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中田英寿がシェアしたい“日本の新たな価値”「創立100周年を迎えた澄川酒造場の日本酒ブランド『東洋美人』」

  • 2021年6月11日
  • Walkerplus

中田英寿氏が47都道府県を旅して出会った日本の「わざ」と「こころ」。日本のことを知るために47都道府県を巡る中田氏の旅は6年半におよび、移動距離は20万キロになった。その間、訪れた地は約2000に。そこで中田氏は、現地に行かなければわからない、素晴らしき日本があることを知った。

ウォーカープラスでは、中田氏の「に・ほ・ん・も・の・」との共同企画として、珠玉の“にほんもの”をお届けする。

中田英寿
「全国47都道府県の旅で出会ったヒト・コトを、”工芸芸能・食・酒・神社仏閣・宿”に分けて紹介。日本文化を多くの人が知る『きっかけ』を作り、新たな価値を見出すことにより、文化の継承・発展を促していきたい。」

山口県萩市にある澄川酒造場は創業1921年(大正10年)、今年100周年を迎えた。代表銘柄「東洋美人」は程よい甘さで上品な味わい、スタイリッシュなラベルデザインや名前の美しさも相まって、全国的に人気のある日本酒だ。「東洋美人」という名前には、初代が亡き妻にあてた想いが込められている、と蔵に伝わっている。

社長兼杜氏の4代目・澄川宜史氏に酒づくりのモットーを聞くと、「王道の日本酒づくり」と答えた。多種多様な日本酒が出回り、様々なニーズが存在する現代において、「東洋美人」は奇をてらわず、あくまでもおいしさと品質両面で自らが「100%、満点の酒だ」と自信を持って出せるものであることを強く意識しているという。

澄川氏が実家である澄川酒造場に戻ってから、「東洋美人」が今のような人気を得るまでの道のりは順風満帆ではなかった。東京農業大学で醸造を学び、3年生のときに「十四代」を醸す高木酒造に実習に訪れた。その当時「十四代」は、同校を卒業した高木顕統氏が当時主流であった淡麗辛口の味わいではなく、フルーティで瑞々しい日本酒をリリースし「日本酒の新時代」を確立し、すでにスター的存在となっていた。

高木酒造でともに酒づくりをする中で、「十四代」の他の追随を許さぬおいしさを知り、経営を立て直そうと必死で、精魂込めた酒づくりをする高木氏の姿を目にして、澄川氏は一気に酒造という仕事に魅了された。実家の酒蔵に戻り、自らおいしい酒をつくることを決心したが、当時の澄川酒造場は醸造設備など環境が整っているとは決して言えず、経営も厳しい状況におかれていた。

それでも髙木氏の教えを忠実に守り、丁寧に酒づくりを行った澄川氏。営業にあまり経費をかけられなかったため、澄川氏自らが酒を担いで夜行バスに乗り、東京の酒販店に営業回りをするなど、地道な活動を続けた。そのかいあって、徐々に口コミも広がり、名実ともに認められる人気銘柄へと成長。

もっとも、順調に見えたさなか、2013年に発生した山口・島根豪雨が、澄川酒造場の萩市一帯を襲い、酒蔵の一階部分が土石流に飲まれ流されてしまう。醸造機器の水没や大量の出荷在庫を失うなど甚大な被害を受けたため、廃業も考えるほどの危機に立たされたが、「東洋美人」のファン、関係酒販店、酒造関係者など1500人を超える人々がボランティアで駆けつけた様子を見て、一念発起。翌2014年に新蔵を建設した。

多くの方への感謝と、もう一度酒づくりができる喜びとを胸に「東洋美人 原点」と名づけた酒を、新蔵で製造しリリース。2015年以降は「東洋美人 ippo」と名を改め(原点からの一歩という意)、今でも製造販売を続けている。 水害から3年たった2016年12月、ロシアのプーチン大統領が来日した際、当時の安倍首相の地元である山口県長門市で行なわれた会談の席で「東洋美人 純米大吟醸 壱番纏」が供され、プーチン大統領から絶賛を受けた。このニュースを見て、澄川酒造場だけでなく多くの応援者たちが沸いた。

澄川氏は今後について「伝統製法を守り、酒質・品質を両立した王道の日本酒を醸造していきたい」と語ってくれた。

澄川氏が蔵に戻った当時と比較して約10倍の製造規模になり、年間2500石(一石=一升瓶100本換算)を製造・出荷する中規模の酒蔵へと成長した澄川酒造場と、数々の困難に見舞われながらも応援され、多くの人から愛され続ける「東洋美人」。事前予約で蔵見学もできるので、おいしさの真髄と不屈の精神にぜひ触れてみてほしい。

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