現在、地球規模で危機感が高まってきています。デザインがなくても人間は生きていける。ムダだといえば無駄かもしれない。ムダかもしれない階段の踊り場と同じように無用の用という・・・一番大切なものだという。 |
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■第2回 環境デザイナー 今井澄子さん 続編 |
1947年生まれ。学習院女子短大卒業後、米国に渡る。アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン環境デザイン科卒業、UCLA大学院ファインアート科卒業(修士号取得)。近代的な椅子のデザインで有名な米国人デザイナー、チャールズ&レイ・イームズの事務所に勤務。才能を開花させ、サンフランシスコ日本総領事公邸、IBM本社のインテリアなどで高い評価を得る。92年、東京に『今井澄子デザイン事務所』を設立。現在は拠点を日本に移し、幅広く活躍中。
環境デザイナーの今井澄子さんに今回は、イームズ時代のことと今後についてお話しを伺いました。
--今井さんのアメリカでの留学生活、特にアートセンターオブカレッジでのことを話してください。
IBM ニューヨーク本社 1977年
やはり英語が苦手で言葉なしで表現できるデザインに打ち込みました。
工学部、インダストリアルデザインの中の環境デザイン科だったのですがデザインの世界の言葉を学び、ツールを学び、デザインの基礎や立体の作り方を学ぶ中でコミニュケーションのための言葉を少しずつ学びおぼえていきました。
自然に憶えていくという事が身につく英語の秘訣ですが、あるレベルを超えたところからはやはり本格的に学習していく必要がありますね。比較的恵まれた環境でした。
--カレッジ成績はどうでしたか
言葉が苦手で不自由な分良く勉強しましたし、環境デザインがとても新鮮で夢中になりました。環境デザインは最近になって日本でも注目される領域になってきましたが当時は全くの未知のデザイン分野でしたのでとても興味が持てました。結構注目される存在になり先生方にはかわいがられてその後のデザイン活動では力になっていただきました。
--卒業後はあの家具デザインで有名なチャールズ・イームズ社に入りスタッフとして働きましたね。凄いというより 羨ましい経験ですね。
フェンディ / ビバリーヒルズ店 1983年
イームズの事も良く分からず校長先生のドン・キュブリーさんに推薦を受けました。イームズで学んだことは正に今で云う「LOHAS」の極意だったように思います。多くの事を学び経験させていただきました。
イームズから、古いとか新しいとかでなく、本物が一番という価値観を学びました。またイームズをはじめスタッフもプロの意識が非常に高くそのため他のプロに任せたら、その領域には決して入ってこないという人たちでした。しかしそれは一番厳しいということでその分責任もありエネルギーをつぎ込まざるを得ませんでした。私はここで、最初の仕事はニューヨークのIBM 本社のオフィスを手がけました。
イームズは建築家としても一流ですが見には来るけど何も言いませんでした。結局、IBM. NY はイームズの代表作になりましたが本当のプロのプロデューサーの姿を見たような気がします。
日本では建築家とデザイナーの関係は曖昧ですしクライアントとデザイナー、建築家の関係などとても曖昧です。これから領域の広い環境デザイナーの果たしていく役割は重大と考えています。