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“最後の孤立部族”センチネル族になぜ私たちは魅了されるのか

  • 2024年4月12日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

“最後の孤立部族”センチネル族になぜ私たちは魅了されるのか

前編「世界中の人々をひきつける“最後の孤立部族”、センチネル族とは」を読む

 アンダマン諸島を訪れると、センチネル族について最も奇妙なことの1つに気づくだろう。地理的には、実はセンチネル族はそれほど孤立しているわけではない。わずか30キロほど先のビーチでは、観光客がのんびりとシュノーケリングを楽しんでいる。

 26年前に初めてアンダマン諸島を訪れたとき、私(著者のアダム・グッドハート氏)は愚かにも北センチネル島の海岸に不法侵入することにした。周辺の海域は厳重に立ち入り禁止になっており、インドの沿岸警備隊と海軍が定期的にパトロールしている。

 そこで私は、南アンダマン島の漁師にお金を払い、夜の間に小型モーターボートで海峡を渡って連れて行ってもらった。南アンダマン島の人口は約20万人で、ほぼ全員がインド本土からの移民だ。

私たちと同じように、彼らも私たちを観察してきた

 夜明けに北センチネル島の岩礁のすぐ沖に到着した。森の林冠の下に3人のセンチネル族が立っている。2人の男がカヌーで礁湖を渡っていた。

 私が写真を撮ったりメモを取ったりしていると、ガイドが合図した。竜巻と黒い雲の壁がこちらに向かってきていたのだ。5時間の手に汗握る航海の末、私たちは南アンダマン島に戻ったが、突然のモンスーンの嵐で溺れかけた。それでも、昼食の時間には間に合った。

 最近私は、観光客で混雑している200人乗りのエア・インディア機で、アンダマン諸島を再訪した。ただし、北センチネル島ではない。

 旅行者は、72棟の豪華なバンガローを備えたビーチリゾートとスパを楽しむことができる。ほとんどのバンガローには専用のプライベートプールがある。このバンガローはアンダマン諸島の先住民の小屋からインスピレーションを受けて作られたといわれている。

 センチネル族はこれらの小屋を自分たちの集落から見ることはできないが、アンダマン諸島の行政の中心地ポートブレアの上空に立ち込める黄褐色のスモッグは見えるだろう。センチネル族は間違いなく旅客機を見ている。北センチネル島のすぐ近くを通過するため、観光客は顔とスマホを窓に押し付けて、インスタグラムに投稿する画像を撮影する。

 鋭い目を持つ狩猟採集民のセンチネル族が、外の世界が彼らを観察してきたのと同じくらい熱心に外の世界を観察してきたことは確実だ。今や私たちのボートと飛行機は彼らの環境で見慣れたものとなっているため、おそらくもっと熱心に外の世界を観察しているだろう。

 アンダマン諸島の他の島々では、かつては手つかずだったビーチが近隣諸国からの漂流物であふれているのを私は目にした。ビーチサンダルやタンポンのアプリケーター(挿入管)、何百本ものペットボトルだ。そのようなゴミは確実に北センチネル島の海岸にも流れ着いているだろう。

 2000年代に安全な距離からセンチネル族を観察するために数回ボートで北センチネル島を訪れたインドの人類学者ビシュバジット・パンディヤ氏は、かつて何人かの島民が、おそらく通りがかりのボートから落ちたであろう青いビニールシートを小屋の屋根に使っているのを見たことがあると教えてくれた。

次ページ:島の人々への中傷の歴史

 地球上の80億にもなるその他大勢である私たちが、帝国主義の植民者と同じように、容赦なく無謀にセンチネル族の領域を侵食しつつある。それが真実だ。気候変動や乱獲、汚染、プラスチックごみは、センチネル族が生き残るために必要な動植物を破壊し続けるだろう。

 しかし、この小さな島の神秘性とデジタル上の並外れて大きな存在感は、衰える兆しがない。少なくとも今のところ、北センチネル島の孤立は、センチネル族だけでなく私たち全員にとっても喫緊の目的を果たしている。

 日常の空間と時間から切り離されたその場所の完璧な隔絶性は、私たち自身が自らを慰めるためのファンタジーなのだ。センチネル族が存続する限り、私たちはほんのわずかであるが、地球そのものが侵されずにいると自分に言い聞かせることができる。

補足:島の人々への中傷の歴史

 アンダマン諸島の人々は長い間、地球上で最も誤解されてきた人間社会の1つだった。変わっているものとされたり、やみくもに崇拝されたり、悪魔として扱われたりしてきた。

 マルコ・ポーロはアンダマン諸島を訪れたことがなかったが、13世紀に島民を「最も野蛮で残酷な人種で、犬のような頭、目、歯を持っている。彼らは非常に残忍で、捕らえた外国人は皆殺しにして食べてしまう」と描写した。

 約600年後、アーサー・コナン・ドイルは、シャーロック・ホームズの小説『四つの署名』に、「邪悪な小人」で「毒々しく恐ろしい目」をしたアンダマン人の男を敵役の殺人鬼として登場させた。

 アンダマン諸島の人々は20世紀に入ってもヨーロッパの人種理論家の興味を引き続けた。「人種衛生と優生学」の研究がナチスに影響を与えたドイツの人類学者エゴン・フォン・アイクシュテット男爵は、1920年代にアンダマン諸島を訪れた。その後、彼は島民を「原始的なチンパンジー型」の人間だと評した。

 実際には、アンダマン諸島の人々は原始的とはほど遠い。近年、パンディヤ氏によって、島民の複雑な文化が記録されている。

 例えば、アンダマン族は非常に豊かなボディアートを作り出す。黄色土と白い粘土の絵柄で皮膚に直接描かれた複雑な歴史的テキストは、身につける人のニーズや状況の変化に応じて常に消去され、作り直される。生涯消えない儀式的な傷跡もある。これらの模様には、島々の哀歌と叙事詩が刻まれている。

 アンダマン諸島の人々はカニバリズムや首狩りの常習者だと何世紀にもわたって中傷されてきたのに、1920年代と30年代に「懲罰遠征」から島民の切断された頭部を戦利品として持ち帰ったのは英国人だった。

 今日、センチネル族を含むアンダマン諸島の先住民の人口は、わずか数百人にすぎない。植民地化以前は、少なくともその10倍はいたにもかかわらず。

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