寒い1月の半ばだった。私はコペンハーゲン(オランダ)に行くためにルンド(スウェーデン)の駅で電車を待っていた。この駅には改札というものがない。ホームへは誰もがどこからでも入れるようになっていて券売機がホームの中ごろに設置されてあった。電光掲示板に書かれた時間はとっくに過ぎているのに電車は来ていない。乗客はバラバラにホームに佇んでいる。みんな寒いので頭のてっぺんから足の先まで、顔以外はすべて防寒具で覆ってはいるものの時折冷たい風が顔を刺す。
やがて電車が入って来ると人々は急ぎもしないで悠然と電車に乗り込む。この鉄道にはベビーカーを載せて良い車両とそうでない車両があるが、その車両がどこに停まるか分からないので電車が来るまでは誰も準備なんてしない。だから電車が着いた途端、ベビーカーを押しているお母さんは専用ドアを探してダッシュする。周りの人たちも慣れた様子で、お母さんのベビーカーを車内に運び込むお手伝いをする。みんな気さくで良い人たちなのだ。
日本では電車は時間通りに来る。驚くべきことに停まる位置さえ10㎝とはズレない。そういう前提が守られているからこそ乗客は決められた停車位置に1列に並ぶ。
「出来ないことは出来ない」を通していけば、それはそれでOKなのだけれど出来なかったことが出来るようになると文化が変わるという好例だと思う。
電車を時間通りに運行する、決められた位置にきちんと停車させる。これは「そんなこと無理だよ」という人には出来ないことだけれど、そうすることによって多くの人が好都合を感じるならやってみようという人には大きな価値と可能性の秘められたチャレンジである。
何となく「文化」を変えるという働きは「出来ないよ」を「出来た」にする努力なのだと思われる。また努力するということは具体的に○○することを積み重ねるということだと思われる。一時「今でしょう」という言葉が流行ったがこれが「変革」のスタートなんだなと思う此の頃である。(ロック)