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このコンテンツは、地球・人間環境フォーラム発行の「グローバルネット」と提携して情報をお送りしています。

第99回 地域資源を生かす復興へ向けて

  • 2012年4月12日

特集/災いを転じて・・・(その5) 第99回 地域資源を生かす復興へ向けて

 持続可能な豊かで平和な暮らしを創造することができる“人づくり”と“社会づくり”を目的に活動してきた「くりこま高原自然学校」は、2008年6月14日の岩手・宮城内陸地震で被災し、2年間にわたって活動拠点の立ち入り制限を余儀なくされ、場所を移して事業の再生に取り組んできました。そして2011年3月11日東日本大震災という大きな震災に再び遭遇し、これまで取り組んできた「持続可能な暮らしを創造すること」を再度試されています。

仮設住宅ではなく復興共生住宅

 3年前の岩手・宮城内陸地震をきっかけに、くりこま高原自然学校と地元の製材所を中心に「日本の森バイオマスネットワーク」というNPOを立ち上げました。森林の再生・循環と森林資源を活用した新たな取り組みを進めてきました。とくに木質ペレットとペレットストーブを普及させ、地域にある森林資源をエネルギー資源として取り出し、地域に雇用を作ることで、今まで化石燃料に回っていたお金を地元で回して地域再生をしようという試みです。

 3.11の震災直後から日本の森バイオマスネットワークは、全国の会員から寄せられた緊急支援物資を被災地に届け続けました。その時に目の当たりにしたのは、被災地では、電気が止まり石油の流通も滞り、多くの避難所の暖房がストップしているということでした。多くの避難民が寒さに震えていたことを知り、直後からペレットストーブの設置を急ぎ、43台のペレットストーブを20数ヵ所の避難所に設置したのでした。

 その後、新たに仮設住宅の多くの課題を知ることになりました。被災した家屋の膨大な数から仮設住宅の建設が間に合わない事情を知り、地元の木を使って、地元の大工、工務店が住宅建設することで、復興予算も地元に還流し、地域の再生が進む仮設住宅のあり方の提案をしました。

 しかし、仮設住宅は、災害救援法によって「仮設住宅」という定義がされ、現実的には日本プレハブ建築協会がすべてを仕切り、われわれのような提案が関われないような仕組みになっており、われわれの提案は門前払いでした。

持続可能な復興共生住宅概念図
持続可能な復興共生住宅概念図
※クリックすると拡大画像が表示されます。
(作成=ポンプワークショップ)
 そこで、日本の森バイオマスネットワークでは、仮設住宅が2年後に解体をしてごみになるのではなく、住環境にも配慮した独自の住宅建設に取り組むことにしました。仮設住宅ではない復興共生住宅「手のひらに太陽の家プロジェクト」(左図)です。多くの企業や支援者の資金援助により、行政に代わって民間の力で被災者に住居を提供する試みです。

 現在、南三陸町に隣接する登米市登米に土地を取得し建設が進められています。震災によって家族が一緒に住むことができなくなった震災遺児や母子家庭など震災弱者のための、グループホーム的な住環境の提供です。エネルギーにもペレットストーブやペレットボイラーを使用し、太陽光発電などを導入しています。住宅を提供するばかりではなく、入居者の生活支援、教育支援、雇用支援も行い、町の復興とともに被災者の自立と暮らしの再生の支援の拠点として活動をする施設を目指しています。

 そして、数年先には津波で被災した多くの地域は、高台移転を余儀なくされ、各地で新しい町づくりが始まることになります。私たちが早くから支援に入っている南三陸町歌津の伊里前地区には、元禄時代から315年続いている契約会という古くからのコミュニティがあります。その契約会は海の背後の山林50haを共同で所有しています。この山林を提供し、新しい町づくりに取り組むという動きがあります。震災復興は、東北の農山漁村の多くの課題を抱えた地域再生そのものになります。


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