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このコンテンツは、地球・人間環境フォーラム発行の「グローバルネット」と提携して情報をお送りしています。

第137回 日本は自然資本経営のモデル国家になれるか?(下)

  • 2015年6月11日

日本は自然資本経営のモデル国家になれるか?(下)参加者:谷口 正次さん 資源・環境ジャーナリスト/足立 直樹さん 株式会社レスポンスアビリティ代表取締役/植田 和弘さん 京都大学大学院経済学研究科教授/ 進行 グローバルネット編集部

 

自然資本経営の研究では草分け的存在である京都大学大学院経済学研究科教授の植田和弘さん、資源・環境ジャーナリストの谷口正次さん、レスポンスアビリティ代表取締役の足立直樹さんに、なぜ自然資本経営の重要性、緊急性にたどりついたのか、ご自分の経験を踏まえながらお話しいただきました。持続可能な社会を築いていくためには、国にとっても企業にとっても、自治体にとっても、これからは自然資本経営の実践が欠かせないことも明らかになってきました。

座談会の後半では、日本が自然資本経営のお手本になれるのか、欧米の事例とも比較しながら話し合っていただきました。

座談会の前半はこちら

GN編集部(以下編集部) 宮城県・気仙沼で牡蠣の養殖業をされ、漁師が森に木を植える「森は海の恋人」運動を始めた畠山重篤さんのような方が京都大学の教授に招かれて、現場で学んだ森と里と海の関わりをアカデミズムの世界、経済学の領域に持ち込んだのはすごいことですよね。

植田 素晴らしいことだと思います。学問というのは、計画的に成果を出すということが簡単にはできません。今の大学はそういうことを要請してきますが、新しい成果が生まれやすい場や雰囲気をつくることが重要です。自然資本経営とか森・里・海連環学というのは、総合化を具体的な実践に結びつけることが必要です。
 私は三つの柱で進めないといけないと言っています。具体的な実践がいろいろあって、成功する事例が出てきて、自然資本経営に関してそこから何がくみ取れるのか、それを理論化すること。同時に、人間と自然の関わりですからわれわれ自身が実践しないといけません。事例を扱うことと、理論化することと、実践することを組み合わせて取り組む必要があり、大学の中でそういう取り組みを行う場ができることは意味があると思っています。

植田 和弘 氏 植田 和弘 氏
京都大学大学院 経済学研究科教授


 1975年、京都大学卒業。1983年に大阪大学大学院で工学博士号取得。1997年には京都大学で経済学博士号も取得。環境経済学の草分け的存在で、1995年にできた環境経済・政策学会の設立発起人となり、同学会の会長も務めた。2012年、再生エネルギー固定価格買い取り制度の調達価格等算定委員会の委員長を務め、画期的な買い取り制度のレールを敷いた。著書に『緑のエネルギー原論』『廃棄物とリサイクルの経済学~大量廃棄社会は変えられるか』『環境経済学への招待』など多数。

編集部 京都大学にはそういう土壌があるんですか。象牙の塔に閉じこもるのではなく、現場に出ていく、という……。

植田 フィールド研究が得意という伝統があります。2014年に就任した山極壽一総長はゴリラ研究の第一人者でアフリカの山に足しげく通っていた方です。

編集部 足立さん、先ほど谷口さんから、自然資本経営が投資家にとってのリスクヘッジのようになってしまうと、本来の自然資本経営とは違うのではないか、とのご指摘がありましたが?

リターンの多い所に投資していた投資家がリターンだけを求めるのではダメになってしまう
有限な地球の中でやっていくしかないと気付き始めた(足立)
足立 自然資本、自然資本会計に投資家が注目しているのはまさにリスクなんです。ただ、今までと違うのは、これまでなら一番リターンの多い所に投資しようと考えていたのに、リターンだけを求めていると、結局はダメになってしまう。有限な地球の、閉じられた輪の中でやっていくしかないと投資家も気付いて、リスクの少ない方に動くのが賢いと思い始めているのではないでしょうか。
 豊かな自然に対してお金を払おうという仕組みがだんだんできつつあり、そこにお金が流れ始めています。これは南北の格差を減らす方向に作用し、経済優先の開発にブレーキをかけることになります。世界銀行(世銀)も関係する国際機関もその点に注目しています。

足立 直樹 氏 足立 直樹 氏
株式会社レスポンスアビリティ代表取締役


 1989年、東京大学理学部卒。1994年、同大学院理学研究科修了。理学博士号取得。国立環境研究所で熱帯林の研究に携わり、1999年から3年間、マレーシア森林研究所で熱帯林の動態や土地利用の変化などを研究。帰国後、独立して企業向けの環境やCSRのコンサルタント会社を設立し、持続可能なサプライチェーンマネジメントなどを支援する。企業と生物多様性イニシアティブ(JBIB)事務局長なども務める。著書に『生物多様性経営~持続可能な資源戦略』など。

谷口 私は投資家の利益になることが悪いことだと言っているわけではありません。目的は同じですが手法が違うということです。

谷口 正次 氏 谷口 正次 氏
資源・環境ジャーナリスト 京都大学特任教授


 1960年、九州工業大学鉱山工学科卒業。小野田セメント入社。資源事業部長、常務取締役を歴任し、環境事業部を立ち上げる。合併による1998年の太平洋セメント発足時の専務取締役として、環境事業などを担当。退職後は資源・環境戦略設計事務所の代表となり、豊富な現場体験を踏まえた資源・環境問題について、ジャーナリスティックな発言を続けている。NPO法人ものづくり生命文明機構理事。著書に『メタル・ウォーズ』『オーシャン・メタル~資源戦争の新次元』など多数。

足立 今まで、いわゆる途上国は先進国に比べて経済的発展が遅れているという意識を双方が持っていました。ところがどれだけ自然資本があるかという視点からすると、途上国の方が豊かな資本を持っていることになります。この考えが今後、世の中を変えるかもしれません。今までは、自然が豊かだといっても、どれくらい豊かなのかわからないし、そこから実際にお金が生まれるわけではありませんでした。しかし、実際にお金の流れが生まれてきて、南北の格差を少しは減らす方向になりつつあります。

編集部 谷口さん、日本には自然資本を金銭的価値に換算すること以前に、自然と共生する思想、自然の中に神が宿るとする宗教観もありますね。自然資本経営をするうえで、日本社会のこのようなバックグラウンドはプラスになるのでしょうか。

環境と資源を上位概念にもっていって経済を下に置く、サブシステムにするというコペルニクス的転換をしなければならない時代(谷口) 谷口 自然資本経営を考えるうえでの根本的な問題は文明の問題です。自然資本は自然科学の独占物ではないということです。日本には縄文時代からずっと自然資本を大切にする伝統、文化がありました。明治維新までは、極めて豊かな自然資本があり、素晴らしい自然資本経営をしていました。江戸時代は封建制度が敷かれていたといいながらも、ある意味で地方分権、地産地消で地域が自立していたからです。
 そういう時代から、欧米列強と伍していかなければならないと明治時代になり殖産振興、富国強兵政策で自然資本の開発が進みました。日清、日露の戦争には勝ったけれど、太平洋戦争で完全にやられました。米国の占領政策で、日本の価値観、自然感、歴史観、宗教観が破壊されました。
 世界も同じように米国の文明に支配されている。経済が上位概念になって、環境だとか資源というものはサブシステムになっている。ところが21世紀になり資源と環境の有限性に気が付いた。経済の勝手な理論によって、自然資本の有限性を無視していては、人類は行き詰まってしまうことに気が付き始めたのです。だから環境と資源を上位概念にもっていって、経済を下に置く、サブシステムにするというコペルニクス的転換をしなければならない時代になりました。
 日本は縄文時代以降、自然と共生し、自然とのコミュニケーションによる生産、労働を続けていました。生物多様性に富んでいるから日本の自然資本が豊かだというだけではなくて、人間性、文化、伝統といったものもきわめて豊かですから、これを経営資源として、世界一のモデルを作って、これを経営して世界に発信しようというのがわれわれの考え方です。

編集部 2013年の4月に京都大学で自然資本を考えるシンポジウムが開かれました。その時の基調講演で、カリフォルニア大学のリチャード・ノーガード教授(資源・エネルギー経済学)は「裏切られた発展~進歩の終わりと未来への共進化ビジョン」と題して、「ニユートンの系譜である人間中心の西洋的進歩信仰にもとづく進歩概念は、もはや変えなければならなくなった」と自然資本の減耗に警鐘を鳴らしていました。
 また、英国では2006年に、世銀のチーフ・エコノミストでもあった経済学者のニコラス・スターン卿が、早急に温暖化対策に取り組むべきだとするレポートを発表し、英国政府の政策に大きな影響を与えました。
 世銀のエコノミストと言えば、昨年、米メリーランド大学公共政策学部のハーマン・デイリー名誉教授が旭硝子財団のブループラネット賞を受賞されました。「定常経済」を提唱しているデイリー教授は自然資本経営の提唱者でもありますね。

ハーマン・デイリーの持続可能性の3原則

  1. 再生可能な資源の持続可能な利用速度は、その資源の再生速度を超えてはならない。
  2. 再生不可能な資源の持続可能な利用速度は、再生可能な資源を持続可能なペースで利用することで代用できる速度を超えてはならない。
  3. 汚染物質の持続可能な排出速度は、環境がそうした汚染物質を循環し、吸収し、無害化できる速度を上回ってはならない

 欧米では自然資本経営を説く知識人が発言し、行動を起こしていますが、日本の場合は、東日本大震災の被災地で森と里と海を分断する巨大防波堤計画がどんどん進められ、京都大学名誉教授の田中克先生の「森里海連環学」に基づく復興計画などが無視されている状況です。新しい物の考え方に対する感度が日本人はすごく劣化しているのではありませんか。

谷口 明らかにそれは戦後教育のせいですよ。私も戦後教育の第一期生で犠牲者です。しかし、戦後教育の間違いを、私は日本人から教えられたのではなくて、皮肉なことにヨーロッパ人から教えられた。20世紀の知の巨人と言われるフランスの思想家、クロード・レヴィ=ストロースとか、ドゴール元フランス大統領の時代に文化相を務めたアンドレ・マルロー。この2人に共通しているのは、こよなく日本文化を愛し、日本の歴史や伝統に精通していたことです。この人たちの本を読むことで、私が受けていた教育は脱亜入欧じゃなくて、脱亜入米だったのだと気付きました。日本は決して資源小国ではなく、自然資源はきわめて豊かです。しかし、ハーマン・デイリーの資源利用の3原則(囲み)にあてはめたら、日本を含む世界の国々の資源の利用速度はすでに再生速度を超えていることは否定できない現実ではないでしょうか。
 今こそ文明を見直し、経済のモデルを変えないといけない時期に来ていると思います。

編集部 自然資本経営がもっと広く定着するためには、いわゆる見える化というか、定量化のような作業が必要かと思うのですが、その部分でまだ厚い壁が残っていると思います。経済学者のお立場から見て、植田先生は自然資本経営の現状をどのように思われますか。

人間社会の一番基本のところに自然資本というものを基盤としてきちっと位置付け
経営の仕方がいかにあるべきか議論する必要(植田)
植田 自然資本というのは経済学の中でどのように位置付けるかという根本的な問題と関わるところがあります。ここで自然資源の内部化という言葉が使われますが、企業なり消費者なり生産者なり、一つの経済主体の計算の中に、自然資源の価値を入れさせることになります。現状では入っていないわけですから、そういう意味では自然資本の内部化は非常にポジティブな意味を持っていると思います。
 しかし、それだけでは、自然資本を一つの資本と位置付けて、全体として効率的な経済運営を行うには内部化しないといけない、と言っているにすぎないと思っています。マーケットの仕組みがうまくいくはずだという考えと結び付いた発想だと思います。それでは本当の意味の、われわれが目指すべき自然資本経営とは違うのではないでしょうか。
 外部性を内部化することのポジティブな面は認めるけれども、私はどちらかというと、もっと根本的な、例えば日本では宇沢弘文先生が言っている、社会的共通資本として自然資本を見るという考え方が重要だと思います。外部性を内部化するという発想を超えていて、人間社会の一番の基本のところに自然資本というものを基盤としてきちっと位置付けることが必要で、まさに経営の仕方がいかにあるべきかということを議論しなければならないと思います。
故・宇沢弘文氏が提起した社会的共通資本の考え。
自然資本だけでなく医療や教育でも高い倫理観を持って経営する(植田)
 宇沢さんの考えによると、市場だけですべてがうまくいくものではない。市場が役立つ面もあるのだけれど、市場だけではだめだし、これが持っている弊害もものすごくあるので、それがわれわれの課題だと思います。米国の経済学者オストロムさん(注=エリノア・オストロム。1933~2012年。女性初のノーベル経済学者。自然資本経営がうまく機能している所では、市場や政府に加え、コミュニティーが重要な役割を果たしているとするコモンズ論を展開)は、これをコモンズという言い方でその必要性を強調しました。要するに、市場的な管理も、国家とか政府による管理も、両極みたいなものですが、それぞれが持っている問題があるのですね。彼女は世界中をまわってみると、そういうやり方とは違って、まさにコモンズ的に管理されていることで持続している、と。そういうのがいろんな場面で、漁業資源であったり森林であったり、日本の入会地も彼女は位置付けているわけですが、そういう自然資本を経営している経営の仕方が世界各地に残っていて、それを正しく位置付けなければならないのに、従来の伝統的な経済学は市場か政府かという二者択一的な選択になる。だから彼女の研究はノーベル賞に値する業績であったと思います。
 私たちが探求する道も、オストロムさんが切り開いたものと大いに関連を持つし、宇沢さんの提起したことが発展させられる必要があります。宇沢さんの場合は、社会的共通資本という、自然資本だけではなくて、医療とか教育も共通性を持ったものなので、例えば医療に関わる専門性を持った人たちは、高い倫理観を持っていかにあるべきか、きちんとした仕組みを構築し、まさに社会的共通資本として経営をすることが必要だとしたわけです。

故・宇沢弘文(東京大学名誉教授)

 文化勲章受章者。「行動する経済学者」と呼ばれ、公害の現場等に足を運び、新しい学問のあり方を問いかけた。「一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する」とする社会的共通資本の考え方をベースに、1970年代の初め、豊かさの象徴とされていた自動車の激増に対して『自動車の社会的費用』を出版。自動車が出す排ガスや交通事故などの社会的費用を内部化するよう提言。また、地球温暖化問題については、先進国の拠出による大気安定化国際基金の設置を提唱した。(2014年9月、死去。享年86。)

編集部 足立さん、今の先生のお考えについていかがですか。
 持続可能な社会を築くためにも企業の役割は大きいと思いますが、CSR(企業の社会的責任)のコンサルタントをやっておられる立場で、今後、コモンズ的な発想を企業が取り入れる動きは出てくるとお考えですか。

足立 まず植田先生に確認したいのは、先生がおっしゃる自然資本経営とは、市場でもなく政府でもなく、それをもう一つ別の視点から、別の主体が別の考え方で、社会的共通資本であるコモンズをしっかり面倒見ていく。そのあり方を自然資本経営と言う、ということでしょうか。

植田 国家的管理が正解だとか市場的管理がうまくいくはずだという、そういう二つに決め込むのは間違っているということです。市場がなくなることはありませんから、どんな機能・役割を持った市場になるか、というのが非常に重要な問題です。政府がある意味で責任を持って、それこそ管理をしなければならないところも出てくるわけですけれども、もっと大きな経済全体、あるいは、どう自然資本を使うのか、誰のものかとか、全体のガバナンスの問題ですね。経済よりもっと大きなものとして自然資本経営があるというのはそういう意味ですね。

企業の財務だけでなく、非財務情報である環境や社会的共通資本に関しても企業は開示することが求められる(足立) 足立 私どものやっているCSRの中で今進んでいるのは、自然資本経営の一部分で、市場がベストだとは全く思わないんですけれど、一番手っ取り早いところで、市場をいかにましな市場にするかという取り組みだと思います。
 市場をもっとましな仕組みにするために、今まで外部経済だったものを内部化したり、すでに内部化されているようなものも出てきたので、それに備えた経営をしていこう、それはまだ自然資本経営と言えるものではないかもしれませんが、そういう方向にはかなり動いてきていますね。それはなぜかというと、そうしないことには企業経営そのものがリスクを負う、あるいは壁にぶつかってしまうことが、かなり明確になってきたからだと思います。
 リスクを開示しなさいということは企業経営の条件になってきているのですね。かつては上場企業に対しては、財務情報を公表しなさい、株主が投資をしたわけだから、それがきちんと正しく使われているのか、毎年一回報告しなさいという会計に関するアカウンタビリティが求められていた。それが今は財務だけでなく非財務に対して、環境に対しても、あるいは社会的な共通資本に関しても、どういうことをやっているのか、非財務情報を開示しなさいと言われてきています。とくに欧州では進んできています。

神楽サロン(東京・新宿区)での座談会の様子
神楽サロン(東京・新宿区)での座談会の様子
編集部 投資家の意識が高まり、企業の姿勢が変わるには相当時間がかかるように思いますが、何か変化は感じていますか。

足立 自然資本経営に向けて、何をどのように開示するのか、どのように測定して指標を開示するのが適切なのか、今後必要なのはそういう議論だと思うんですね。この先どのくらいのスピードで、どのくらいの精度で進むのかということですが、私は少なくとも方向性としてはいいところまで来たのではないかと思っています。ただ問題はそれで本当に十分なのか。まだ非常に限定的な仕組みですし、それだけでカバーできるものでもないのです。それが効力を出すにはある程度時間がかかると思うのです。その時間と、実際に自然が損なわれ、社会的な共通基盤が損なわれていく中で、果たして間に合うのか。
 私が希望を持っているのは、一部でかなり急激な動きも起きていることです。今着目しているのは森林です。森林というのは最も重要な自然資本、あるいは生態系の一つですが、森林をこれ以上開発するなという圧力が世界中ですごく高まっていて、それに対して理解を示す大企業が、実は米国でものすごく増えているんですね。しかもこの動きが出たのはわずかこの1年なんです。2013年くらいから始まって、この1年の間に、次々に米国の名だたる企業が賛同を表明せざるを得ない状況に追い込まれています。
 私はまさか1年でこんな大変化が起こるなんて思いませんでした。もしかしたらそういうことは実際にだんだん効果を表し始めてきていて、なんとか間に合ってくれるのかなという感触も最近は少し持っています。

編集部 谷口さん、今後この自然資本経営がうまくいくことを期待するとしたら、今の足立さんのお話にもあった、定量化だとか、評価の部分は、公正に、客観的にでき得るとお考えですか。

大切なのは自然資本経営の理念の内部化
自然資本の有限性を認識した国家、企業、首長のしっかりした意思(谷口)
谷口 それはできると思います。私たちは、企業の新しい価値指標としてEEBE(External Economic Benefit Evaluation)という指標を2006年に発表しました。上場企業と監査法人でワーキング・グループを編成して策定したもので、生物学的自然資本だけでなく、地質学的自然資本などすべての自然資本を含む価値を評価するものになっています。英訳もできていて、ダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)でも発表しています。2014年の4月、京都大学大学院経済学研究科に「自然資本経営論」共同研究講座が発足し、EEBEに関する文書は京都大学のWEBサイトに電子データとして入れてもらっています。
 EEBEを簡単に説明すると、企業が自然資本の減耗・劣化・枯渇を防ぐような事業活動を行った場合、単に物理量で示すだけでなく、それを金銭評価して財務会計に内部化できないまでも、環境と社会へ与えたベネフィットとしてボトムラインに表示しようということです。これが自然資本経営による新しい企業価値の発見と創造です。トリプル・ボトム・ラインの考え方です。
 私が言う内部化とは、経営者自身に自然資本の理念がしっかりと内部化されることです。経営というのは、企業経営、地域の経営、国家経営、国際共同体としての経営という四つのレベルがあるのですが、それぞれの経営者が自然資本の有限性をきっちりと認識し、行動すること、つまり、国家の意思、企業の意思、経営者の意思、首長の意思というのが一番大切だと思います。

編集部 ありがとうございました。

(東京・神楽サロンにて)

第136回 日本は自然資本経営のモデル国家になれるか?(上)

グローバルネット:2015年2月号より

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