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第12回 元プロラリードライバー/髙岡祥郎さん
ラリーで世界中を走り回り、今度は超エコロジーな電気自動車を…

  • 2007年12月1日
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元プロラリードライバー/髙岡祥郎さん

Profile

1942年横浜市生まれ。1970年富士重工、宣伝部モータースポーツに入社、ラリードライバーとして国内ラリーを総なめにする。
1983年のサファリラリーでは日本人最高位の5位入賞(クラス優勝)を果たす。1993年モンテカルロ・スポーツカープロジェクト、エンジン部門担当。2002年7月、イタリア製電気自動車ジラソーレ輸入販売目的会社、オートイーブィジャパン創業
著書:四輪駆動入門(山海書房)、自然回帰線(講談社)、ウインタードライブ入門(講談社)等

 地球温暖化防止のエースとして注目されているバイオ燃料も、原料のトウモロコシなど、食糧価格の高騰に影響し、温暖化ガス削減のエースになりきれない。温暖化に伴う異常気象は環境を破壊するばかりでなく、食糧や資源の奪い合いによる紛争も起こしかねない。そんな中、超エコロジーな電気自動車に注目。
 プロラリードライバーとして世界中を走り回り、引退後もラリーチーム総監督、モンテカルロ・スポーツカープロジェクト、エンジン部門担当など長年モータースポーツ人生を歩んだ髙岡祥郎さん。今度は超エコロジーな電気自動車の企画制作を・・・・・

世界中を走ったその距離約800万キロ

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写真 1983サファリラリー
 髙岡祥郎さんは、モータースポーツの世界に入り、長い年月、プロラリードライバーとして世界中を走り回った。「思い起こせばもう何十年になるだろうか・・・。ロンドンからシドニー3万キロラリー、サファリーラリー、モンテカルロラリー、ヒマラヤンラリー、アセアンラリー、サザンクロスラリー、レプコトライアルラリー2万キロ、ウインズサファリラリーなどなど。1985年の引退までの20数年間、よく大した怪我もせずやってこられたものだ」と走ったその距離約800万キロという髙岡さん。

 当然のことながら高度にチューニングされたエンジンの使うガソリンは有鉛であり、それは地球環境にとって有害そのものであったに違いない。排気音だって半端じゃない。「競技に勝ちたい、時間には追われている・・・こんなエゴで走っていたのだろうと今改めて思う」。

 その後もモータースポーツ人生は続き、スバルラリーチームの総監督、次にF-1の総監督、そしてDTM用アルファロメオエンジンのチューニングとメンテナンスなどを担当し、イタリアをベースにモータースポーツ人生を歩んできた。


追い続けたい男のロマン

 髙岡さんはこれらの経験を活かし、過去に数台の車の企画、開発製作に従事した。「中には大成功の物もあったし、数台しか売れなかった物もあった。ライバルよりも一歩先、いや半歩先が車創りの基本だが、何年か先を見据えて創るわけだから、簡単なことではなかった」と、髙岡さん。

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1973サザンクロスラリー
 1989年にはイタリアのモートリモデルニ社と共同で究極の水平対抗12気筒60バルブエンジンを開発した。このエンジン開発のために「イタリアでは英雄的存在のカルロ・キティ工学博士と、何年か同じ工場の屋根の下で過ごしたことが昨日のように思える」。

 また、1991年にモンテカルロでスポーツカーを作るプロジェクトにエンジン担当として参加した。モナコ公国で始めてのナンバーが付く公認の車のため、王室もこのプロジェクトに協力を惜しまなかった。販売価格は何と日本円で8千万円という途方もない値段で、8台が売れたが最終的には生産中止となってしまった。

 「もちろん沢山売れるに越したことはないのだが、問題は販売台数ではない。自分たちが創った車にナンバープレートが付けられ、街で最初に見かけた時、胸がジーンとなり目頭が熱くなる。できれば駆け寄って『ありがとう』と言いたい。たったこんなことだが、これだから車創りはやめられない」と、言葉に力がこもる髙岡さん。

 そして今、環境への配慮など無視をしてきたことへのせめてもの罪滅ぼしと、そしてエコカーの筆頭である電気自動車を普及させるべく、電気自動車プロジェクトに取り組んでいるというわけだ。



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