2021年に刊行された「ひめゆりたちの春秋-沖縄女師・一高女の『寄宿舎』-」(ボーダーインク)の続編となる書籍「続・ひめゆりたちの春秋-『第二の人生』へ-」(ボーダーインク)が、このたび発売となった。
「続・ひめゆりたちの春秋-『第二の人生』へ-」は、1916年に「ひめゆり学園 寄宿舎」が落成してから、1945年3月22日に最後の留送別会が行われるまでの生徒たちの日常や思いを綴った、仲程昌徳(なかほど・まさのり)氏の著書「ひめゆりたちの春秋-沖縄女師・一高女の『寄宿舎』-」のその後を描く新書。
沖縄戦終了間近の1945年6月18日、解散命令を受けた学徒たちが捕虜となって収容所に送られてから、文教学校を修了して教師になるまでの約8カ月の歩みをつづっている。
本書は、I章の「収容所のひめゆりたち」にはじまり、II章「ひめゆりたちの再移動」、III章「収容所の日々」、IV章「文教学校」、最後の補章「引率教師たちの戦後」の5章だて。
「収容所のひめゆりたち」では、逃避行を続ける中で米軍の捕虜となって県内各地の収容所に送られたひめゆり学徒の様子を紹介する。“捕虜になってはいけない”と教えられてきたので、「多くの学徒たちは、収容された当初、恥ずかしいと思」ったという。それを表すエピソードとして“食事”のことが書かれているが、当時の様子が生々しく伝わってくるくだりとなっている。
そうした思いが強くある中だったので、収容所で彼女たちは献身的に尽くし、「だれもがいやがる精神病棟の不潔な患者の始末を進んで引き受け、きびきびと働」いていたという。
その後、こうした収容所での喧騒の中、いち早く“教育”に関する動きがスタートする。米軍は「沖縄戦開始以前の時点で、状況が許す限り教育を早急に開始する方針を定めていた」という。
当然施設も備品も整わない中で“青空教室”が行われ、まさに「ゼロからの出発」となった。そんな中、学徒たちは文教学校に入学するまで「先生として子供たちの前に立っ」ていたのだ。
そんな中でも語られるのは、同じ女子師範学校に通っていた学徒たちの親族の訪問時の辛さ。その学徒の安否を知っていても知らなくても、「どうお答えしてよいやら…自分の生きていることが辛くて、胸が締めつけられるようでした」「生き残った者が担わなければならなかった責務とはいえ、これ以上辛いことはなかった」「愛する娘を失ったご両親の心に、生き残った私の姿はどのように映っているのだろうか」と、悲痛な言葉が数多く残されている。
それは学徒だけではなく、引率の教師も同様だった。「慰霊祭に出席しなくなったこと」「(沖縄戦に関して)口を閉ざしてしまったこと」「遺骨を拾いにいくというニュースが入れば、何をおいても出かけていった」という、それぞれの思いで戦後を生きた。
特に教師は、戦前と戦後でまさに教える言葉がガラッと変わり、そうした内面的な苦悩も抱えていたと思われるが、本書の最後で女師・一高女の教え子たちは「生徒たちは、先生方が心の奥底で、体制に対して批判的であり、将来に危惧をいだいていらしたことを漠然と感じとっていた」とつづっている。
仲程氏の「ひめゆりたちの春秋-沖縄女師・一高女の『寄宿舎』-」と「続・ひめゆりたちの春秋-『第二の人生』へ-」は、沖縄戦前後のリアルな声を伝える貴重な書籍となっている。ぜひセットで読むことをおすすめしたい。
「続・ひめゆりたちの春秋-『第二の人生』へ-」
発売中 1,760円(税込) ボーダーインク