独自の感性で食について綴る、エッセイスト・フードディレクターの平野紗季子さん。ごはんやお菓子を食べる喜びを豊富な語彙で語り尽くすPodcast/ラジオ番組『味な副音声~ voice of food ~』が書籍になりました。ゲストたちとおしゃべりして発見したこと、そして心が疲れてしまった時に救ってくれるおやつの存在……。「語りたいことは尽きない」平野さんが今話したいこととは。
――Podcast番組『味な副音声~ voice of food ~』を聞いていると、ゲストのみなさんと話ががっちり噛み合っていて、平野さんのコミュニケーション能力の高さに驚かされます。ただ、仕事をしていると、うまく会話が成り立たないときもありますよね。そのような状況になった時はどうしてますか?
コミュニケーションの齟齬はめっちゃつらいですよね。特に自分の理解の範疇を超えたロジックと向き合わなくてはならない場合、プロジェクトの負荷が爆増する気がします。そういう渦中になればなるほど、私はドーナツを食べます(笑)。
――ドーナツですか?
ドーナツを食べると、やさしい心が呼び起こされるんです。甘さ、油分、あの何人たりとも傷つけまいとするふわふわもちもちとした存在ゆえの力でしょうか。何かしらの問題が仕事で起きていると、そのことで頭がいっぱいになりますが、思いきってふと手放して別の回路で世界を見直すと心に平和が訪れます。その鍵としてドーナツが機能するという感じです。
こないだも仕事の過程で闇落ちしそうになっていたとき、タクシー移動の方が圧倒的に効率の良い状況だったのですが、あえて歩いて、途中のドーナツ屋さんでドーナツを買って、そのまま歩き食べしました。そしたら負の感情がみるみる溶けていく感じがあって。ドーナツありがとうってなりましたね。そういう時って、タクシーに乗って時間を30分巻けたとしてもあまりいいことないですから。
以前、歌人の穂村弘さんと「味な副音声」でお話しをした時、穂村さんが会社員時代に「このまま通勤電車に乗っていれば、海に行くことだってできた。でも実際は、毎日出社し続けた。1日でも会社をサボって海を見に行ってたら、きっと忘れられない日になっていたはずなのに」という旨のことをおっしゃっていたんですね。そのお話を聞いて、私たちは少し社会に迷惑をかけたって、海に行くこともできた時間のような存在を、日常生活に差し込んでいくべきなのだ、と思えました。
――嫌な気持ちになってしまったときの心の支えは、ドーナツの他にもありますか?
「セブンティーンアイス」です。疲れた時に、ふとあの自販機が立ち昇ってくる(笑)。あれって大人のためのアイスですよね。オフィス街の乗り換えに使うような大きめの駅とかに置いてありますもん。「セブンティーンアイス」は効率至上主義社会においてのオルタナティブ。弱っているときに引き寄せられます。アイスを食べて、乗る予定だった電車を一本遅らせる。そういったことがもっと許される社会であって欲しいです。
リスナーさんから、「憂鬱な朝、頑張っている自分へのログインボーナス(※ご褒美の意味)としてコンビニに寄って好きなお菓子を500円以内で買うことにしています。平野さんだったら何を買いますか?」と質問されたことがあったんですが、私は「高千穂牧場」のカフェオレを買うようにしています。ほどよい甘味がいい。あの間口の広いキャップに信頼感があります。
――ぼる塾の田辺智加さんをゲストに迎えた回で、田辺さんがされた「このお菓子を好きになった歴はまだ浅い」という旨の発言に、平野さんが「愛に歴、関係ないっす」と返されたのがとても印象に残っています。古参がもてはやされることが多い中、新規ファンだっていいじゃないかと改めて気づかせてくれました。
食というジャンルは、ともすると排他的になってしまうこともあります。番組を始めるときに、絶対にそういう番組にはしたくないと決めたんです。愛に歴は関係ないのはもちろんですし、詳しくても詳しくなくてもいい。開かれた番組にしたいと思いました。でも、必ずしも全部わかる必要はなくって、ただただ美味しそうで明日食べてみたい!と思うようなフードの回もあれば、研究者の方が、食と環境問題についてであるとか、おやつと労働について話をしてくれる回があってもいいと考えています。
それこそ、女工哀史の話をして下さった「おやつを笑うな」の回はとても印象に残っています。私たちの人生をエンパワーメントしてくれるような言葉を、法政大学教授の湯澤規子さんが、開かれた言葉でたくさん伝えてくれました。それをリスナーの方々にシェアできるのは素晴らしいですよね。
――ゲストの方々の人選は、平野さんご自身で決めていらっしゃるんですか?
はい! チームに相談しながら、私がお呼びしたい方をお招きしています。話したい人も、話したいことも尽きないですね。たまに「食について詳しくないのに、私でいいんですか?」と聞かれることもあるんですが、食事をとらない人はいないので、必ず何かしらエピソードを持っていらっしゃる。コントユニット「ダウ90000」の蓮見翔さんの「さっき食洗機から出た器でパスタを食わしてくれ俺に」という発言なんて最高でした。今まで濡れたままの器で出されると「あ、濡れているな……」としか思わなかったのに、蓮見さんとお話してからは、そこにおかしみを見出せるようになりました。対話には、自分が気づいていなかった世界の潜在的な面白さを引き出してくれる力がありますね。
――様々な発見や共感があると同時に、たくさんのおいしいが詰まっているから、この本を読んでいるとお腹が空いてきます。それも魅力ですよね。この本を制作している際に、平野さんは何を一番食べたくなりましたか?
うーん。なんだろう。「エリックサウス」のカレーかな。校了時にもUberで「エリックサウス」のカレーを頼んで編集者さんたちと一緒に食べました! おいしかったなぁ。稲田俊輔※さんの言葉に引き寄せられて、カレーが食べたくなりましたね。
※南インド料理専門店「エリックサウス」の総料理長。
「対話には自分では気がついていない面白さを引き出す力がありますね」。
平野紗季子(ひらの・さきこ)
小学生から食日記をつけ続け、大学在学中に日々の食生活を綴ったブログが話題となり文筆活動をスタート。雑誌・文芸誌等で多数連載を持つほか、podcast/ラジオ番組『味な副音声 ~ voice of food ~』(J-WAVE)のパーソナリティや、菓子ブランド「ノーレーズンサンドイッチ」の代表を務めるなど、食を中心とした活動は多岐にわたる。2025年3月に「ノーレーズンサンドイッチ」第1号店を東京駅にオープンさせた。
Instagram @sakikohirano
文=高田真莉絵
写真=平松市聖