伝説のフェス「One Stepフェスティバル」
今年6月に急逝した佐藤三郎氏。反公害・自然保護を訴える活動家で、ミニコミ誌「One Step」を発刊し、1974年夏には、オノ・ヨーコを福島県郡山市に呼び、伝説のロックフェス「One Stepフェスティバル」の開催を成し遂げた男である。オノ・ヨーコ以外にも、内田裕也、CAROL、沢田研二、かまやつひろし、シュガー・ベイブ、サディスティック・ミカ・バンド、クリエーション、外道等々多くの方が参加した。
まずはやってみようという気持ちが大切
オノヨーコ氏は、同フェスに出演を快諾した理由として、アメリカにまで出演交渉にやってきた佐藤氏が語った「夢に共感した」ため、述べている。
常にメッセージを発信し、人々の意識を向かせて、考えてもらう。そのような行動力がある佐藤氏が今生きていたら、電力が自由化されたこのご時世において、どのような行動に出ただろうか。
当時最大規模の野外フェスを、若者が主導
One Stepフェスティバルは、当時の日本では最大級の野外フェスで、当初予定していた5日間を超え、10日間、郡山市開成山公園にて開催された。
なぜ、ロックフェスだったのか。フェスのテーマは、「街に緑を、若者に広場を、そして大きな夢を」であった。佐藤氏が人生をかけて伝えたかったこの大きなテーマを、誰にでもわかりやすく、楽しく伝えることができるのは「音楽」だと考えたからだ。
日本のミュージシャンは30組以上参加し、海外からは、リタ・クーリッジとクリス・クリストファーソン、そしてヨーコ・オノ&プラステック・オノ・スーパーバンドが参加しプロデューサーとして内田裕也氏が参加した。
既にあるモノに満足せずに、当時1人の若者であった佐藤氏が、他の若者を巻き込み、自分たちでまずは何かをやってみようという夢が、オノヨーコ氏の心を動かしたのだ。
「One Step」が意味するように、まず、やってみようという気持ちが、夢への実現に近づくのだ。佐藤氏は一生をかけて伝えてくれたこのメッセージと、電力自由化などエネルギー事情が変化する世の中に生きる私たちは、真剣に向き合うときなのかもしれない。
(画像は横尾忠則氏デザインのオフィシャルのONE STEPポスター)
▼外部リンク
エネクトニュース プレスリリース
http://enect.jp/saburo-sato02/