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第5回 インタビュー アーティスト 大谷芳照( YOSHI )さん
ユニークな発想と豊かな表現力で、シュルツ氏の心をとらえたアーティスト。

  • 2006年7月1日
 

ユニークな発想と豊かな表現力で、シュルツ氏の心をとらえたアーティスト。
そして チャールズ M. シュルツ氏の遺したもの。

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第5回 アーティスト 大谷芳照( YOSHI )さん

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profile
1958年 三重県鈴鹿市に生まれる。
1993年 大阪鶴見のスヌーピーのアミューズメント施設計画づくりを受託。ピーナッツの原作者「チャールズ・M・シュルツ」氏とはじめて出会う。翌年 シュルツ氏より「YOSHI」という名のアーティストネームを授かる。
1994年 鶴見のテーマパーク「スヌーピータウン」オープン。以降、スヌーピータウンショップのアート・ディレクションを担当。
1998年 カリフォルニアのサンタローザにおけるシュルツミュージアム設立計画に参画。
2000年にシュルツ氏が死亡。2002年 シュルツミュージアム開館。YOSHIのつくった展示作品が世界中で絶賛。
2004年 アメリカ シュルツミュージアムにて自らの作品展「PEANUTS FOUND IN TRANSLATION」を11月から4月までの6ヵ月間開催。

 ユニークな発想と豊かな表現力に満ちた作品づくりによって、チャールズM.シュルツ氏の心をとらえたアーティスト。スヌーピーをはじめ、「ピーナッツ」キャラクターを日本文字と融合させた墨書きの作品展覧会「PEANUTS-FOUND IN TRANSLATION」は、シュルツ氏の心を日本的感性で伝えるものとして、ファンならずとも絶賛。

YOSHI 大谷さんは、「スヌーピー」の生みの親「チャールズM. シュルツ」氏と非常に 親交が深かったと伺っておりますが、どのようなきっかけだったのですか?

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 以前、私は店舗デザインを中心に、アートディレクターとして活動していました。その折り、大阪鶴見の「スヌーピータウンショップ」の展示・内装を手掛けることになり、様々なアイデアをもってカリフォルニアのサンタローザにあるシュルツスタジオに出掛けました。

 会議の席に現れたのは他ならぬシュルツさん本人です。当時はまだお元気で、さすがは世界にその名を轟かすシュルツ氏というのでしょうか、威厳のある物腰と、人を包み込むような深く慈愛に満ちた目がとても印象的でした。

 最初はチョット緊張しましたよね。何といっても、「ピーナッツ」といえば全世界で2600紙に及ぶメディアに掲載された偉大な作品で、シュルツ氏はその創造主ですから。でも、その人柄の誠実さは直ぐに理解できました。私のアイデアを何の偏見もなく熱心に聞いて、挙げ句、惜しみのない褒め言葉を送ってくれました。「君は天才だ!」だと。当時、まったくの無名であったこの私に…ですよ。感激しました。後に、私に「YOSHI」というアーティストネームをつけてくれたのも彼自身です。

シュルツミュージアムをつくるきっかけをつくったのは大谷さんだというのは本当ですか?

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 もとよりミュージアムをつくろうという話は、シュルツ氏の周りの人たちの間でずっと以前から上がっていたようですが、シュルツ氏本人が控えめな性格のために、その話題はいつも立ち消えとなっていたようです。それが、「スヌーピータウンショップ」の展示プランを見てから、急に意欲が高まったといいますか。こんな感じで創造性の高い楽しい施設がつくれるのなら、ミュージアムも是非つくってみたい…と、シュルツ氏本人が思いはじめたようです。嬉しい限りです。

それで、すんなりとミュージアムの建設計画に参加されたのですか?

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シュルツミュージアムのオープニングでの大谷氏

 シュルツ氏夫人のジーニーさんから、計画メンバーのコアスタッフにならないかと打診されたのは1997年のことです。はじめてお会いしてから4年経っていました。アメリカでプロジェクトに本格的に参加するということは、日本での仕事にピリオドを打たなくてはならない訳ですから。正直、悩みましたね。でも、それが一番自然な流れのような気がして。先のことは先に悩むことにしました。

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