サイト内
ウェブ

Vol.08 仏教にLOHASの原点をみる。「食」「地域貢献」「自己啓発」
曹洞宗 普恩寺住職 金子 謙三さん

  • 2008年3月1日

曹洞宗 普恩寺住職 金子 謙三さん

写真

PROFILE

1963年佐賀県東松浦郡玄海町生まれ。
駒沢大学仏教学部卒業後、曹洞宗の本山である永平寺をはじめ九州各地の修行道場にて約10年間修行。
30代半ばより地元に戻り僧侶として様々な活動に取り組む。
現在、普恩寺住職として活躍するかたわら、町の教育委員として力を発揮している。

校内いじめ、親の子どもへの虐待など大きな社会問題となっている。寺の住職で、教育委員を務め子どもたちと一緒になって座禅や鐘撞を楽しむ、LOHASコンシェルジェの金子さん。研修に参加したボールダーで体験・見学した経験は、佐賀県の地域の子どもたちに何を伝えたのだろう。

LOHASコンシェルジェとなった禅僧

 LOHASのコンセプトを学び、現在居住している町の“まちづくり”に活用して魅力有る町づくりに反映させようとの思いで取り組んできて約1年。LOHASの形がやや見え始めた頃にボールダー研修。思い描いていたボールダーの町の様子との違いに少々戸惑ったという。

写真

 「私は勝手にユートピアを想像していた。現地の研修で様々な場所を見学し、話を聞き、私の意識は徐々に変わり始めた。帰国の朝、ボールダーが自分の思い描いたものと違っていて良かったと思った。私の住む町との共通点がいくつもあったからである。」と謙三和尚。
 まずは自分たちの町の再確認、身近なLOHASの発見、そしてボールダーの真似ではない『私のLOHAS』『私たちのLOHAS』の設計図を描かなくてはならないと思う。研修からの帰り道、環境や持続性ということに関して1週間前よりも明らかに目線が高くなった自分に気がつき、この気持、この感覚を鈍らせたくと強く思ったという。

“謙三(ケンザン)和尚”の観察日記

写真
写真
写真

12月24日(日) クリスマス・イブ

 我々一般人は僧侶という職業をつい観念的にとらえてしまいます。朝は暗いうちから座禅を組んだり経を読んだり。食事と言えば精進料理。作務衣姿に竹ぼうき、或いは袈裟ころも姿に数珠もって・・・誰もがこんな姿を想像してしまうはずです。ところが、僧侶とはいえ小学5年生を頭に3人の子を持つ親ですから、今夜ばかりは坊さんでいるわけにはいかないようです。わが子の夢を叶えるべく坊主頭のサンタになってプレゼントを・・・想像してみてください。(笑)

12月31日(日) 除夜の鐘

 大晦日の風物詩の代表格といえば何と言っても除夜の鐘です。
 行く年をしみじみと振り返り、来る年に夢と希望を託す。そんな行く年と来る年を繋ぐ除夜の鐘を、謙三和尚は毎年地元の子供たちと撞いています。百八つの鐘を撞きに50人程の人たちが集まってきます。その大半は毎年夏休みに開催する“子ども座禅会”に参加している地元の子どもたちです。子どもたちからの人気も上々。

 九州とはいえ夜も更けると冷え込みは厳しく、暖を取るための火は欠かせません。相変わらずの薄着で焚き火を見つめる謙三和尚、来る年に何を想うのでしょうか。地域消防団の私としては燃え盛る炎の行方が気になって仕方がありません。

まちづくりは人づくりから

写真

 謙三和尚は現在、町主催の“まちづくりワークショップ”に参加しています(私も同様)。そこでは「まちづくりは人づくりから」という観点から様々な議論がなされており、そして先頃、小さな町だからこそ徹底して出来る「あいさつ運動」を展開しようという計画案がまとまりました。
 これは住民相互のコミュニケーションの大切さを改めて見直し、人間社会の、地域社会の基盤を整えていこうという取組みです。なかでも子どもたちが日頃学校教育の中で取り組んでいる「あいさつをしよう」という運動に着目しました。子どもたちが大人や地域社会に与える影響は計り知れないものがあります。その影響力を最大限に発揮してもらい、その効果を地域社会に波及させ、挨拶によって地域コミュニティーに活力と規律を取り戻そうという狙いなのです。現在具体的な計画案が練られているところですが、情報収集をする中で、ある通学路の存在を知りました。

1月9日(火)  通学路清掃

写真

 一部の町民しか知らない驚くべき通学路を発見しました。ここはかなり古い時代から生活道路として利用されていたという山道で、道路の整備が進み車社会となった現在では、子どもたちだけが利用する通学路となっています。右の写真でも分かるように勾配30度にも迫る急斜面の通学路です。整備された一般道を通ると2.5キロほどの距離がありますが、ここを通ると1キロ弱という近道なのです。この山道の麓に小学校があり、上りきった所に15戸ほどの小さな集落があるのです。
 かつては集落の人たちが農作業や買い物・通院などに普通に利用していた生活路でした。しかし現在では子供たちの通学路としての役目が殆どらしいのです。数年前までは現在のような舗装もされてなく狭く険しい山道だったとか。我々大人が歩いてみてもかなりキツイ坂で、上りきるのに20分程かかりました。まるで登山?と錯覚しそうな道なのです。『ここを毎日小学生が歩いているのかぁ…』頭が下がる思いがしました。
 沢山の落ち葉や苔で滑りやすく危ない坂道。早速まちづくりのメンバーに声を掛けて通学路清掃。ここを通る5人の子どもたちの元気な笑顔を思い浮かべながら、半日掛かりの清掃と相成りました。

キーワードからさがす

gooIDで新規登録・ログイン

ログインして問題を解くと自然保護ポイントが
たまって環境に貢献できます。