新幹線の新横浜の駅を降りて6~7分歩いたところに「ラーメン博物館」があります。但し、博物館と言っても学芸員はいません。日本の有名ラーメン店の中から選ばれた行列の出来るラーメン屋さんが出店していることで有名なのですが、ここの博物館のもう一つの売りは館内が昭和30年代の雰囲気に統一されていることです。夕暮れ時の下町という設定もなかなかに郷愁を誘うものがあるし、運がよければ30年代のお巡りさんや悪ガキたちに会えるかも知れません。時々ベーゴマなどを実演していて、そのヘタクソ振りに団塊の世代の私などは思わず手を出しそうになるのですが、理性でそれを抑え、これが大人の分別というものだと・・・。また、あの頃は・・・などと感慨にふけりながら、夕暮れ時の光景を思い出したりする訳です。
あの頃は各家庭の屋根には必ず煙突がくっついていたものです。夕方になるとご飯を炊く煙、風呂を沸かす煙がそれぞれの細長い筒の先っぽから立ち上っていました。我が家では風呂を沸かすのは子どもの仕事でした。薪を組み、その隙間に新聞紙を丸めてマッチで火をつける。これは子どもの日常的所作であったのです。しかし、時代が代わってマッチで火をつけることは非日常的体験となってしまいました。現代ではこれを野外技術というのです。火を焚いてご飯を炊くことも同様です。
生活が進化し新しいステージが広がり、そこで生きるために必要な技術が生み出され、使われなくなった技術は忘れ去られる。これは道理です。我が家からマッチという存在が消えて既に30年は経ったでしょうか。今ではマッチで火を点けることは巧緻性(こうちせい)の訓練になると言い、薪で飯を炊くことは地震などの災害時に生き抜く力と業を修得する云々というむきもあるようです。何もそのことを否定する訳ではありませんが、せめてそれを習い、学ぶことが日常の私たちの生活の中でどのような意味を持つのかをしっかりと考えながら野外技術を身につけたいものです。(ろっく)