サイト内
ウェブ

第16回 映画監督 / キム・スンヨンさん
話題のドキュメンタリー『チベットチベット』をつくった映画監督

  • 2008年10月1日
キム・スンヨンさん

映画監督 / キム・スンヨンさん

Profile
1968年生まれ。滋賀県出身の在日コリアン3世。針灸整骨師。1990年ベルリンの壁を見るために出かけたヨーロッパ旅行によって『旅』に目覚め、以後毎年のように世界を旅するようになる。 1997年、彷徨の世界旅行の途中、北インドのダラムサラでチベット問題を知り、持っていたビデオカメラでチベット難民の現状を撮影開始。2001年3月には、ドキュメンタリー映画『Tibet Tibet(チベットチベット)』として完成。以降、現在に至るまで全国各地で上映活動を続けている。
これまでに訪れた国や地域は、イギリス、フランス、スイス、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ、ドイツ、ベルリン、チェコスロバキア、オーストリア、イタリア、ギリシャ、スペイン、エジプト、ヨルダン、イスラエル、インド、ネパール、チベット、モンゴル、中国、ミャンマー、タイ、ベトナム、ボルネオ島、バリ島、香港、韓国、アメリカ、グアテマラ、ペルー、ブラジルなど、実に多彩。そのせいもあってか、声高ではなく、穏やかで広い視野に立ってつくられたドキュメンタリー映画『チベットチベット』は、チベット問題を知るバイブルとして脚光を浴びている。

旅の原点はベルリンの壁崩壊

キム監督がこれまでに訪れた国と地域は、実に30ヶ所以上。そのきっかけとなったのは、ベルリンの壁崩壊を見に行ったことだったと伺っていますが…

写真
インドの人々に受け入れられるダライ・ラマ14世
 はい、その通りです。当時、21世紀になっても絶対に壊されることはないと思われていたあの東西ベルリンを隔てる壁が、1990年に一挙に崩れ去ることによって世界が動きました。そして、その事実を目の当たりにすることによって、世界に参加しているンだという意識が芽生えました。あのとき、私は唯の傍観者に過ぎなかったのですが。それでも、直接現場で肌でふれるインパクトと申しましょうか、不適切な表現かも知れませんが、ありのままのライブパフォーマンスの鮮烈な力強さを体感することが出来ました。どんなものでも動くンだという確かな実感を。
 ドキュメンタリー映画をつくるようになったのも、その辺りにきっかけがあるような気がします。


自分のリアルは自分の手で!

キム監督はベルリンへの旅によって、ある種の「気づき」といいますか。世界への目覚めを意識された訳ですが、今ドキの若者たちを見て、どうお感じになりますか?

写真
年に一日だけ、巨大仏画の御開帳 ガンデン寺
 私自身、まだ若者のひとりと思っているのですが…。(笑)
 実は、私は昨年の11月まで沖縄に住んでいました。映像作品の制作のためでもあるのですが。単純に沖縄に住んでみたいという気持ちが強かったことも大きな理由です。そして、これから先、まだまだ行っていない国がたくさんあるので、お金を貯めて早く出掛けたいと思っています。そう。世界中を見てまわらないと大事なことを知らないまま死んでしまうような気がして…。
 それは単純に私が貪欲過ぎるのかも知れませんが、今の若者たちを見ていると、時間が勿体ないなぁ…という気がするときが時々あります。若い時は永遠に時間があるような気がして、色んなことを先延ばしにしてしまう傾向がありますよね。それは若者に限らず、成熟社会を迎えた日本全般にいえることかもしれませんが。待っていても、新しい世界はなかなかはじまりませんよね。自分のリアルは、もっと自分の手でつかんでゆくべきなンじゃないかなぁ。
 自らの行動で体験したことは、バーチャルによって体感したものよりも遥かに深く刻まれますよね。


民族のアイデンティティとは何だろう?

さすらいの旅の途中で『チベットチベット』をおつくりになったきっかけは?

写真
田舎の少女。民族衣装が似合っててかわいい
 私自身、在日韓国人三世として生まれて、昔は韓国人より日本人のほうが優秀で、発展している国だと思っていました。まぁ…、今とは時代も違いますけどね。自分が韓国人だということを友達に言ったらいじめられると思っていましたから、誰にも言わずに育ちました。ですから、実際差別とかにあったわけではないンです。でも気持ちは日本人だけど、家に帰ったら韓国人というアンバランスが絶えずあって…。在日三世の人たちは、きっと僕みたいな気持ちが大半だと思うンですよ。でも今回、作品のために旅に出て色んな国を回っている内に、人間って同じだなぁって思うようになりました。民族とか囚われずに、世界市民として生きていこうと思ったンです。ところがダライ・ラマは民族の誇りを捨てまいとして、亡命までしています。そこに在日一世の人らの、民族の誇りを持てという想いが重なったンです。チベットの人らは今でも民族について、自分たちの権利やアイデンティティを頑張って守り抜こうとしています。その姿に心を奪われて、映画を撮ることを決心しました。

世界視点で見るとモノゴトが変わる!

『チベットチベット』を完成されて、監督のお気持ちは変わりましたか?

 変わりましたね。彷徨の旅の最初に韓国へ行った時は、日本との違いばかり探していたけれど、2年 3カ月の旅が終わってまた韓国に帰ってきた時は、こんなに日本と似てる国はないなぁって思ったくらい、180度変わっちゃったンです。日本と韓国だけを見て、ものを判断しちゃいけないなって。それで、自分の本名が金昇龍だということも公表できるようになりました。それが自分の中での大きな違いですね。

キーワードからさがす

gooIDで新規登録・ログイン

ログインして問題を解くと自然保護ポイントが
たまって環境に貢献できます。