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中田英寿がシェアしたい“日本の新たな価値”「スローフードの第一人者、葦農・武富勝彦さん」

  • 2021年5月13日
  • Walkerplus

中田英寿氏が47都道府県を旅して出会った日本の「わざ」と「こころ」。日本のことを知るために47都道府県を巡る中田氏の旅は6年半におよび、移動距離は20万キロになった。その間、訪れた地は約2000に。そこで中田氏は、現地に行かなければわからない、素晴らしき日本があることを知った。

ウォーカープラスでは、中田氏の「に・ほ・ん・も・の・」との共同企画として、珠玉の“にほんもの”をお届けする。

中田英寿
「全国47都道府県の旅で出会ったヒト・コトを、”工芸芸能・食・酒・神社仏閣・宿”に分けて紹介。日本文化を多くの人が知る『きっかけ』を作り、新たな価値を見出すことにより、文化の継承・発展を促していきたい。」

今回紹介するのは、葦農の武富勝彦さん。米も野菜も味噌も、澄んだ味がする。栄養素や農法をまったく知らずとも、武富勝彦さんが育てた作物がカラダにやさしいということが口にした瞬間に伝わってくる。

「米は古代米ですか?」と中田が聞くと、「古代米の赤米や黒米、緑米に、発芽玄米アワやヒエなどの雑穀、穀物をあわせています。それぞれが力のある穀物だから、噛めば噛むほど味わいが出てきますよ」と武富さんが独自でブレンドしている雑穀米のこだわりを語ってくれた。

佐賀県の中央部に位置し、鉄道や国道が分岐する、交通の分岐点で知られる江北町。武富さんの農場は佐賀平野に広がる住宅地の中にあるのにも関わらず、有機栽培のニンニクなどさまざまな野菜が青々と元気に育っていた。

かつて佐賀県の高校で生物教師を19年、農業高校造園科の教師を4年務めた武富さん。病気をきっかけに退職し、平成3年から農業の道に進んだ。最初は循環農法をアジアに広める拠点を千葉に作ることを計画したが、紆余曲折あり、もともと兼業農家だった江北町の実家に戻り、有機無農薬農業をスタート。ちょうどその頃、町役場から「有機農業研究会を立ち上げる中心メンバーとして参加してほしい」という依頼があり、周辺12軒の農家を集め研究会が発足した。

「最初は作ってもぜんぜん売れなくて大変でした」と武富さんは笑う。その後、平成7年には自身で有機無農薬米を買い取って販売する会社を立ち上げると、徐々に販売数は伸び、全国へと販路を広げるまでの大成功を遂げた。

古代米との出会いは平成10年ごろ。たまたま黒米を食べる機会があり、黒・緑・赤と色のついた古代米に関心を持ち、栽培方法を研究するようになった。普通のお米に混ぜて食べる提案をしたところ、消費者に認められ、注文が殺到するようになった。さらに、平成22年にはニューヨークでも販売を始めるようになった。

武富さんの田んぼでは、河原の葦を刈って米糠や水と混ぜ堆肥化し、農薬や除草剤や化学肥料を一切使わない農法を実践してきた。有明海の生態系を守る農法で古代米を育てるなど、環境を守り、土地に根ざした食文化を見直す活動を続けている。伝統的な食材や料理方法、質の良い食品やそれを提供する小生産者を守り、消費者に味の教育を進める国際的な運動「スローフード」の第一人者として、平成14年の農林水産省の広報誌で、緑米を6反ほど収穫したことを取り上げられると、ネットでも話題となり注目を集めるようになった。そしてその年に、日本人として初めてイタリアに本部があるスローフード協会(1980年代に設立され160カ国以上にメンバー、プロジェクトが存在する)のスローフード大賞を受賞するという快挙を成し遂げた。

「味噌作りも見ていきませんか?」と武富さんは味噌蔵へ招いてくれた。案内されたのは、これまで中田が旅で見てきたような、本格的な味噌蔵ではない。わずか8畳ほどの室内に置かれた小さな樽。かつて日本の家々で作っていた「手前味噌」を思い起こさせる、手作りならではの素朴な味噌の匂いが鼻をくすぐる。

「ここでは味噌も塩も醤油も自分たちで作ります。やっぱり子供たちには、安全、安心なものを食べさせてあげたいですからね」と武富さんは語ったが、この想いこそが武富さんのこだわりの原動力となっていることが感じられた。

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