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コーヒーで旅する日本/関西編|心地よいレコードの響きと、艶めくアロマが醸し出す穏やかな時間。「音楽と珈琲」

  • 2022年8月9日
  • Walkerplus

全国的に盛り上がりを見せるコーヒーシーン。飲食店という枠を超え、さまざまなライフスタイルやカルチャーと溶け合っている。なかでも、エリアごとに独自の喫茶文化が根付く関西は、個性的なロースターやバリスタが新たなコーヒーカルチャーを生み出している。そんな関西で注目のショップを紹介する当連載。店主や店長たちが気になる店へと数珠つなぎで回を重ねていく。

関西編の第25回は、奈良県奈良市の「音楽と珈琲」。市内の中心部にありながらもひっそりと開かれた店は、隠れ家的な趣があり繁華街の雑踏とは無縁。幼少時から音楽に親しんできた店主が収集したレコードと、芳醇な香りに満ちた珈琲がしばし日常を忘れさせる。この空間に込められた想いとは。

Profile|北野正人(きたのまさと)
1981(昭和56)年、奈良県奈良市生まれ。某著名CD店での勤務から珈琲屋へと転身。イベント出店で経験を重ね、2019年「音楽と珈琲」を開業。

■珈琲への向き合い方を変えた深煎りの醍醐味
商店街沿いの建物、二階の一室。深い褐色の空間に響くレコードの音色。時折、囁くようにパチパチと鳴るノイズがアナログ特有のあたたかさを表現する。窓から眼下に見えるのは、もちいどのセンター街。休日ともなれば多くの人が行き交う通りの賑わいも、ここからはまるで余所事のよう。この店が開業されたのは三年前だが、遠い昔からここにあるかのような落ち着いた時間が流れている。
「十代後半くらいからDJをしていたんですけど、若い頃は音楽で食っていきたいな、とか無謀な夢を見ていました笑。レコード屋に行ったり服屋に行ったりすることが多くて、DJをやりつつこんな店できたらいいなってなんとなく思っていました」

友人とクラブを貸し切ってイベントを企画することもあれば、人に呼ばれて参加することもあった。「はじめてクラブに行った時は、絡まれるんじゃないかってめっちゃビビってました笑。結局そんなこと一回もなかったですけどね。DJはその場に合う良い音楽を選んで、お客さんはそれを聴いて気持ち良さそうに踊ってる。最高の仕事のひとつじゃないですかね」

当時は音楽で見ていた夢が、なぜ今は珈琲?それは友人の紹介で知り合った中山珈琲さんとの出会いがきっかけだったそう。「大人になるにつれ夢から少しづつ離れていくことが割と普通だと思うんです。言い訳するように自分で自分を納得させて忘れていく。自分もそんな感じでした。それでも”いつかなにか楽しいことしたいな”って捨てきれずにいた夢に形をくれたのが中山さんです」と振り返る。

コーヒーが美味しくて格好良い。こんな世界があったのか、と胸を打った。所謂”サードウェーブ”が体現する、明るい風味が刺激的だった。知識は皆無と言っていい。それでもコーヒーが持つ不思議な魅力に取り憑かれ、豊かでいてさまざまな味や広い世界観を学んでいく。「仕事が終わり、急いでお店へ向かう。閉店ギリギリになることも少なくなかった。思い返すと迷惑かけてたなぁと思います」と笑う北野さん。

イベント出店を頻繁に行う中山さんの背中を見て、自分もやってみたいなと思ったのが全ての始まり。当然右も左も分からないので、まずは手伝いから参加させてもらうことにした。「色々覚えていくんですけど最初はやっぱり物真似。それでもとにかくやってみて続けてると、次第に自分らしい形に変わっていく。吸収して咀嚼して、表現する。この繰り返しでした。お店を持った今でもそれは同じ。この感覚はずっと持っていたいです」と語る北野さん。知り合いの店の軒先、小さなマルシェや大規模なマーケット、色々なところへ足を運び経験を重ねた。この頃にはすでに胸の中には、「いつか店舗を」という密かでいながらも強い想いがあった。

はじめはユニークな産地個性、それこそ人や店のカッコ良さ、という単純な部分からこの世界に惹きつけられた。だが、知識を得るにつれ次第に自分の好む味を理解しはじめ、そこだけに焦点を合わせるようになる。それはなんとなく口にした深煎りの一杯。京都の有名店、絞るように落とす濃厚なネルドリップの虜になった。「耳馴染みの良い商品説明があって、それを確認してから飲む。そうじゃなくて、上質な深煎りをなにも考えずに口にした時に、なんかしみじみと“あ、これ美味いな”って思った。心の芯の部分で感じたんじゃないですかね」

ほろ苦く甘い珈琲。流行や世間の売り文句に決して左右されない自分の好みを知ると、多くの店を巡り、人と出会っていく。大きな転機となった縁のひとつが、大阪大正の井尻珈琲焙煎所。出店先で偶然知り合い、なんとなく話をする関係になった。いつか店舗を構えたいことを相談していると「珈琲屋って名乗るんやったら自分で焙煎やらなあかんで」と助言をされ、小さな手回し焙煎機を貸してもらうことに。これが自家焙煎をはじめるきっかけとなる。「質問してもあまり教えてくれない。自分で考えろってタイプの人です。それでも時々『調子どうや?』って連絡をくれたりする。優しいですよね」
■濃厚だけど飲みやすい、“艶”を感じる珈琲を
試行錯誤を重ね、自分の感じる美味を求める続ける。理想は濃厚だけど飲みやすい珈琲。下手すると相反していることを繋げようとしているように感じられる。それでも実現したいと思いながら日々焙煎と向き合う店主。「味を作る様々な要素がどこかに偏っているのではなく、その真ん中に浮かぶ小さな点を見つけたい。そうは言いながらも、苦味を求めたり酸味を求めたり、その時々で揺れ動いてしまうのですが」
自らが欲する味わいを引き出すべく、抽出の湯はぬるめに設定。点滴で少しづつ湯を落としはじめ、細く細く途切れることなく注ぎ続ける。カップが目の前に現れると、すでに甘く香ばしい香りがふわりと鼻をかすめる。口に含むとトロリとした口当たりと共に、芳醇な香味と甘さの余韻がするりと喉を抜けていく。

滑らかにして濃密、それでいてすっきりとしたこの一杯を、店主は独特の表現で例える。「艶のある珈琲と言えば伝わるでしょうか?周りのコーヒー屋さんとは表現方法が少し違うのかもしれません。フルーティだ、賞を獲った豆だ、とか今はあまり興味がないです。私が求めるのは一杯の珈琲から漂う色香といいますか、艶を感じるような余韻と飲み口です」
抽出の過程を見ていると、ミルの排出口を都度ブラシで落とし微粉を取り除く。温度計で湯温を合わせ、サーバーやカップはきちんと温める。焙煎や抽出の過程もさることながら、ひとつひとつの細やかな所作もまた艶を生み出しているように感じられる。

■小さなことでも、何かを見つけて帰れる場所
珈琲を待ち、提供され、口に運ぶ。その間も針は盤の上を走る。店主は作業の合間を見て、その場その時にあった次の一枚を探す。ターンテーブルの傍に並ぶレコードは、学生時代から集めてきたコレクションのほんの一部。店名からも現れているが、北野さんにとってはあくまでも音楽あっての珈琲なのだ。

「もちろん美味しいにこしたことはない。でも大事なのはそこだけじゃないと思います。うちの場合は音楽なんですけど、別に興味ない人が来て、なんとなく珈琲を飲んで帰っていく。でも、もしかすると家に着いてから、そういえば流れてたあの曲なんだったんだろ?ってなったりするかもしれない。同じ曲を偶然どこかで耳にして、これ誰ですか?ってお店の人に尋ねるかもしれない。これ知ってる?って友達に話すかもしれない。そうやってなにかが広がっていくって素敵じゃないですか?好きな人同士が集まる専門的な場所もいいんだけど、全く興味のない人がふらっと来てなにか持って帰れる、どちらかというとそんな気軽な場所でありたいです」と北野さん。
決して分かりやすく飾らない。この店に流行りを追うような華やかさはないのかもしれない。それでも店主の小さな拘りに気付けるのなら、新しい世界の扉を開くことができるはず。音楽と珈琲が奏でる時間。誰かにとってのかけがえのないひとときである為に。階段の上、扉の向こうでは今日も淡々と変わらぬ穏やかさで満ちている。

■北野さんレコメンドのコーヒーショップは「中山珈琲焙煎所」
次回、紹介するのは、京都府木津川市の「中山珈琲焙煎所」。
店主の中山さんは、長年続けた音楽の道から、コーヒーの世界へと転身。屋台での販売からスタートし、イベント出店で多くのファンを獲得して、関西で人気のロースターの一つに。まったくのゼロから始めた店は、2021年のリニューアルを経て、今も進化を続けている。

【音楽と珈琲のコーヒーデータ】
●焙煎機/井上製作所 1キロ(直火式)
●抽出/ハンドドリップ
●焙煎度合い/深め
●テイクアウト/なし
●豆の販売/50グラム350円〜

取材・文/田中慶一
撮影/直江泰治




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