
その町には、幽霊が出る踏切がある。受験に失敗し、電車に飛び込んだ高校生の幽霊なのだという。見えない人の方が多いが、幽霊が出ることは皆が知っていた。その踏切が配達エリアにある郵便配達員・水谷くんは“見える方”で、踏切待ちをしていると、嫌でも目に入ってしまう。この幽霊について読者からは「幽霊が怖い風貌ではなくて、眠るように横たわっているというのがとても印象的でした」という声も届いた。この幽霊は何をするでもなく、ただ静かに踏切に横たわっているのだった。
その踏切には幽霊が眠るという / 送達ねこ(@jinjanosandou)
水谷くんの配達エリアは幽霊が出るだけでなく、クレーマーやトラブルも多かった。ある日、クレーム客から延々と説教を聞かされ、やっと解放されて局に帰ってくると、新人が入力し忘れた未処理の仕事が放置されていた。踏んだり蹴ったりだ。仕方なく代わりに処理をする水谷くんだったが、ふと「今日俺、誕生日じゃん」と気づく。帰りのコンビニで自分へのお祝いの“ちょっといいビール”を購入し帰路につくのだが、例の踏切に差し掛かって…!?踏切の幽霊と対峙する水谷くん。このあと、彼が発するひと言ひと言に、幽霊だけでなく読者も胸を打たれることとなる。仕事に疲れた読者の心に染み渡る、こぼれ落ちていくような言葉のひとつひとつを読み逃さないようにしたい。
幽霊は何をするでもなく、そこに眠っていた / 送達ねこ(@jinjanosandou)
読者からは「仕事に行く前によい物を拝読させていただきました!ありがとうございます」「生きやすい世界ってなんだろう?どうしたら、彼のような犠牲者を生まなくて済むのかな?」「幸せに生きられる未来がいつか来ますように。と私も願わずにはいられませんでした」というやさしいコメントが届いた。本作の作者で現役郵便局員の送達ねこ(@jinjanosandou)さんに話を伺ってみた。
眠っている幽霊に水谷くんは初めて話しかけた / 送達ねこ(@jinjanosandou)
――読者から「ビールを隠したシーン。名前も知らない人に顔だけが知られているという窮屈な心情が表現されていて共感しました」というコメントが届いていましたが、あのシーンのような出来事はよくあるのでしょうか?
あります。知らない人に、思いがけず道やお店の中で会釈されることも。仕事から解放されてノーガードになってますから、ちょっとドキッとします。お行儀悪くしてなかったか、とっさに行動を振り返ったり。不特定多数の人と接する仕事の宿命かもしれませんが、完全にひとりになれるまで「会社員の顔」が脱げない緊張感があります。
――「『お前知らないで 行ったろ。飲もうぜ』というセリフに人生を踏ん張った人の強さが見えた気がしました」というコメントもありましたね。私もあのシーンが心に響き、泣きそうになりました。あのシーンに込めた想いを教えてください。
主人公の水谷くんには、受験や就活など人生の分岐点でことごとく挫折を経てから今の仕事に就いた経緯があります。叶わなかったけれど、人生に描く「理想」があった。人は理想に届かなくても生きていかなければならないし、ふがいない、不本意な思いは仕事をしていれば、たくさん味わうと思います。そんなつらい思いまでして、なんでまだ生きていくのかといっても、本当に納得できる答えなんてないと思います。水谷くんには、そんな悪夢みたいな人生ゲームを降りた幽霊の気持ちがわかる。ただ彼は、年若くして亡くなった幽霊が、この世でしか得られない「喜び」のひとつを知らないまま行ってしまったろうとも感じています。苦労の多い人生を踏ん張った者だけが知る、ささやかな喜び。それを幽霊と分かち合おうと考えました。「人生に、とどまる意味はあったのか?」若い受験生の霊はもしかしたら、それを解きたくて踏切に現れたのかもしれません。それについて完全な答案を出すのは、たやすくないかもしれませんが、大人の責任として自分も考えていかなければならないと思います。
残業で遅くなった誕生日の夜に、こぼれ落ちていく言葉… / 送達ねこ(@jinjanosandou)
「郵便屋が集めた奇談」は、送達ねこさんのもとに届いた、同僚の配達員たちが体験した不思議な話を漫画化している。
読者からは「いろいろなところに配達に行く郵便屋さんならではのお話!!」「こういう不思議で怖い話って好き」「結構背筋がゾクッとしたけど、めちゃくちゃおもしろい…!」と好評だ。日本のどこかの町でひっそりと起こっている“怪異”を覗き見してみよう。
取材協力:送達ねこ(@jinjanosandou)