展/長谷良樹氏と共に」開催。

写真

 『死ぬ瞬間』の著者でターミナル・ケアの第一人者だったエリザベス・キュープラー・ロス博士を記念する写真展が開かれた。その展覧会のプロデューサーは、医師の「堂園凉子」さん。自ら「コンビニ・ドクター」を自称し、普段から24 時間患者のために東奔西走。東洋・西洋の垣根なく医療を行うという、まさに八面六臂の活躍ぶり。その小柄な身体に,一体どれだけの『元気』が隠されているのでしょう。
 まずは、今回の展覧会の影の主役「故・エリザベス・キュープラー・ロス博士」のお話を伺ってみましょう。

今回の展覧会は、『エリザベス・キュープラー・ロス博士没後2年を機に』と謳われ、エリザベス・キュープラー・ロス博士を記念するものとして位置づけられていますが。まず、エリザベス・キュープラー・ロス博士がどんな方なのか、少し教えて下さい。

写真

 エリザベス・キューブラー・ロス博士は精神科医で、死と死の瞬間という分野を開拓した本「死ぬ瞬間」の著者でもあります。彼女はこのテーマにおいて世界中で最も愛され、尊敬される存在となりました。

 実際、78歳でお亡くなりなる直前まで生活のほとんどを死にゆく人々のために働いていらっしゃったと言っても過言ではありません。もともとはスイスのチューリッヒで三つ子の一人としてお生まれになり、1957年にチューリッヒ大学医学部を卒業した後、1958年に渡米。当時勤務していたニューヨークの病院での瀕死の患者の扱いに愕然としたことから、終末期医療の専門家を目指すようになったと言われています。

 「彼らは避けられ、粗末にされ、だれも彼らに正直に接していなかった。」当時の医療現場における末期の患者に対する博士の心のつぶやきです。

堂園先生とエリザベス・キュープラー・ロス博士との関わりは、どのようなものなのでしょう?

 私自身、1995年に起こりましたあの淡路阪神大震災の折り、「サポート神戸」という支援団体をつくったのですが、その活動を通して『生きて行かねばならない人々の辛さ』を目の当たりにしてから、『生と死』というものをより深く考えるようになりました。

写真

 臨死を扱った著書『死の瞬間』は、ご存知の通りエリザベス・キュープラー・ロス博士の代表作のひとつですが、この頃から博士との出会いは必然であると直感的に感じるようになり、1996 年からお手紙での交流がはじまり、1999 年には出会いが実現いたしました。

 その後は、お亡くなりになるまで、年に数回米国アリゾナ州フェニックスの砂漠の中にありますエリザベス・キュープラー・ロス博士のご自宅を訪れては、2 人きりの時間を過ごすようになりました。

エリザベス・キュープラー・ロス博士は、人間が死に至までの思考過程を『否認、怒り、取引、抑鬱、受容』の5 段階に分けて分析する「死のプロセス」という考え方を提示したことで有名ですが、堂園先生は終末期医療をどのようにお考えですか?

 人は、誰もが「生まれ」「生きて」「死ぬ」という平等の機会が与えられています。
 「生まれる」「死ぬ」は、自らの手でどうすることもできぬものではありますが、医療従事者(ことに産婦人科の身として)は、その人の誕生の時と、旅立ちの時をより厳粛に、丁寧にお手伝いしたいと日々思っております。

エリザベス・キュープラー・ロス博士との思い出を聞かせて下さい。

 博士から繰り返し言われたことは、「期待しすぎちゃだめ。時を待ちなさい」と言う言葉。一見、簡単そうでとても難しいことです。特に、医療現場に居ると、その大切さが日々感じられますが、これは、普通に会社勤めをしていたり、家庭でハウスワイフをしている人にも当てはまる言葉だと思います。博士のように、日々、余りにも多くのがん末期患者と接してこられた方ならではの、シンプルで現実的な重みのある言葉だと受けとめています。

キーワードからさがす

gooIDで新規登録・ログイン

ログインして問題を解くと自然保護ポイントが
たまって環境に貢献できます。