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すぐ帰るはずが、強引に隣の部屋に連れ込まれた一平。流されるまま謎の女性3人と食事をすることに…。/小説「残像」第3回【全4回】

  • 2024年1月22日
  • Walkerplus

「残像」(伊岡瞬/KADOKAWA) 第3回【全4回】

ホームセンターでアルバイトをする堀部一平はある日、後輩の葛城が倒れ、彼を自宅まで送ることに。彼の部屋の隣には3人の女性と小学生の冬馬が住んでおり、一平は葛城を心配した彼女たちと対面する。家族ではない彼女たちの共同生活を奇妙に感じた一平に、冬馬から3人には前科があるという共通点を告げられる。そして物語のもう一つの視点では、政治家の息子・吉井恭一が、自宅に送られてくる送り主不明の不快な写真に苦悩していた。4人はなぜ共同生活をするのか? なぜ恭一に写真が送られてくるのか? サスペンス小説「残像」の冒頭部分をお届け。
※2023年9月30日掲載、ダ・ヴィンチWebの転載記事です。

■3
「で、学生さんなの?」

和風ラテン系の女が、正面に座って海苔を巻いた煎餅をほおばっている。

一平がポニーテールの暗殺者アサシンに腕を摑まれて、やはり振りほどいてでも逃げるべきかどうか躊躇しているあいだに、残りの二人が葛城に薬らしきものを飲ませ、押し入れから出した薄い布団に寝かせたようだ。

そのあと一平は、隣の102号室に連れ込まれた。さっき、三人が次々に出てきた部屋だ。

なんだか悪いことをしたような扱いをされていることに、少し腹を立てている。そして少し怯えている。これでは拉致監禁だ。しかし、女たちを突き倒して逃げようとも思えない。いつも陽介に指摘されるが、致命的なまでの煮え切らなさだ。

「そこ、座って」と、冬はこたつになるタイプのテーブルを示された。なぜ知っているかと言えば、店で扱っている売れ筋商品だからだ。

とりあえず、百均ショップで買ったようなうすっぺらな座布団に腰を下ろした。

三人の女もそれぞれ座った。正面が和風ラテン系、右隣が若いすっぴんの寝癖、左隣が柑橘系のポニーテールだ。おそらく、足首にダガーナイフを忍ばせている。意識の七割が左に向かう。

「ちょっと、訊いてるんだけど」

和風ラテン系の女が、唇の端についた海苔を押し込みながら、繰り返した。

「そんな感じです」

「ふうん」

連れ込まれたときに、素早く部屋の中を観察した。間取りは、狭いキッチンと六畳一間だけのようだ。そのたった一間が雑然としている。衣類がごっそり洗濯カゴに放り込んである。汚れものなのか、これが収納された状態なのかは不明だ。部屋にはサイドボードもベッドも簡易なワードローブもない。

何かの撮影をしているにしては散らかり過ぎている。そういう演出もあるかもしれないが、床の上にスナック菓子の食べかすが落ちているのは、さすがにリアルすぎる。

一方、散らかっている割に生活感がないのも不思議だ。

ここは誰の部屋だろう。さすがに、三人一緒に暮らしているとは思えない。ハンガーにかかった服の趣味からすると、和風ラテン系の部屋だろう。

家具に属するものといえば、カラーボックスが2個と、ごくシンプルなハンガーラックがあるだけ。そこに収納しきれないものは、床に放り出してある。各種菓子の袋、これもまた百均ショップで売っていそうな健康器具、ぺらぺらのトートバッグなど。散らかっているというより、ほかに置き場がないようだ。

あえてたとえるなら、引っ越してきたばかりか、あるいは逆に、大物は運び出してあとは後始末のみの引っ越し前夜、とでもいえばいいだろうか。

「なに、きょろきょろしているのよ」おそらくは部屋の主の女が訊く。

「いえ、別に」

「名前は?」

さすがにそこまですんなり答えるほどのお人好しではない。答えずにいると、向こうから先に名乗り始めた。

「じゃあ、まずはあたしたちから名乗ろうか」

和風ラテン系の女は「ころもだはるこ」と名乗った。「こういう字なの」と、レシートの裏に《衣田晴子》と書いてみせてくれた。人を食ったような態度とは裏腹に、ペン字の見本にも使えそうな、整った綺麗な字だった。

「こっちは、あまのなつきさん」と衣田晴子がポニーテールを紹介した。「そしてこっちは、かやまたえちゃん」と寝癖の彼女を紹介し、やはりレシートの裏にそれぞれ《天野夏樹》《香山多恵》と書いた。

「で、そっちは?」

名乗るぐらいは大丈夫だろうと思った。そもそも葛城に訊けばすぐにわかることだ。

「堀部といいます」

「下の名前は?」

「一平です」

晴子がさっきのレシートをこちらに押し出したので、ボールペンを借りて一番下の空いたスペースに《堀部一平》と書いて返した。

「汚ったない字ね」

「そんなことより、ナオさんとは仲がいいの?」

天野夏樹ことポニーテールの暗殺者アサシンが割り込んだ。テーブルに両肘をつく形でやや前かがみになった。ボートネックの長袖のTシャツに薄手のカーディガンという恰好だ。前かがみになると、ゆるめの首回りが開いて少しどぎまぎする。また柑橘系の香りが漂って、つい息を深めに吸ってしまう。照れ隠しに煎餅の袋を睨む。

「食べていいわよ」と晴子が言う。

「けっこうです」

「ねえ、訊いてるんだけど」

夏樹が少しいらいらした様子で割り込んだ。その口調で、さっき「どこかで会った」と感じた理由がわかった。テレビでよく見かける、宝塚出身の女優に似ているのだ。以前見たドラマで「ねえ、訊いてるんだけど」と犯人に詰め寄る女刑事をやっていたのを思い出した。

「あ、いえ。仕事場で挨拶する程度です」

右隣で、「ふん」とも「うん」とも聞こえる短い音を発したのは、香山多恵こと寝癖ですっぴんの草食系同世代女だ。彼女がさっきから一平に向ける視線には、警戒と同じぐらいに敵愾心がこもっているような気がする。もちろん思い当たる理由はない。初対面だからあるはずもない。

「でもさ、こんなところまで親切に付き添ってくれたじゃない」

晴子が次の煎餅をばりりと嚙む。

「添野チーフ――ええと、責任者の人に頼まれて」

「無理な仕事させてない?」

夏樹はそう問い、少しいらついた風に左手の指先でテーブルをコツコツと叩いた。そのしぐさは絵になっているが、言われた中身には反発を覚えた。

「ぼくはただのバイトですから」

「なんだか逃げてない?」煎餅をばりりと嚙んで、晴子が追及する。「後ろめたいことでもあるの?」

「逃げてはいませんし、後ろめたいこともありません。そろそろ帰らせてください」

好奇心より、警戒心のほうが強くなってきた。

「怒らないでよ」急に晴子の声が優しくなった。「――それよりさ、休憩とか、ちゃんと取れてるの?」

「シフトもセクションも違うのでわかりませんけど、休憩はちゃんと取っていると思います。わりとコンプライアンスとかきっちりしてる職場なので。でも、詳しくは知りません。くどいですけど、ぼくはただのバイトですから」

「ふうん」

晴子は手についた煎餅の粉をテーブルに払い落とした。

「お昼ご飯とかは?ちゃんと食べてる?」

「それも、知りません」

腹立ちの割合が増えてきて、答えるのが嫌になってきた。どうして自分が問い詰められなければならないのだ。まるで事情聴取だ。

そもそもこの人たちは何者なのか。家族か?その割にはみんな苗字が違うし、似た雰囲気は少しもない。そもそも――。

「もうひとつ訊きたいんだけど」

その後も質問は続き、自分はただ具合が悪くなった場面に居合わせただけで、個人的に親しいわけではない、ただのバイト仲間です、ということを何度か説明して、ようやく納得してもらえた。

もう午後6時近い。残業もいいところだ。これ以上つきあわされるいわれはない。夏樹とかいう女性とこれっきりの縁になるのは、少し惜しい気もするが、だからといってこれ以上の進展があるとも思えない。いくら男子校出身でもそのぐらいの分別はつく。そろそろ帰る口実を持ち出そうとした。

「そろ……」

「ねえ、ねえ。それより、あれ、どうする?」

晴子が眉根を寄せて、ほかの二人に問いかけた。

「――主役があれじゃあねえ。でもさ、今日のうちに、ある程度は片付けないとだめよね」

「そうね。今日、やるしかない」夏樹が事務的に答える。

「うん」多恵がうなずく。

「あたしだって、せっかく仕事を早上がりしたんだし」と晴子。

「せっかく包丁だって研いだのに。冷蔵庫にしまっても、あまり日持ちしないだろうし」と夏樹。

「うん」

なんの打ち合わせだろう――?

最初の疑問に戻るが、彼女たちはこの部屋で一体何をしていたのだ。

年代もおそらくライフスタイルもまったく異なった3人が、狭い部屋に集まっていた。そして、その中心にいるらしい葛城とは何者なのか。

今気づいたのだが、晴子のエプロンの白いシャコガイのあたりについているシミは、絵の柄ではなくて血痕ではないだろうか。まだあまり変色していないということは、最近ついたものに違いない。心の中で夏樹を暗殺者呼ばわりしていたが、冗談ではなかったのか。

こんどこそ帰ろうと立ち上がりかけたとき、晴子と目が合った。

「ねえ。だったらこの子に手伝ってもらおうよ」

「手伝えません」とっさに反応してしまった。

「え?」晴子が驚いている。

「あ、いえ、ちょっと用事があるので、ぼくはこれで」

「なによ、あわてなくてもいいじゃない。とって食いはしないわよ。ふふふ」

目を細めて笑う晴子に、夏樹が冷静な声で突っ込んだ。

「とって食うじゃない」

「ひどいわね。たまにでしょ。ねえ」晴子が一平に同意を求めるが、答えようがない。

「ねえ、堀部君っていったわよね」晴子が問う。

「そうですけど」

「名前は安兵衛なの?」

「違います」一平だと教えたはずだ。

「そう呼ばれない?」

「ぜんぜん」

きっぱり首を左右に振ったが、本当はときどきそう呼ばれる。特に、ある年代以上の男性に。

「安兵衛のほうがカッコイイのに」

「一平でいいです」

「ねえ安兵衛君。今日このあと、少しあたしたちと、おつきあいしてくれない?」

断りかけたが「たち」という言葉にひっかかって夏樹を見た。

「ちょっと」その夏樹が口を挟んだ。「ほんとに誘うつもり?」

「男手があると、いろいろ助かるでしょ。いまいち頼りなさそうだけど」

「本気なの?」

夏樹が真剣な口調で言い、一平の顔を品定めするように眺めまわした。体が強張る。当人を前にして本人の意見を訊かずに何か決めようとしているようだ。

「ええと、誘うというのはどういうことでしょうか」

なんとか口に出した問いは、あっさり無視された。

「せっかくだしさ」と晴子。

「まあね。これも運命か」夏樹があっさり同意を示す。

「じゃあ、決まり」

本人を無視したまま、何かが決まった。いったい、何の運命だ。

「あのね――」

晴子が、急に優しげな口調で一平に語り掛ける。

「今夜ね、ナオさんの誕生パーティーなの」

「パーティー?」

「そ、パーティー。六十七歳の」

一平がさっきからずっと抱いていた疑問が、少しだけ解消した。

どうやら葛城は――どういう関係かはわからないが――彼女たちに人望があるらしい。そして今夜、誕生会をやることになっていた。彼女たちが集まっていたのはそのためだったのだ。そして、どうやら雰囲気からして、全員このアパートの住人のようだ。

しかし、やはり『ルソラル』で黙々と鉢植えの並べ替えをしている、葛城の姿と結びつかない。

「じゃ、決まり」晴子が宣言した。

「夏樹さんはカツオの残り切っちゃって。多恵ちゃんは、冷蔵庫のもの出して」

晴子が主導権を握って、誕生会の準備が進められてゆく。刺身、煮物、サラダ、汁ものなどの仕上げをしている。エプロンについていた血のシミは、処理途中のカツオのもののようだった。

包丁を持つと、やはり暗殺者アサシンにしか見えない夏樹も、極度の人見知りがゆえらしい不愛想の極みの多恵も、素直に従い手伝っている。

準備が整ったところで〝パーティー会場〞へ移動することになった。

「ここじゃ足の踏み場もないからね」と晴子が笑う。自覚はしているようだ。

会場は203号室だそうだ。そこは夏樹の部屋だと聞いて、なぜか少し嬉しくなる。靴を履こうとしたら、晴子に呼び止められた。

「あんたも、手ぶらはないでしょ」

煮物が入った一番重たそうな鍋を持たされた。錆が浮いた鉄製の階段を、崩れたりしないかと心配しながら二階へあがった。

「さ、入って」

両手で鍋を持つ一平のために、夏樹がドアをあけてくれた。体が触れんばかりのところをすれ違う。また柑橘系の香りが鼻孔と脳髄を刺激する。

この怪しげな連中とは関わり合いを持たず、さっさと帰ったほうが身のためだ、という思いと、この柑橘系の香りと突然巻き込まれた事態に対する怖いもの見たさが、戦っている。接戦のまま流されてゆく。

「ぼうっとしてないで、鍋をそこに置いて」

包丁を菜箸に持ち替えた夏樹に指示を受ける。

「あ、すみません」

あわてて、キッチンにあるままごとのように小さなガスコンロの上に載せた。

部屋の様子は、畳の上がほとんど物で埋まっていた晴子のところとは対照的だった。片づいているというより、殺風景という表現が似合いそうだ。

「じろじろ見ないで。それと、手を触れない」

「はい。すみません」訳もなく謝る。

「ナオさん来ない。もう少し休むって」

最後まで葛城の様子を見ていた多恵が、部屋に入るなりそう報告した。

「そのほうがいいね」腰に手をあてた夏樹が、うなずく。

「それじゃ、始めちゃおうか。主役抜きだけど」晴子がどこか暢気に言う。

「うん」多恵がうなずいた。

別の部屋から運んできたらしい、もう一つの同じテーブルを並べた。よほど仲がいいのか、まったく同じ型だ。その上に刺身、魚の煮付け、筑前煮、鶏の唐揚げ、ちらし寿司、そういったものがこぼれ落ちそうなほどに並んでいく。ビールや缶チューハイもある。

「トーマは?」

多恵が誰にともなく問う。まだ何か食べ物があるのだろうか。

「だいじょうぶ。そろそろ戻ってくるわよ。食い物の匂いは、10キロ先からでも嗅ぎつけるから」

晴子が答えた。人の名前のようだ。まだほかにも住人がいるらしい。

「それじゃ、乾杯するから、安兵衛君も好きな飲み物持って」

「あの、安兵衛じゃありませんけど」

「つべこべ言わないの。一夜限りの付き合いなんだからなんでもいいでしょ。堀部といったら安兵衛なのよ」

「どうしてですか」

「あのね、詳しくは知らないんだけど、二度も仇討ちしたのよ。三度だったかな。とにかく、歴史に残る有名な仇討ちを一人で何回もやったのよ。あんたのSNSのフォロワー何人いるのよ」

堀部安兵衛の名前とごく簡単な物語ぐらいは知っている。しかし、好きとか嫌いとかではなく、興味はない。それに、フォロワーの数はまったく関係ない。

ならそれでいいです、と答えた。多恵は炭酸オレンジジュースをプラコップに注いだ。一平は缶チューハイをもらい、二人を真似て直接飲むことにした。あと11カ月で二十歳だ。宇宙の広さからすれば、誤差範囲だ。ただ、ビールは苦くて何が美味いのかわからない。ここにある中では缶チューハイしか飲めない。

それぞれプラコップや缶をかかげた。晴子が音頭をとる。

「それじゃ、ご本人はいないけど、ナオさんの67歳と、多恵ちゃんの20歳を祝いつつ、ついでに安兵衛君のご活躍を祈念して、カンパーイ」

多恵は1歳年上なのだとわかった。

皆で唱和し、拍手が湧いた。一平もつきあいで数回手を叩いた。気がつけばいつのまにか不思議なパーティーに参加していた。



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