万城目学さんの『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』という本を読みました。小学1年のかのこちゃんと、外国語(犬の言葉)が話せる猫のマドレーヌをめぐるファンタジー小説です。この本を読みながら、台湾キャンプでのある出来事を思い出しました。
小学2年、3年の女の子たちのグループは、早々に名前を「おばけグループ」と決めて、キャンプ場でお化け屋敷をやると宣言しました。そして、ことあるごとに4人で集まっては作戦会議。
「両親を亡くした子どもたちが、お化けにこだわっているのは問題ないのだろうか?止めなくてもいいのだろうか?」多くのスタッフの頭の中では、そんな思いがふっとよぎったと思います。でも、「子どもたちから出てくるものは、あるがままに受けとめよう」と最初に確認していましたから、そのままに見守りました。
「今夜、お化け屋敷をやります。みなさん来てください!」
はたして、お化け屋敷が始まりました。中に入ると、暗い部屋の中に懐中電灯の明かりがちらちら‥。頭の中には、大量の巨大なクエスチョンマークが飛び交います。脳みその固くなったおじさんには、理解不能です。しかし、当のお化けグループは満足そう。中に入った年長のキャンパーも「少し意味がわかんなかったけど、おもしろかった」と、印象に残った出来事のひとつにあげていました。
小さな子どもというのは、わけのわからないことに熱中するものです。すっごく楽しそうにその場でぴょんぴょん跳びはねているのを見て、その場で跳びはねてみても、私には気持ちはちっとも理解できません。同じように、大人には理解できないけれど、彼女たちの前には、とてつもなく楽しいお化けの世界が広がっているのかもしれません。だとすると、わけがわからなくても、子どもたちの世界につきあうことが、大人の大切な仕事だという気がします。
そう考えるとかのこちゃんとマドレーヌ夫人の物語も、あながち完全なフィクションとは言い切れないのではないかという気分になります。『鹿男あをによし』などの楽しくも荒唐無稽な作品を読んでいると、幼き万城目少年のまわりには、わけのわからない、くだらない熱中につきあってくれた、あるいは見守って(放っておいて)くれた、すてきな大人がたくさんいたに違いないと確信します。
…勝手な想像ですね。万城目さん、すみません。